第四話 不良

夏も終盤に差し掛かる八月の下旬、少しずつ暑さも落ち着きをみせ始める頃。


時刻は既に十七時。秋の到来を予感させるような風が、頬をかすめる。


まだ店を開ける時間まで余裕がある私は、近所の公園を散歩していた。


暑さも収まり始め、涼しくなってきたからこそ出来ることである。


そんなことを思いながら歩いていると、ベンチで空を見上げる少女が目についた。


……厳密には、うつろな目で空を見上げているのだが。


「はぁ……終わった……」


心底絶望した様子でそんな台詞を吐く少女。歳は私とあまり変わらなく見える。


腰ほどまで伸びた金髪、ワイシャツのボタンは第二まで開けられ、スカートは所々 しわになっている様子。


多分、この着崩した身なり的に髪は人工的に染めらたモノで、おそらく私とは対極に位置する人間だろうと即座に予感した。


「──ねえ、そこのあんた」


少し低めの声で、私に話しかける不良少女。まずい、話しかけられてしまった。


「……な、なんでしょう?」


急に声をかけられ、思わず声が上ずる。


「俺を見てどう思う?」


彼女が唐突に、私へ向けてぼんやりとした質問をぶつけてくる。一人称が俺……これは筋金すじがね入りの不良かもしれない。


「ど、どうと言われましても……」


「頼む、真剣なんだ」


不良の真剣な眼差しに、私は観念する。


「……怒りませんか?」


「もちろん」


がらの悪いヤンキーにみえます」


とりあえず、私は無謀にも正直に言ってみることにした。


「何だとっ!?」


反感を買ってしまったのか、勢いよく胸倉を掴まれる私。しかし臆することなく、私はじっと彼女を見つめる。


「っとすまん、つい反射で……」


そう自戒すると、すぐに私の胸元から手を離し謝罪する不良少女。


「いえ……」


「こんな調子で、バイトの面接にも受かんない始末さ」


「は、はあ」


いきなり何の話だろうか、なんて野暮なことは言わない。


「なおしたいと思ってるんだけど、これが中々上手くいかなくて」


「……お言葉かもしれないですが、そもそも身なりが問題なのでは?」


不良少女はきょをつかれたような表情を浮かべ、固まった。


「その髪の色を戻したり、制服を着崩したりしなければ、少なくともヤンキーに見られることはないと思うのですが」


「だ、だけど黒髪とかダセェだろ!」


「別にダサくないと思いますけど……」


「ボタン開けてないと暑いだろ?」


「閉めて下さい。はしたないし、だらしないので」


急な冷たい眼差しと声色にあてられ、ヤンキー少女がすくむ。


女性が外で、はしたない格好をするものじゃない。


「お、おう……」


しかし、どこか納得いかない様子の少女。


「ま、まあいいや。にしても……そうかー」


まるで、その発想はなかったとでも言わんばかりの表情。いや、言われなくても分かると思うんだけど……。


「ありがとな、これで今度こそ面接はバッチリだと思うわ!」


綺麗な笑顔で私にそう告げ、早々と去って行ったヤンキー少女。


「はぁ……疲れた」


深い溜息ためいきをつきながら、思わず呟く。結局無駄に疲労を蓄えて、店へ戻る羽目となった私だった。


******


「ふぅー! 今日もお疲れーはるちゃん!」


疲れを吹き飛ばすように、アイスコーヒーを一気飲みする武藤むとうさん。


時刻は十九時。いつものように仕事帰りから、こちらへ顔を出してくれたようである。


「やっぱりビールもいいけど、ここのアイスコーヒーが一番だねぇ!」


二十代のはずなのに、発言がまるで中年男性なのはいかがなものだろうか。


「まあ、こちらとしては悪い気はしませんが。会社の人と飲み会とか行かないんですか?」


「いやいや! 行くわけないでしょあんなの!」


ストローでグラスの中にある氷をかき回しながら、武藤さんが反論する。


「あんなのはね、上司のご機嫌取りか、同期の愚痴ぐちに付き合うかのどっちかよ? 何で仕事終わってからも、職場の人間といなきゃいけないのって話よ全く」


変なスイッチを私が押してしまったのか、武藤さんの愚痴が湯水のごとく溢れ始める。


「そういうのに参加しないだけで、付き合い悪いのどうのってさー! ほんっとイライラするんだよねー! まあでも、最近は何故か社内で神格化されて……誘われる事すらなくなったんだけど……」


そう話す武藤さんの表情は、どこか憮然ぶぜんとした様子。


「それはそれで凄いですね……」


陰でとやかく言う人間を仕事の技量で黙らせた、という事だろうか?


