隠された夫婦のカタチ
都内一等地の豪邸に、けたたましいブザーの音が響いた。
今日はどこぞの週刊誌の記者が「社長夫婦の私生活について取材したい」と連絡をしてきていたから恐らくはそれであろうと、屋敷の主人は考えた。
暫くするとやはり予想は当たっていたようで、客を取り次いだ使用人が主人達の部屋のドアを叩き、記者が応接室で待っていると伝えてきた。
「いいか、余計なことは喋るなよ」
「…分かっています」
報せを受けて成された2人の会話は、
「いやー、インタビューお受けいただきありがとうございます!」
ドアを開けると見た目30代くらいの軽薄そうな記者が1人掛けのソファから勢いよく立ち上がり、やたらと大きな声で感謝を述べた。
「ワタクシ、週刊突撃スクープのイイダと申します。今回は『社長夫妻の日常』という記事のため、○×会社の社長オニダさんと奥様であるホソエさんの日常生活について、5つの質問にお答えいただきます」
「うむ、よろしく頼む」
今、返事をした男が社長のオニダである。年齢は45歳、たった一代で会社を一流上場企業にまで押し上げたやり手の経営者だ。ガタイが良くハキハキと喋り、実績がそうさせるのか、それともこの様であるからこそ実績がついてきたのか、ともかく荘厳な印象を与える人物であった。
「…はい、分かりました」
隣に座ったのが社長夫人のホソエである。オニダとは10歳離れた歳下の妻で、彼とは対照的に痩せた身体と幸薄そうな顔をし、声もか細い。夫と対比するとそれがより際立って、余りの違いに、過去には夫にDVを受けているのではないかとか、オニダが財力で弱みにつけ込んで
実をいうと、現在取材を行おうとしている記者のイイダも、そういった黒い噂が事実であるやもしれぬと考えていた。なので、この取材中に何かしらのボロが出れば儲け物だ、とも考えていたのである。
「では、まず家事分担についてお伺い致します。普段はどちらが?」
「大体は妻に任せている。たまの休日に私も手伝うがな!」
「…!…ええ…そんな感じです」
イイダはめざとい男であった。ホソエが一瞬、眉を
「成る程、奥様が主体っと…。続いて、ご家庭でお仕事のお話はなされますか?」
何もない風を装って、記者は質問を続けた。
「いいや、話すことは無いな。仕事の話を家庭に持ち込みはしない」
「……わたくしが口を挟むようなことでは無いですから…」
またも、妻の言葉には含みがあった。やはり何かがこの夫婦にはある。記者の直感が、そう告げる。
「ふむふむ。仕事は持ち込まない…3つ目の質問です。休日にお2人で出かけることはありますか?」
ここでイイダは、用意してきた質問とは別の質問をアドリブで振ってみた。もし2人で出かけたことが無いと返答してくれれば、例えば妻を家で軟禁状態にしているとか、
「うーむ、余り無いな。1人で出かけるのはあるが」
「…そうですね、夫は外によく出ますが私は大体家にいます」
ビンゴだ。イイダは密かに笑った。疑惑が確信に変わったのだ。この夫婦は問題を抱えている。
「なるほどなるほど!…残りの質問は2つです。ズバリ、相手の嫌いなところはありますか?」
「なにっ?それは日常と関係あるのか?」
オニダが顔をしかめた。──しまった、踏み込みすぎたか。だがもっと厳しい修羅場を、記者人生の中で何回も潜り抜けてきた。この程度なら簡単に切り抜けられる。
イイダは頭を回し、口八丁手八丁で答える。
「ええ!我が雑誌の購読者の方々は、社長夫妻というものを自分達とは全く違う、ある意味人間では無い存在だと思っているのです。けれど私はそうは思いません。どんな職業であろうと、どんな立場であろうと人間は人間です。この企画はそんな庶民の思い上がりを正すために行なっているのであり、この質問は記事を読んでくださった人々に親しみを持ってもらうため、どうしても必要な質問なのです」
早口で唱えられた質問の意義に、オニダは多少たじろいだ。しかしそういうことであればと納得したのか、彼は穏やかに口を開いた。
「分かりました。それであれば、お答えします。けれど残念ながら、私は妻に何の文句もないのです。それはお世辞でも何でもなく、本当にできた妻だと思います」
イイダは内心ガッツポーズをした。我ながらなかなか良い言い訳だった。さて、夫はこう言うが妻はどうだろうか。もし彼女が虐げられているのであれば、SOSとして夫への文句が出てくる可能性が高い。
「奥様は如何ですか」
己の力で質問を通した喜びと興奮で、声がいくらか大きくなりながらも、重要である彼女の証言に耳を傾ける。
「そう…ですね…。…私も夫と同じです、嫌いなところなどございません」
しかし、返ってきたのは夫と同じような答えだった。期待とは違う内容に軽く気落ちした記者だったが、そこですぐ様あることに気づき、また元気を取り戻した。
