男はつまり、こう言った

 私は個人で水道修理屋を営んでいる。何故この職に就いたかというと、水道というのは誰でも生活に欠かせないものなのだから、そこに関連する修理業者になれば食いっぱぐれることも無いと考えたからだ。


 実際、商売はうまくいっていた。大手と比べれば細々とした売上ではあるが、それでも毎月20件以上は必ず仕事が来る。地域密着型としてやっているので、リピーターが多いのだ。おかげで安定した収入を得ていた…のだが。


 ある年、このリピーターが激減する現象が起きた。理由は様々で、あるお客は「大手の方が都合が良くなった」とか、別のお客は「引っ越すのでもう頼めない」とか。他にも高齢のお客さんが亡くなってしまって、そこは独り身だったために家ごと取り壊しになった、というのもあった。


 何が理由だろうと、こちらからすれば仕事が減ることに変わりはない。仕事が減るということは、飯が食えなくなるということなのだ。これは大変だと頭を抱えていると、救いの電話ベルが鳴った。


 「はい、こちらシノハラ水道修理店!」


 「修理をお願いしたいのですが。排水管が詰まってしまったみたいで…」


 しめた、若い女性の声だ。老人だったらリピーターとなっても、病気やボケなんかで急にいなくなってしまう可能性があるが、若者がリピーターとなれば、かなりの間収入源になるぞ。これを逃す手はない。


 「詰まりですか!お客さんは運がいい。ウチはね、詰まりを直す技術にかけては日本一だと自負してるんです」


 「まあ、本当ですか?なら今日にでもお願いいたしますわ。住所は──」


 こうして仕事を取り付けた私は、作業着に着替え、工具箱をトランクに積んで依頼者の家へと向かった。


 指定された住所は郊外の、山の奥にあった。電話越しの声も品があったから、もしかしたら、どこぞの社長令嬢が使っている別荘なのかもしれない。こいつは面白くなってきた。もしそんな客に気に入られれば、もっと大きな仕事を依頼してくれるに違いない。そうなれば、願ったり叶ったりだ。


 ──車を走らすこと1時間とちょっと。目的地が近づくにつれ、山の樹々は生い茂って日を遮り、薄暗く荒れた道は怪しげな雰囲気を醸し出し始めた。けれど、この先に待ち望んだお客がいると考えれば、山道なんてなんのその。私の心持ちはとても明るいままだった。


 やがて道が開け、ヌッと大きな屋敷が出てきた。外観は中世ヨーロッパ風だ。昔何かの絵本で、似たような家を見た気がする。


 「こんにちはー!お電話いただいた水道修理業者の者ですが!」


 「はい、お待ちしておりました」


 ドアベルを鳴らしてしばらくすると、中から黒のワンピースを着た、いかにも貴婦人らしい妙齢の女性が現れた。どうやら、予想は当たっていそうだ。


 「早速ですが、修理する場所へ案内していただけますか」


 「ええ、洗面台の下ですの。洗面台って、歯磨きや顔を洗うのに毎日使うでしょう?それにお化粧も…なのに、水が流れないとなるとこれが不便で不便で仕方なくって…」


 「大変よくわかります。ですが安心なさってください。その為に私のような職があるのですから」


 「まあ、すごく頼もしいわ。では、こちらです──」


 よしよし、第一印象はOKだ。このまま彼女の心を掴み、離さないようにしないと。こういった営業トークこそ、仕事につながる大事な要素なのだ。


 彼女に先導され屋敷内を歩く。一目見た時から思っていたが、やはりかなり大きい。しかし部屋数が多いにも関わらず、どこも綺麗に清掃されているようで、埃っぽさといったものもない。


 けれど妙なのは、ここにきてから使用人の1人も見ていないことだ。こんなにも広い屋敷を彼女だけで住んでいるとも思えないのだが。


 「ここに使用人の方はおられるのですか」


 つい気になって口にすると、彼女は事情を話してくれた。


 「ええ、おりましたよ。といっても先日までで…実は使用人が辞めてしまいまして、今この屋敷にいるのは私一人ですの。なので次の使用人を雇わなければならないのですが、それがなかなか見つからなくて…」


