第二十七話 吐露
私は以前皆で花火をした高沢公園のベンチに座り、ずっと茜色の空を見つめていた。
憮然とした面持ちで生気を失った様子の私。きっと他人から見たら、ひどく不気味でならないだろう。
――こんなことは、初めてだった。
他人との関わりの中で、これほど心が揺さぶられたことはなかった。
確かにこれまで生きてきて怒りを覚えることはあった。悲しいと思うことも、悔しいと思うことも、嬉しいと思うことだって。
ただ、ここまで自身の感情を露わにしたことは、今まで経験がなかった。
……私にとって許せないことだった。心の中を土足で踏みにじられた気がして。奥深くにしまっていた嫌な記憶を、強引に掘り返されたような……そんな不快感。
あれから、どれだけの時間が経ったのだろう。今の私に残っている感情は落ち着いたからか……怒りではなく無だった。虚ろで、胸に穴が空いてしまった状態。
私の行動は正しかったのか、それとも間違っていたのか、真偽は分からない。
「……珍しいな。春姉がそんな表情してるなんて」
そんな私の前に現れたのは、不敵に笑う沢崎さん。学園で見た時と恰好が変わらない様子を鑑みて、おそらく帰宅途中だったのだろう。
「そうでしょうか? 普段からこんな感じですよ、私は」
覇気のない声色で返答する。そんな私を見て沢崎さんが苦笑した。
「まあ、表情の変化は普段から少ないかもしれねえけど。それでも生気はあったと思うぞ?」
腕を組み、首をかしげながらそんなことを呟く沢崎さん。どうやら今の私は、いつも以上に酷いらしい。
「……で、何があったんだ?」
私の隣に座った沢崎さんが、ひと息置いて真面目な面持ちで問いかける。
「…………」
何てことない問いに上手く答えられず、私は思わず黙り込んでしまう。
「……ま。無理に聞こうとはしねえよ」
「いえ、その……ただ、上手く説明出来ないといいますか」
心を落ち着かせて、ゆっくり私は口を開く。
「……伊田さんと、その……喧嘩しました」
「ふーん……って、えっ!?」
一度すんなり受け止めたかと思いきや、ベンチから立ち上がり驚きの表情を見せる沢崎さん。
「ま、まさかあの変態野郎に襲われたのか!? くっそーあの変態スク水野郎め! いつかやると思ってたんだ! 待ってろ、今俺が仇を――」
「違います違います、そういう話ではありません」
話が飛躍していき、今にも走り出しそうな沢崎さんを制止する。
しれっと聞き逃しそうになったが、伊田さんいつかやると思われていたのか……。
「……何だ、違うのか? てっきり無理やりスク水でも着させられたのかと」
「そ、そんな話ではありません。私が一方的に……その、怒っただけです」
「……春姉が?」
「はい。踏み込んで欲しくなかった過去を……掘り返されたといいますか」
目線を逸らし、言いにくそうに告げる私。何か思うとこがあったのか、再び隣に座り直す沢崎さん。
「過去、ねえ……」
ため息混じりに頭をかきながら、沢崎さんが小さく呟く。
「そんなに、許せないことだったのか?」
「はい。何も知らない癖に、知った風な口を聞かれて……気づいたら怒りに任せて反論してました。私が人と関わらないのは……関わりたくないんじゃなくて、ただ怖いだけだ、とまるで見透かしたように言われて」
「何も知らない癖に……か。春姉の口から、そんな台詞を聞くとはな」
「どういうことですか?」
私の問いに、沢崎さんは躊躇いなく答える。
「普段俺らより落ち着いてるから、ずっと大人な印象があったけど……春姉も、まだまだ子供だったんだなって。ある意味安心したよ」
「……私が、子供?」
「そう。俺らと同じ、まだまだ青臭いガキだった、ってこと」
まるで吐き捨てるように、沢崎さんがそう答える。
「理解できません。私のどこが子供だというんですか?」
沢崎さんの台詞に、思わず苛立ちを覚える私。普段ならこんなことはない。きっと、さっきまで心が不安定だったからなのかもしれない。
