第二十六話 本音


始業式を終えた午後、いちょう並木の真ん中。人より遅く下校したせいか周りには人がほとんどいない、そんな状況。


真剣な眼差しで、私は伊田さんに問いかける。


――私のことが好きですか? と。


「そ、それは……」


私の言葉に赤面し、躊躇しながらも……伊田さんは静かに答えた。


「はい……好きです」


その言葉を聞いて私は、自身の胸が高鳴るのを確かに感じた。


そして、ずっと疑問に思っていたことを立て続けに問いかける。


「どうして、ですか? それは……友人としての好き、ではないんですか?」


「もちろん……友人としてではなく、異性として、俺は香笛さんが好きです」


まっすぐに私を見つけながら、伊田さんは続ける。


「……どうして、ですか。そう言うってことは、香笛さんは覚えてないんですね」


どこか残念そうに、彼がそう呟く。


「覚えて、いない……?」


「……一年の時のこと、覚えていませんか? まだ入学したばっかの頃なんですけど。俺、悩んでいたんですよ。この学園に入って友達が出来るか、打ち解けられるか。ここが地元じゃなかったので、不安で」


「……え? 伊田さんが、ですか?」


「はい。校庭が見渡せる外階段で、当時の俺は恥ずかしながら、どうしたら打ち解けられるかって独り言を呟いていたんです……。そしたら、上の階の方から声が返ってきて」


懐かしむように、伊田さんはかつての記憶を振り返りながら話し始める。


「相手の気持ちを考えて行動すれば、おのずと打ち解けられますよ。求める答えを返してくれる人は自然と好かれていきます。話を聞いてくれる人、同調してくれる人を嫌う人間はいませんから……って」


「……そんな台詞を、私が言ったんですか?」


気恥ずかしさに何とか耐えつつ、私は問いかける。もし本当に自分が言ったのなら、恥ずかしさで今すぐ道路に飛び込んでしまうかもしれない。


「その時は顔を見ることが出来なかったんですけど、二年になって、香笛さんと同じクラスになって声を聞いた時、俺は確信しました。ああ、あの時俺を救ってくれた人だって」


「救ってくれた人だなんて、そんな大げさな……」


「いえ、確かにあの言葉は俺を救ってくれました。今でも、これからも忘れません」


「す、すみません……全然覚えてなくて」


そう伊田さんには返すも、実は少しずつ記憶が蘇ってきている私。


階段で外を見ながら、これからの学園生活を憂いていた時に下から声が聞こえて、普段だったら絶対しないのに、夕陽という雰囲気にやられてそんな恥ずかしい台詞を口走ってしまったんだった……。


いわゆる、黒歴史である。出来ることなら思い出したくなかった……。伊田さんには申し訳ないけど、私はこれからも覚えてないとシラを切り続けるつもりだ。


「……え? それが私を好きな理由なんですか?」


「はい。あくまできっかけですが。同じクラスになって、香笛さんを少しずつ知って、たまたま商店街に友達といたときに、喫茶店に入っていくのを見かけて。そこで働いていると知ってから、いつか行ってみたいとずっと思ってたんです」


「なるほど……夏休みに三人で来たのは、あらかじめ予定されていたものだと」


言われてみればそうか。私に花火の約束をしてきた以上、元々私に会うつもりでお店に来ていたのは当然の話だ。


「なかなか話しかけることが出来なくて……。せめて、学園の外だったら、話しかけられるかなって思って」


「そうだったんですね……色々と、納得しました」


「でも、恋愛感情ではないと思いますよ? 一種の憧れみたいな、一過性のモノというか」


そもそも、人にそんな言葉を吐いておきながら、自分が一切実践できてないという現実を見れば、普通は幻滅するんじゃないだろうか?


「いや、違――」


「違いませんよ。だって、伊田さんは私のことを全然知らないじゃないですか。言葉と、思い出によって美化された偶像が伊田さんの中にあって、それを好きなだけなんですよ、きっと」


気づけば、さっきまで熱くなっていた身体はすっかり落ち着きを取り戻していた。


「そ、それは……」


「クラスが一緒になって、幻滅しませんでしたか? 人にあんな台詞を言っておきながら、自分は全く他者に寄り添おうとしない。それでいて、他者を遠ざける。正直に言います、私の中でずっと根底にあるのは、出来れば人と関わりを持ちたくないという気持ち。それが本音、そして本来の私です」


冷静に、淡々と、私の気持ちを伊田さんにぶつける。非情にも、彼が思い描いている私と言う名の偶像を、容赦なく打ち砕いていく。


「……それこそ、嘘ですよ香笛さん。だって、本当に人と関わりたくないなら、どうして花火の誘いを断らなかったんですか? どうして海に来てくれたんですか?」


「それは……その場の空気というか……人付き合いとして仕方なく、です」


「……本当に拒絶してる人なら、そんなことだって気にしないはずです。香笛さんは、人と関わりを持ちたくないわけじゃない。人と関わるのが……怖いだけだ」


それは、あまりにも芯を突いた言葉だった。返す言葉が見つからず、思わず黙り込む。


しかし、だからこそ――私は冷静さを欠いてしまう。


「……何が分かるというんですか。伊田さんに」


自分では確かに分かっている。図星を突かれて、何も言い返せないことを。でも、それを他人に言われたくはなかった。何も知らない人間から軽々しく言われる程、屈辱的なことはないのだから。


「……あなたに、一体私の何が分かるというのですか? 軽々しく、分かったような口を聞いて、まさかそれで私が心を開くとでも思ったんですか? ふざけないでください。何も知らない人間から、軽々しく言われたくありません」


「そ、そんなつもりじゃ……」


「そんなつもりではなくても、私にとっては許せない言葉なんです。踏み込んでほしくない領域なんです。もちろん、あなたが何も知らないのは当然です。過去のことを含めて教えたことはありませんから。だからこそ、言うべきではなかった」


さっきとはまるで別人かのように、鋭い目つきで彼を睨みながら私は続ける。


「勝手に知った気になって、図星を突いた気になって、さぞ気分がよろしかったんじゃないですか? ええ、その通りですよ。私は人が怖いです、嫌いです。どうしようもなく臆病者で、人と関わりたいと思いつつも、怖くて拒絶する。そんな人間です」


捲し立てるように早口でそう言い放ち、私は背を向けて歩き始める。


「とても不愉快な気分です。失礼します、もう話すことはありません」


「ま、待ってください……!」


そう言いながら腕を掴み、引き留めようとする伊田さんを、私は容赦なく振りほどく。


「触らないでください。これ以上話すことはありません。そして、もう二度と話すこともないでしょう」


動揺する伊田さんに構わず、私はそれだけ言って再び前を向く。


「……さよなら」


まるで独り言のようにそう呟き、私は一人歩き始める。背後から聞こえる伊田さんの言葉に一切耳を貸さず、ただ前だけを見つめて。


視界がひどく滲んで見えるのはきっと――どうしようもなく愚かで、みっともない自分が許せないから。

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