第三十七話 助勢



そして迎えた土曜日、現在はちょうど午前八時を迎えるタイミングだ。


九月の二週を過ぎた頃だということもあり、日陰でそよぐ涼風が心地いい。


空模様は雲一つない快晴。夏の落ち着きを肌で感じつつ、間もなくして私は沢崎さんのお店に到着した。


装いを改めてまじまじと見つめる。どうやら小さな三階建てビルの一階を、店舗として展開しているお弁当屋さんのようだ。二階は居住スペースだろうか。


店舗の正面上部には目立つ黄色の背景色に、お弁当さゆきと大きく書かれた看板。


店の正面に三台ほど駐車出来るスペースがあり、道路に面した立地であることも合わせて車での利用も多そうだ。


強いて欠点をあげるのであれば、駅から二十五分ほど歩くという部分だろうか。


店舗の外観を眺めながら、私は気合を入れ直す。初めて他のお店で働くのだ、緊張しないわけがない。


私服で働くのも何だか気が引けたので、とりあえずミニドリップの正装姿で臨んでみたのだが……間違ってないだろうか。


店舗の裏口からちょうど出てきた沢崎さんが、こちらに気づいて手を振る。反対の歩道にいる私も、急いで手を振り返す。


「おはよう春姉。朝早くから悪いな、今日はよろしく頼むぜ」


道路を素早く横断し、早歩きで近づくと沢崎さんが快活な声で挨拶をしてくれた。


黒い無地のTシャツに青のデニムパンツという、何とも彼女らしいラフな姿。


「おはようございます沢崎さん。こちらこそ、よろしくお願いします」


不器用に微笑みながらそう返す。相変わらず私は、笑顔を作るのが苦手だ。


「まあまあ、そんな緊張すんなって。笑顔が引きつってるぞ?」


「ほ、ほっといてください。これは生まれつきです」


沢崎さんに見抜かれ、恥ずかしさを隠すように私は抗議する。


「おかしいな、前に見せてくれた笑顔はもっと可愛かった気がするんだけど」


「……沢崎さん、そういう台詞を自然に言うのって犯罪なんですよ」


不意に彼女から放たれた言葉に対し、私は思わず小さな声で文句を述べる。


もし沢崎さんが男性だったら……きっとモテたに違いない。


色恋沙汰に鈍感なこの私でさえ、今の台詞はちょっと心に刺さったのだから。


「え!? そうなのか!?」


「そうですよ。気をつけてくださいね」


「んー、流石にそんなことでパクられるのは嫌だなー……」


どうやら私の言葉を信じたようで、何とも複雑な表情をしている沢崎さん。白井さんたちといい、変なとこ純粋なのでたまに困る。


「冗談ですよ? 一応言っておきますけど」


「……なーんだ嘘かよ。春姉にまんまと騙されたぜ」


そんなとりとめのない会話を繰り広げながら、私は沢崎さんにお店の裏口まで案内してもらう。


鉄製の重い扉を開け、裏口から店内に案内される。目の前に広がる整然としたキッチンの光景、換気扇の規則的な駆動音、使い込まれた器具の数々。広さはおよそ十二畳ほどだろうか。


「使い込まれてる感じがあるのに、綺麗なキッチンですね」


水垢一つない銀のシンクを撫でながら、思わず呟く。


「母さんが綺麗好きでなー。ちょっとでも汚したまま放置してると、鬼のようにキレてくるからめんどくせえ」


「悔しいですが、ミニドリップより手入れされてますね……」


憂う沢崎さんをよそに、コンロや棚など色んな部分をじっと見つめながら、私は密やかに敗北を感じていた。


掃除はもちろん毎日行っているが、ここまで丹念に手入れなどしていない。


「素晴らしいですね……お店への愛が非常に伝わってきます」


私自身お店に対して強い思い入れがあるので、こういった部分は好感が持てる。


「気に入ってもらったところ悪いが、今日春姉に担当してもらうのはレジだぜ」


「……残念です」


少し不満げな表情を沢崎さんに向けながら、私は仕方なしにその案を受け入れた。


「母さんがうるせえからなー。万が一春姉が怒られでもしたら申し訳ないし」


「だーれがうるさいって? まったく、朝から失礼な娘ねー」


恐らく居住スペースへと続いているであろう扉から、沢崎さんのお母さんが唐突に現れ、気だるそうに反応する。


恐らく寝起きであろうボサボサな黒髪、緋色のキャミソールと藍色のショーツ姿。


起きてそのままこちらへ来たのだろう、流石に恰好がラフすぎる。


「お、おい! なんて恰好でんだよ! 今日ダチが朝から手伝いに来てくれるって言っただろ!」


「えー? そうだっけ?」


頭をかきながら、なんら焦る様子を見せない沢崎さんのお母さん。以前、病院で見た時はもっとおしとやかな雰囲気の女性だったような……。


「その……おはようございます」


多少面食らいながらも、挨拶だけはしっかりとしてみせる私。


「あらおはよう。あー、あなたは確かこの前の……春巻さん? ごめんなさいね、こんな朝早くから来てもらっちゃって」


「いえ、春風です。沢崎さ――じゃなくて、真夜さんにはいつもお世話になってますので、少しでも力になれたらと……」


「挨拶も、しれっと名前間違えてるのも後でいいから! とりあえず、マシな格好に着替えてきてくれ!」


沢崎さんはそう言いながら、強引に母親を扉の外へと押しやった。そんな微笑ましい様子を、私はポカンとした表情で見つめる。


「はぁ……ったく、恥ずかしいったらないぜ……。悪いな、朝から変なモン見せちまって」


「ま、まあ別に同性ですし……驚きはしましたが、気にしてませんよ」


何ならスタイルよくて羨ましいなと思いました……とまでは言わないでおこう。


「……自分のことに関しては適当なんだよ、俺の母さん。本当、怜と真逆な性格してるもんでさ」


「確かに、怜さんは自分が大好きですもんね……」


「あいつは自分を飾ることに関しての熱量が凄いからな。母さんとは大違いだよ」


ため息混じりに、呆れた様子で愚痴をこぼす沢崎さん。そう言いつつ、きっとお母さんのことも怜さんのことも大好きなんだろう。そう考えると、何だか沢崎さんが可愛く思えてくるから不思議だ。


「まあいいや。朝の準備を始め……って、何で笑ってんの春姉」


仕切り直そうとした沢崎さんが、私の様子を見て首をかしげる。友人がいきなりニヤニヤしてたら、不気味に思うのは至極当然の話だ。


「いえ、思い出し笑いってやつです。さあ準備を始めましょうか」


必死に平静を装いながら、そう答える私。不思議と気分はとても晴れやかだった。


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