4  誰がために歩きまわる

 お汁粉しるこ堪能たんのうし、満足顔で帰ろうとする隼人はやとそうさんが引き止める。どうせなら早いほうがいい、今からほほぜに会いに行こうと言う。


「頬撫ぜ……そうだ、バンちゃんをめるなっ! って言いに行かなきゃ。バンちゃんを舐めるなんて、ボクを舐めてるようなもんだ」

と、どう受け止めていいか判らないことを隼人が言っている間に、ササッと奏さんはお汁粉の食器を片づけた。


 高尾山の南側のふもと、頬撫ぜがひそんでいるほこらに通じる山道の入り口で奏さんが車を停める。


「んじゃ、行ってくるね」

車を降りて機嫌よく山道に入っていく隼人を見送りながら、奏さんが僕に懐中電灯を渡してくる。


「隼人には不要だが、バンには必要だ、この先、街灯がないからな。隼人のペースに巻き込まれるなよ」

奏さんは車に残って待つつもりだ。


「バンちゃん! ボクをひとりにしていいと思ってるのっ!?」

隼人の怒鳴り声に、僕は慌てて隼人を追った。


 僕が追いつくと、いつもの事だけど、すかさず隼人が腕にしがみ付いてくる。僕の腕にしがみ付くと安心するんだそうだ。そしてやっぱりいつも、僕は止まり木になった気分がする。そう、いつも感じる。いつも……


 奏さんが言う通り、山道に街灯なんかあるはずもなく、真っ暗だ。道端みちばたから野生動物が飛び出してきそうだ。懐中電灯を借りてよかった。


 両側に御幣ごへいを立てた、更に細い道の入り口に辿たどり着くと、例によって『バンちゃん、先ね』と、隼人は後ろに回り、両手で僕の背中に捕まりながらそろそろとついてくる。


 すぐにほこらのある開かれた場所に到着し、僕は頬撫ぜに撫でられ始めた。今日は一層ヒンヤリした感触だ。隼人は祠を見ると、僕のことなど忘れて祠に近づく。


「頬撫ぜちゃん、元気ぃ? 隼人が来たよん」

ひざを曲げて、高さ1メートル程度の祠に向かって話かける。


「そうなんだ? まぁ、ここじゃ人通りなんかないよね……お腹空いてる? バンちゃんの事、撫でまくるといいよ……あぁ、舐めると効率がいいんだ? 舐めちゃって、思い切り舐めちゃって」


 おぃ! 隼人、話が違う! 途端に頬を舐めまくられる感触が……うぎゃっ!


「ところでさぁ、うちの子たち……そそ、人狼の双子ちゃんがね……」

あれ? 隼人、ちゃんと朔たちの事、覚えてたんだ?


 隼人がそこから声をひそめたから、話の内容が僕には判らなくなった。頬撫での声は元から僕には聞こえない。


 頬撫ぜは隼人と熱心に話し込んでいるようだったけど、僕を撫で、舐めるのをやめようとしない。時々、口元を舐められそうになって、僕は顔をそむけるのに必死だった。


「うん、判った」

 しばらくして隼人が立ち上がる。


「あ、そうだ、うちのバンちゃんの顔、舐めるのやめてよね! バンちゃんの顔、舐めていいのはボクだけだから!」


 おいおい、さっき言ったこと、すっかり忘れているよね?……ほこらかすかにガタガタ揺れている。きっと頬撫ぜが抗議してるんだ。それにしても、隼人、いつ僕の顔、舐めた?


「さって、帰ろう。奏さんに言って、蕎麦そばに寄ろう。とろろ、苦手だからバンちゃん食べてね」


―― いや、とろろが名物なんだが? いや、それ以前に、こんな深夜に蕎麦屋がいてると思えない。待て、さっきラーメン食べたばかりだぞ、隼人!


 ガタガタ音を立て続ける祠を無視し、隼人は僕の背を押して小道を戻る。名残り惜しそうに頬撫ぜの指先が僕から離れていく。


「去って、帰ろう、だって……むふふ」

僕の後ろではダジャレ大好き隼人がコソッとつぶやいて、ご満悦のご様子だ。


 車に戻ると例によって奏さんが、方向転換を済ませて待っていた。

「隼人、ファミレの新作スイーツ、好評らしいぞ。帰りに寄るか?」

スマホをながめながら奏さんが言う。


「やった! 奏ちゃん、ファミレにレッツゴー!」

大喜びで隼人が答える。隼人の頭の中から蕎麦が瞬時に消えた。でも、コンビニスイーツが売り切れてるって、よくあるよね? 一抹の不安が残る。


 しかも目的のコンビニに着いたら、珍しく『ボクも行く。この目で確認する』と言い出した。これで、もし欠品してたら、コンビニの中だろうがきっと怒りまくる。


「バンちゃん行くよっ!」

車で待っていようと思ったのに、隼人は許してくれそうもない。


「隼人、これだな」

と、目的のスイーツを奏さんが見つける。良かった、有ったんだ。


「うん、美味しそうだね。バンちゃん、買って」

買うのは僕なんだね……隼人は僕が会計をしている間、コンビニの中を物珍しそうにうろうろしている。


 あれ? なんだか他のお客さんの近くを意識して歩いてないか? それにお客さんたち、隼人が通り過ぎてから、不思議そうに振り返ってないか?


 隼人のリクエストのスイーツと、ホットケーキを二つ、奏さんにブラックコーヒーを買ってコンビニを出る。


 車に乗る寸前に隼人が言った。

「頬撫ぜちゃん、そろそろほこらにお帰りよ」


―― 隼人、頬撫ぜを連れて来ていたのか? あの時、祠がガタガタ揺れたのは、頬撫ぜが隼人にりつくために祠から出てきたってことなのか? そしてこのコンビニのお客の頬を撫でさせるため、店内を彷徨うろついたのか?


「ボクの記憶も千年分くらいは食べたでしょ? 急に食べ過ぎるとおなか 壊すよ。うん、またね」


 隼人が宙を追うように視線を動かす。頬撫ぜは無事、祠に帰れるだろうか。祠に帰りつくまでに、何人の頬を撫でるんだろうか?――


 そのあとは、真っ直ぐ住処すみか古家ふるやに帰る。奏さんを見送って、部屋に入るや否や、『バンちゃん、コーヒーれて』ときた。ま、予測してたけどね。


 たっぷりの砂糖とミルクを入れたコーヒーで、さっき買ったチョコレートと生クリームとオレンジピールと砕いたチョコクッキーの乗ったチョコレートプリンを食べて、さぁ、寝るよ、と言うかと思いきや、隼人、やっぱり食べ物の事は忘れない。


「バンちゃん、ホットケーキは?」

―― まだ食うか……


「あれは朝食用に買ったんだよ。で卵をきざんでマヨネーズでえたのをはさんであげるから」


「ホント? んじゃ、早く寝よう。で、早く起きようっ!」


 早く起きたって、朝が早くくるわけじゃないと思うけど、僕はわざわざ言わなかった。そう、いつも言わない。いつも、言えない……

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