 「そうなのですか」


 「前までは水道の詰まりもその使用人が直してくれていたのですが、彼が辞めた今、こうして貴方に頼むことに…」


 「なら、私はその使用人に感謝しなければなりませんな」


 「あら、どうして?」


 「彼が辞めたおかげで、こんな素敵な方から仕事を受けることが出来たんですから」


 「素敵だなんて、そんな…」


 少し臭すぎる気もしたが、彼女の照れて赤らんだ頬を見るに、好感を持ってくれたらしい。箱入り娘にはこのくらいのロマンティストの方がようだ。


 「つきましたわ、ここが詰まっている場所です」


 使用人の話を終えた辺りで、丁度よく洗面台がある部屋へと着いた。


 「ふむ、ここですか」


 さぁ、ここからが仕事だ。まず手始めに排水口のヘアーキャップを取って少量の水を出してみる。…流れない。ということは、これは配管内部の汚れが原因だろう。


 となれば、洗面台下の配管を掃除してやればいい。


 「下の排水管の、この上下に曲がりくねった部分。この部分を取り外します。よろしいでしょうか」


 一応確認を取る。たまに「配管を傷つけるな」なんて、トンチンカンなクレームを入れてくる輩がいるからだ。もしそうなった時は、汚れを溶かす薬剤を流し込む方法で対処することにしている。


 「やっぱり、下に何かが詰まってるんですの?」


 「恐らくそうでしょう。ま、大抵は汚れですな。掃除すれば、すぐ流れるようになりますよ。あまりに酷い場合は配管ごと交換しますが…」


 「あの、かなり汚れてるかも知れませんわ…私、そんなこと気にもせず色々流してしまいましたから…」


 分かってはいたが、彼女は悪質なクレーマーのようなタイプではなかった。


 「ははは、気にしないでください。職業柄、慣れてますから」


 工具を使って配管を取り外し、掃除を始める。ブラシを中に入れ…と、ブラシを持つ手にずしっとした重みを感じた。彼女の言った通り、相当量の汚れが溜まっているらしい。


 床を汚さないように敷いたシートの上へ、ゴミを出していく。最初出てきたのは髪の毛。定番の汚れだ。だが彼女のにしては幾分か短い。使用人のものだろうか。


 それに絡まって、ボトボトと、赤色のグニッとした何かが落ちた。これは何だろうか。……近しいものと言えば、そう、生肉のような。何故こんなものが詰まっているんだろう。


 疑問に思っていると、最後にコロンと何かが出てきた。


 ──…それは、眼球だった。紛れもなく。


 「ひっ」


 私は一瞬、息をするのを忘れ、次に止まった呼吸を再開すると、ガチガチと歯を震えさせた。誰だって、こんなものが出てきたらそうなるだろう。


 「こ、これは…」


 「あら、汚れが取れたんですね。よかったわ。困ってたんですの、使用人が詰まってましたから」


 彼女は動じず、ただそう言って冷ややかな目で肉塊を見つめた。普通じゃない。この女は、おかしい。


 「う、うわああああああ!!」


 私は彼女から逃げようと、半狂乱状態で、部屋から走り去った。


 「あら?お待ちになって…」


 誰がそんな言葉聞くものか。とんでもない所に来てしまった。屋敷の入り口から出て、車に乗り込もうとする。


 が、外に止めておいたはずの車がない。いいや、車どころか、登ってきた道すらない。周りに何もないのだ。四方にあるのは、断崖絶壁。そんな馬鹿な。なら私は、どうやってここへ来たのだ。


 「逃げられませんよ」


 振り向くと、女が立っていた。違う、女が宙を浮いていた。


 「あ、アンタ、使用人を殺したのか」


 「そうですね。彼は私の機嫌を損ねましたから」


 そう言うと、女の顔が、どんどんと老いていく。若々しかったはずの肌は、しわくちゃとした老婆のそれへと変化し、しゃんとしていた立ち姿も、腰が曲がって、身長が低くなった。黒いワンピースはそのままだが、その姿はまさに──


 「ありゃま、魔法が切れちまったか」


 ──まさに、絵本に出てくる魔女そのものだった。


 「ま、魔女…?嘘だ、夢だ。私は夢を見ているに決まっている」


 「ヒェッヒェッ、残念だけど本当だよ。若い姿をしていれば、誰かしら、アンタみたいなのが釣れる。使用人が粗相をしていなくなったら、こうして新しい人材を捕まえるって寸法さ」


 「し、信じられない…こんな邪悪な存在が現代にいるのに、どうして皆、騒ぎ立てないんだ」


 「そりゃあ、私に捕まった人間達はからね。でも安心しなよ、アンタは私を素敵と言ってくれたんだ。下手なことしなけりゃ、丁重に扱ってやるよ」


 ……こうして私は今、使用人として魔女の屋敷にいる。今のところは衣食住を保証されているが、少しでも機嫌を損ねたら、すぐにでも前任者と同じ運命を辿るだろう。


 「アンタが使用人になってくれたおかげで、水回りが快適で助かるよ…ヒェッヒェッ」


 魔女が声をかけてくる度に、私の心は凍りつき、震える。ああ、情けない。袋小路になった今こそ、詰まりを解消したいのに。童話にあるような逆転の発想も、土壇場の勇気も出てこない。私はなんて、男なんだろうか──。

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