何はともあれ、武藤さんらしい話である。


「でも、確かに見た目が綺麗な人でなおつ仕事も出来たら、萎縮いしゅくしちゃいますよね」


「おやおや? はるちゃんが褒めてくれるなんて珍しいね」


「事実ですから。中身はさておき」


「ん? 今何かしれっと馬鹿にしなかった?」


さりげなく小声で言ったつもりだったが、どうやら聞き逃さなかったようだ。


「唐突に小説家になるとか言い出したり、発言や行動が時々残念だったりと……挙げればキリがありません」


「ぬぬ……はるちゃんめー……」


恨めしそうに私を見つめながら、不満を漏らす武藤さん。


「自分が男と良い感じだからって、調子に乗りおってー……」


「いや、別に良い感じではないですけど」


おそらく武藤さんは、あの花火大会の件について言ってるんだろう。


「良い感じでしょー! そんな二人きりで花火なんか見ちゃってさー! 青春しちゃってさーもー!」


どこか悔しがるように、そううなる武藤さん。


「確かに花火は楽しかったですが、それ以上でもそれ以下でもないですよ。あれから、特に何もないですし」


「えぇ!? 何もないの!?」


私の回答に、何故か予想以上に驚いた様子を見せる武藤さん。


そんなに驚かれる事だっただろうか。


「フツーそっから連絡先交換して、次のデートの予定立てて、ひと夏のアバンチュールと洒落しゃれむんじゃないの!?」


「そうなんでしょうか……?」


武藤さんの台詞に、あまり納得がいかない私。


それにしてもアバンチュールなんて言葉、久し振りに聞いた気がする。


「そりゃーそうよ! 高校生なんてそんなもんでしょ?」


「はあ……」


「ま、私はそんな夏を過ごした記憶はないんだけども」


口笛を吹きながら、無責任な事を言い始める武藤むとうさん。


「説得力がまるでないんですが……」


「まー良いじゃない細かいことは。これも年上からの助言だと思えば、それっぽく聞こえるでしょ?」


「どうやっても、年長者の失敗談っぽくしか聞こえないですけど……」


「はぁ……これだから頭のおカタイ人は」


溜息混じりに、呆れた様子で武藤さんがぼやく。


「まま、そんなことより! あの時何があったか、具体的に教えなさいはるちゃん」


「ここで集合して屋台で食べ物を買ったり花火を見たりして終わりました」


「おおう、そんな早口でまくし立てるってことは、何かあったね……?」


私の些細ささいな変化を見逃さず、にやりと嫌な笑みを浮かべながら武藤さんが呟く。


「……何もないです」


「花火の後に、違う花火打ち上げられちゃった?」


「打ち上げられてません」


「もしくは神社の裏とかで、MYねずみ花火を披露されちゃった?」


「されてません。というより何ですかMYねずみ花火って」


……前者はともかく、後者に至ってはまるで意味がわからない。


「そう聞くってことは、最初のネタの意味はちゃんと分かったってことだよね?」


にやにやしながら、そんなことを言ってくる武藤さん。もはや発言が中年男性である。


「……セクハラというやつですね、これは」


ジト目で武藤さんをにらみながら、淡々と言い返す。


「ほほぉ? 一体はるちゃんは、どんな想像をしたのかなー?」


「まあでも、はるちゃんもお年頃だし? 私もそれ位の頃には……こ、頃に……は……」


段々とトーンダウンしていき、次第に目がうつろになっていく武藤さん。


「ああ、思い出さなくてもいいことを思い出してしまった……」


どうやら過去のトラウマを思い出したらしく、両手で顔をおおい隠しながら悶絶する武藤さん。


正直に言わせてもらうと、ただの自爆である。


そんな中、私が返すべき言葉はこれしか思いつかなかった。


「なるほど、MYねずみ花火を披露されちゃったんですね」


「されてないわっ!」


結局、いつものように実のない会話をだらだらと続け、今日も夜が更けていくのだった。


******


「はぁ……」


思わず、溜息が漏れる。結構な頻度で溜息を漏らしていることを、一応自覚してはいるが中々なおらない。


武藤さんが帰宅し、店の中にあるレトロな時計が二十一時を差している頃。


最近、地味に客足が少ないことが悩みの種だったりする私は、カップを拭きながら今後のことを考えていた。


原因は恐らく、宣伝を一切と言っていいほどしていないこと。


立地的な問題や外観等がいかんなどが、きっと新規のお客さんが増えない理由だろうとも予想している。


「でも、増えたら増えたで私一人しかいないから、どのみち回せないか……」


これは思い切って、宣伝も兼ねてバイトの募集をしてみるか。


今までバイトを雇ったことがなく、もちろん誰かを教えるといった経験もなければ、後輩と呼ばれる存在も……。


「まあ、そもそも応募が来るか分からないし、それは来た時にまた考えれば……」


拭いていたカップを棚に片付け、私は深く考えるのを止めた。


とりあえず、おもむろにペンと紙を広げる。


「ポスター、か……」


いざ道具を広げてみたものの、一切レイアウトが浮かばない。


別段、デザインのセンスがあるわけでもない事を失念していた私。


今日は長い夜になるだろう、これは覚悟する必要がありそうだ。


******


「──なんとか、形に」


あれから夜が明け、現在の時刻はちょうど正午を迎えた頃。