ホソエは夫が何を言うか注意深く見ていた。それはつまり、彼が何かを言って自分を貶すのを恐れたのではなかろうか。また、もし先程の質問で、彼女が夫の嫌いなところを挙げたなら、この取材が終わった後に何をされるか分からないではないか。だから彼女は夫に合わせ、無難な返答をしたのだ。
「そうですかそうですか!いやいいんです、夫婦円満ならそれほど良いことはありません!さあっ、最後の質問です!社長、奥様に最近買ったプレゼントはありますか!」
もはやイイダは質問などどうでも良くなっていた。彼の心は別の問題に夢中で、しかもその結論を既に固め始めていたからだ。オニダ社長は妻ホソエに、精神的、肉体的なハラスメントをしているはずである、と。
「プレゼントか。最近買ったのはペルシャ
「そうなんですね!」
この時、彼の頭に一つの閃きが生まれた。
「すみません社長、絨毯の裏側を見てもよろしいでしょうか?」
「裏側?」
なぜ裏側を?と、オニダは当然の疑問を持つ。
「というのも、ワタクシ実は絨毯問屋の
「おお、そうなのですか。いいですよ。毎朝使用人が掃除をしていますし、埃もそんなに出ないでしょう。どうぞ、見なすってください」
素晴らしいもの、と言われ気をよくしたらしくオニダ社長は快く承諾した。
馬鹿め、絨毯問屋の倅など真っ赤な嘘だ。これでアンタの悪事が暴かれるんだ──。イイダは自分の体で死角を作り、左手でカーペットの端をめくりながら、右手で胸ポケットのボイスレコーダーを取り出し、録音ボタンを押してカーペットの裏に忍び込ませた。そうして、すぐに立ち上がると怪しまれるからと、ゆっくり見るフリをしてカーペットを戻す。
「ありがとうございます。とても勉強になりました」
「いえいえ、こんなことでよければ」
「それではこれで取材は終了です、ありがとうございました」
記者は鞄を持って立ち上がるとそそくさとドアまで向かい、軽くお辞儀をして取手を捻った。
「…玄関までお送りしましょうか」
「それもそうだな」
「お、お構いなく!お2人は慣れない取材でお疲れでしょうから、ここでごゆっくりなさっててください!」
2人が部屋から移動しようとするので、イイダは慌てて止める。ここに居てもらわなくては困るのだ。自分がここから立ち去った後、何か暴力や暴言がここで振るわれれば、それが証拠になるのだから。
「あら、そうですか…」
「では、お言葉に甘えさせていただきます。使用人だけお呼びしておきましょう──」
社長がベルで使用人を呼び、その使用人に促されて玄関に移動する。危なかった、違う部屋に行かれたら計画がパーだ。胸を撫で下ろし、記者は外へと出た。
──30分後。イイダは屋敷に戻ってきていた。「旦那様をお呼びしますか」という使用人に「忘れ物をしただけなので、自分で取って帰ります」と告げて応接室に入り、ボイスレコーダーを回収する。予想外にすんなりといき、思わず顔がにやける。
「ありがとうございました、ありました」と、彼は使用人に挨拶をして屋敷から離れた。そして会社に帰る途中、道すがらにあった喫茶店に入るとレコーダーにイヤホンを挿して、録音した音声を早速再生しだしたのである。
すると、そこには次のような音声が入っていた──。
「…やっと帰ったなあの記者」
「ええ…そうですね」
「でよぉ…余計なこと言うなって言ったよな?…何なんだあの受け答えは!もっと上手くできただろうが!」
「ヒィッすみません!」
「家事も『自分がちょっとやってます』アピールしてんじゃねえよ!私が全てやってることにしろ!」
「で、でも、本当にやってるのは自分で…」
「あぁ!?言い訳すんのかテメェ!」
「いいえ!滅相もございません!」
「あと次に仕事のこと!『良き妻に支えてもらってます』とか言えねえのか!?」
「しゃ、社長は自分の方で…」
「私が経営に口出してやってっから上手くいってんだろうが!…それに『嫌いなところを言わなきゃいけないのか』ってしかめっ面すんじゃねーよ!私が怖がらせてるみてえじゃねーか!」
「そ、そんなつもりは…!」
「口答えをするな!」
「あっ、痛い!殴らないで!」
「…いいか、次取材が来たらもっと上手くやるんだぞ!」
「はい…」
「声が小さい!!」
「はいっ!!」
「わかったらさっさと買い物行ってこい!勿論1人でな!」
「かしこまりました!!」
──イイダは目を丸くした。たしかに、暴力も暴言もあった。けれどまさか、妻の方が夫を虐げているとは。
しかしこの夫婦の形は、ある意味庶民に最も親しまれやすい姿…なのかもしれない。
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