第34話 正体

「入って。私の家よ。他にだれも住んでないから遠慮はいらないわ」


 その碧の言葉に促されて、入る。


 綺麗な玄関と廊下だった。というか、何もない空間という方が正確だろうか。


 家具とか、家財とか。散らかってないというより建てたばかりで入居していないという印象を受けた。


「ここ。引っ越してきたばかりか?」


 聞いてしまった。


「いえ。『こっちにきてから』十年以上住んでいるわ」


 案内に従ってダイニングに入る。


 テーブルにソファーセット。クラシカルなカーテン。ショールーム、モデルルームの様な装いだった。


「座って。いま、お茶を用意するから」


 碧はそう言ってキッチンに入ってゆく。


 俺がソファに腰を落ち着けてからしばらくして、紅茶セットをトレーに乗せてやってきた。


 テーブルにソーサーとカップを二つ置き、慣れた手つきでポットから紅茶を給仕する。


 それから碧は対面……ではなく、俺の隣にそっと座ってきた。


 え? っと少し驚いた。


 いつもの落ち着いた雰囲気なのだが、少しだけ違う。


 なんというか、自分は打ち解けているんだという主張が碧にはある。


 俺と接近して少し突っ込んだ会話がしたいんだという思惑が見て取れた。


 俺に無言で紅茶を勧めてから、碧は自分でもその用意した紅茶を一口。


 カップを綺麗な仕草でソーサーに置く。


「ありがとう。付き合ってくれて」


 感謝しているという抑揚で口にしてきた。


「何から話していいのかわからないけど……」


「碧が混乱しているのは珍しい……な」


 俺が素直な感想を述べると、碧はふふっと僅かに口元をほころばせた。


「そうね。混乱しているのね、私……」


 目をつむって、深く沈む様な面持ち。後、まぶたを開いてから、ゆっくりと言葉にしてきた。


「最初に光一郎に『この恋愛ゲームを幸福で終わらせたい』って言ったわね。あの時、光一郎に受け入れられなかったら、私は独りでこの学園を去るつもりだったの」


「そんな……ことを……」


 俺は、碧のいきなりの独白に二の句を告げなかった。


 冗談を言っている目には思えなかった。疑念はない。躊躇もない。真っ直ぐに俺を見つめている綺麗に澄んだ瞳だった。


「この世界に『先兵』としてやってきたクロぼうたち。その橋頭保として設定された卯月光一郎とその周囲の人間に関われなければ意味がない」


 わからなかった。


 碧が何を言っているのかが理解できない。


 だが、碧が決して冗談とか悪ふざけをしているのではないことは、はっきりと認識していた。


「『先兵』……?」


「そう。先兵。『夢魔たちがこの世界を侵食』するための尖兵」


「この世界を侵食する……?」


「そうよ。夢魔は人間と契約して、その人間の欲望を操り支配下に置くの。徐々にその数を増やし……やがて世界に溢れかえることになるわ」


「そんな……ことが……」


「起きるのよ。実際に起きたわ。私のいた『世界』では」


 徐々にだが、碧の言わんとしていることの全貌が見えてくる。


「だから私は、この『世界』を私のいた『世界』みたいにしない為に送り込まれたの」


 何も言えなかった。


 何も答えられなかった。


 ちょっと……信じられないというか、普通だったら一笑に付してしまうだろう設定説明。


 でもだけどそれ程長い時間じゃないけど、今まで碧という少女を見てきて、碧という少女と付き合ってきて。


 この碧という少女が適当な事を言っているのではない、あるいは頭がおかしくなったのではない、という確信があって。


「それから、たった独りこの世界の片隅で暮らしながら、いつか侵攻してくるだろう夢魔の情報を集めて。その橋頭保として狙われた卯月光一郎という子供を見つめ続けてきたわ」


 淡々とでも真剣に、碧は『事実』を吐露してくる。


「貴方が学校へ行くときその帰り道。貴方が泥だらけになって公園で遊んでいるとき。貴方が誘われて駅前に出来たカフェにパフェを食べに出かけたとき……。夢魔の目標になっている貴方に、夢魔が来る前に話しかける訳には行かなかったけど、でも貴方を見つめていると私は独りじゃないと思えた。貴方を見つめることがいつか私の救いとなっていた」


 碧がその身をそっと寄せてきた。


 捨てられた子猫の様に細かく震えているのがわかった。


「私は……怖いの。このゲームで、夢魔たちに負けるのが。卯月君を失ってしまうのが」


 気付くと、俺は碧の震える身体を抱きしめていた。


 そっと。その震えを止める様に優しく抱きしめる。


「ごめん。俺が悪い。碧のこと、ただの強くてクールな女の子だって思ってた。何も知らなかったから……とは言い訳したくない」


 碧も俺の背に手をまわしてきた。


「ごめんなさい。少し……弱くなっていい?」


 二人して抱きしめ合う。


 今までの様な演技ではない。


 きちんと女の子を抱きしめる。


 碧の震えが徐々にだんだんと消えてゆくのを感じながら、世界で二人だけの時間が流れてゆく。





 碧と一緒に、隣り合ってソファに座っている。


 碧は心のつかえを吐き出して、何かから解放されたような晴れた表情をしていた。


 握ったままの碧の手に、優しく力を加える。


「上手くいって、誰も哀しい思いをしなくて済めばいいんだが」


 碧が、俺の掌を握り返してくる。


「まだ勝負はこれから。最後の決戦。勝てるかどうかはやってみないとわからない。勝算はある?」


「勝ちたい。敵は、恵梨香やエミリちゃんじゃないからな」


「私たち、最初から最後まで、悪者ね」


「そう……だな。案外、お似合いなのかもしれない、な」


 その俺の言葉に、碧が屈託のない本当に嬉しそうな笑みを浮かべるのだった。

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