結局深夜の三時までポスター作りに励んでいた私は、見事に昼頃まで寝過ごしてしまっていた。


カウンターで乱雑に放置されている紙束とペンの数々、昨日の奮闘ふんとうが思い出される。


「せめて片付けてから、寝るべきだった……」


やりっぱなしの状態を見るだけで、気分が滅入る。


深い溜息をこぼしながらも私は、ポスターやらペンを整頓し、掃除を始める。


「これで誰も募集に来なかったら……とりあえず武藤さんを恨みますか」


完成したポスターを眺めながら、そんなことを呟く。


店名、住所、電話番号、時給、待遇などを簡潔に書き、真ん中には馴染みやすさ目的の簡単なイラスト。


この店の看板マークでもある、開いた窓に寄りう二匹の黒猫のデザイン。


センスがないなりに試行錯誤しこうさくごし頑張った結果、シンプルこそ至高しこうという答えに至った。


「後は店の扉や商店街、電柱にでもこれを貼れば」


実際無許可で貼っていいものか分からないので、川を越えた先にある市役所にでも聞いてからやるとしよう。


やがて掃除を終え、私は一旦シャワーを浴びて着替えてから、ポスター片手に市役所へと向かうのだった。


******


「……やっと終わった」


市役所での手続きを済ませ、ポスターを貼り終えた私はお店でひと段落ついていた。


徹夜も相まって結構な疲労感であるが、これで客足が増えてバイトの人が見つかるなら、目をつむろう。


途中、コンビニに寄って買った野菜ジュースを飲みながら、そんなことを考える。


ちなみに現在は、開店中であるけれどもお客さんはいない。時刻は午後三時。お昼時を過ぎ、何とも微妙な時間帯ではある。


実は一応コーヒーの他に看板メニューとしてスパゲティがあるのだが、私があまり再現出来ず、強く推してはいない。


養父がいた頃は、いわゆるランチタイムと呼ばれる時間も結構客足があったので、おそらく私の実力が原因だと思われる。


これは少しずつ武藤さんに注文を促して、練習を図らねば。


そんなことを考えていたら、唐突に来店を知らせる扉のベルが鳴る。物珍しそうな様子で、辺りを見回しながら入店する少女。


「いらっしゃいませ」


変わらない態度でお客さんを出迎える。


「……あ」


思わず声に出てしまった。理由はもちろん、彼女に見覚えがあったからだ。


「あ、あんたはこの前の!」


相手も同じく見覚えがあったのか、同じような態度を見せる。


そう、以前面接に悩んでいた、あの不良少女である。


アドバイスを参考にしてくれたのか、髪は黒に戻っており、きちんと身なりも整えられていた。


「……ここで、バイトしてるのか?」


「えーっと……そ、そんな感じです」


一応店長代理であるけど、あえて私は伏せることにした。


「そうだったのか……いや、バイト募集の貼り紙をみて来たんだけども」


案の定と言うべきか。やはりバイトの希望だったようだ。


「ちなみになんですが……履歴書とかって」


「もちろん持ってきてるぜ!」


不良少女が、意気揚々と取り出した封筒をこちらに差し出す。


細い茶封筒の中には、丁寧に折りたたまれた履歴書がしっかり入っていた。


「あ、ありがとうございます」


一通り目を通したのち、とりあえずまずは面接をしてみようと決めた私。


「では、私が店長の代わりに面接しましょう」


「え? い、良いのか?」


「はい。代理ではありますけど、多分権限ありますし」


「そ、そうなのか……では、よろしく頼む」


テーブル席に着席を促し、私はそのまま向かい合わせで面接を始めることにした。


「さて……ええと、じゃあまずは名前からお願いします」


とは言え、私も面接をするのは初めてなので少しばかり緊張する。


「はい! さ、沢崎さわさき真夜まやだ」


「沢崎真夜さん……ですね。他に何かバイトの経験ってあったりしますか?」


名前が意外にも可愛いことに一瞬動揺するも、変わらず話を続ける。


「い、一応色んなバイトをやりはしたんだが、すぐクビになってな……」


歯切れ悪く、言いにくそうに沢崎さんが呟く。


「差しつかえなければ、理由とか聞いてもいいですか?」


「く、口調とか……生意気な客を……しばいたりとか」


「し、しばく……?」


あまり日常で聞き慣れない言葉に、違和感を覚える私。


というより、身なり以外にも原因があったのか。


「舐めた男に貧乳だと馬鹿にされてな、つい手が出ちまって」


「なるほど。それなら仕方ありませんね」 


思わず、強くうなずく私。むしろ、死してなお余りある罪とさえ思う。


「まあ……そんな感じで、まともに雇ってもらえないのが現状なんだ」


「そうですね……お客さんに敬語さえ使ってくれれば、私としては大丈夫なんですけど」


正直、敬語なんて練習していけば自然に身に付くものだと、私は思っている。


「敬語の練習をしながらと言うことで……試しに、ここで働いてみますか?」


「ほ、本当か! 俺を雇ってくれるのか!?」


「可能であればもう明日から、研修と言う形でいかがでしょうか?」


「あ……ありがとう! 精一杯頑張らせてもらうぜ!」


半ば涙目で感謝の意を表す沢崎さんに、やや引きつった笑みを浮かべつつも私は握手をわす。そこまで喜ばれるとは……。


──こうして、我がミニドリップに新たな従業員が増えたのだった。

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