「全部だよ。その台詞も、伊田の野郎とのことも合わせて、春姉はガキだって言ってんのさ」
両手を後頭部にやり、空を見ながら沢崎さんが淡々と述べる。
「何も知らない癖に……って、何一つ教えようとすらしなかったヤツが、偉そうに言うことか? 知らないのなんて当たり前だ。教えてくれなきゃ、相手は知りようがない。それでキレるんだから、ただのガキだろうが」
「そ、それは……」
「それとも何だ? 皆がテメーのことに興味を持ってくれて、根掘り葉掘り聞いてくれるとでも? おいおい甘ったれんなって。世界は自分中心に回っちゃいない」
「……分かってますよ」
「分かってたら、もっと違う回答をしたんじゃないか? 分かってないから、伊田にキレた。分かってないから、今も俺に対してムカついてる。違うか?」
腕を組み、冷静に私を見ながら言い切ってみせる沢崎さんに、私は言葉に詰まる。
「……そ、そんなことはありません」
「春姉の過去に何があったかなんて知らねえ。でも、伊田と同じ立場になったら、きっと俺も同じことを言うと思う。もちろん、そこに攻撃したい意図なんかはないし、見透かしてやったなんて感情もない」
「…………」
「春姉ともっと仲良くなりたいから。ただ、それだけの話だ」
「…………」
私の沈黙した様子を見て、沢崎さんがさらに続ける。
「仲良くなるためには、多少なり踏み込んでいかないといけねえ。だって衝突を避けて当たり障りないことを言ってても、何も相手のことなんて分からないだろ。今回のことだって、伊田もきっと同じ気持ちだったんじゃないか?」
「そうなんでしょうか? 私には……分かりません」
「……おいおい、本気で言ってるのか? あいつが、本気で春姉に惚れてるのなんて俺でも分かるぞ。自分にくだらねえ嘘ついて、気持ちを誤魔化すんじゃねぇよ」
「分かりませんよ! 分かるわけないじゃないですか! 伊田さんの気持ちが、本気かどうかなんて……誰が分かるって言うんですか! 沢崎さんだって言ってましたよね、言われなきゃ気持ちは分からないって! ええその通りですよ、言われなきゃ分からない、間違ってるのは私ですよ!」
沢崎さんの鋭い煽り文句に、私は怒りのまま立ち上がり……叫ぶように反論した。熱くなる目頭を必死にこらえながら……抱えていた気持ちを吐露する。
これが彼女の、私を煽るための文句だったとしても引き下がるわけにはいかなかった。
「伊田さんの言う通りですよ。私は人が怖いんです……当たり前じゃないですか! 今まで人に好かれてこなかった人間が、おいそれと人に好かれるわけないんですよ……! これまで、どれだけ苦しんできたか……! 私だって……私だって……これでも……理解しようと頑張ったんですよ!!」
今までにないほど強く、感情を沢崎さんにぶつける。たとえそれが醜く、哀れなモノであるとしても、そんなことは関係なくて。
「じゃあ教えてくださいよ沢崎さん! どうすれば良かったんですか! どうしたら、私は……!」
私の悲痛とも言える叫びを聞いて、沢崎さんが無言で立ち上がる。私よりも幾分か高い身長、まっすぐこちらを見つめる強い眼差し。気づけば――私は彼女に抱きしめられていた。
「……なんだ、言えるじゃねぇか」
耳元で、まるで私の背中を押すかのように……そう沢崎さんが呟く。
「良いんだよ、それで。みっともなくたっていい。そしてあいつにも、同じようにまっすぐぶつけてやればいい」
「っ……!」
「だからもう、過去に囚われるな。それでも怖い時は俺を呼べ。これから先、春姉を傷つけるヤツは皆……俺がぶっ飛ばしてやるからよ」
私の頭をそっと撫でながら、沢崎さんが優しく呟く。今日までの苦痛を、苦悩を、全てを……包み込むかのように。
きっと、これまでずっと張りつめていたものが切れたのだろうか。私は沢崎さんの胸に顔をうずめながら……まるで子供のように泣きじゃくるのだった。
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