遠くの灯り
大垣
遠くの灯り
僕が高校生の時のことである。
僕と斉藤と近藤は昼過ぎに卒業式が終わると、自転車に乗って高校を後にした。正門には写真を撮り合ったり泣いて抱き合ったりする人たちがいた。僕ら三人は高校に居てもこれ以上することがなく、クラスの打ち上げに参加するような柄でもなかったので、やはり帰り道につくしかなかった。
僕たちは何となくそのいつもの帰り道を惜しむようにゆっくりと自転車をこいだ。
「終わったな。」と斉藤が言った。
「そうだなぁ。」と近藤が返した。
前を走っていた僕は何も言わなかった。
○○はどうだった?高校生活はと、斉藤が車の音に負けないように少し大きな声で僕に聞いた。
「まあ悪くはなかったんじゃないか。」と僕も声を大きくして言った。
「うん。総じて言えば良かった気がする。ただな…。」
「彼女が居なかった。」
斉藤の言葉に近藤が付け足した。
「そう。それなんだよな。」
目の前の信号が赤になって、僕らはブレーキを軋ませて止まった。
斉藤は風で乱れた前髪を整えた。斉藤は僕らの中では幾分オシャレだったが、その努力も虚しく女の気配は三年の間で僕と近藤と同じようにまるで感じられなかった。
僕はサドルから尻を下ろして腕をハンドルに乗せてもたれ掛かった。
「このまま帰る?」
「いやどっか行こうぜ。」
「どこに?」
「そうだなぁ。近藤、どっかあるか。」
「ゲーセンはこの間潰れたんだ。」
卒業式の帰りにゲーセンって悲しすぎないかと、僕は笑って言った。近藤はゲーム・センターに足しげく通っていたのでその未練だろうと思った。
「卒業式の後にカラオケっていうのも何かワンパターンすぎるな。」と斉藤が言った。
信号が青になった。僕はまたサドルに乗っかった。
「このままだと家に着いちゃうぜ。」
じゃああそこの公園で作戦会議しよう、と僕は言った。
公園には大きな宇宙船の形をしたジャングルジムのような遊具とブランコ、それに粗末な滑り台があるだけで、あとは雑草が疎らに生えた空き地が広がっていた。遊具はどれも塗装が剥げ錆びついていた。
僕と近藤は僅に黄緑の若葉をつけ始めた大きなケヤキの木の下にあるベンチに座った。斉藤はリュックをベンチの側に放ってブランコに座った。
僕らはそこで一、二時間ばかり無駄話をした。高校生活の面白かった出来事をはじめ先生のことや、友達のこと、進学先の大学のことなど色々な話をした。
「さて、どうするか。」
一通り話終えたあと、近藤が言った。
斉藤はブランコを大きくこいでいる。規則正しく軋んだ音がする。
「何かねぇか。やり残した事とか。」
卒業式という特別な日になってみても、三人に急に何か変化が起こるわけではなかった。それでも僕たちはこの日を特別な日に無理矢理にでも仕立て上げたかった。それが思い出というものだった。僕はしばらくして、ふとあることを思い出した。
「そうだ。一個あった。」
「何?彼女ならもう遅いぞ。」と斉藤はブランコをこぐのを止めて言った。
「そうじゃない。そうだけど。いや大したことじゃないんだ。俺の家の自分の部屋でさ、夜寝る時に電気を消した後、寝付けなくて一度起き上がることがあるんだよ。中国の詩にそんなんあったな。『起座して鳴琴を弾ず』みたいな。知ってる?そんな感じで起き上がって真っ暗な部屋から窓の外を見るんだ。そうすると周りに明るい建物もないから星空がよく見える。それも結構綺麗なんだけど、でもそれとは別の地平線の方に、チカチカ規則正しく点滅する大きな光があるんだ。勿論人工物で、多分工場か何かの灯りだと思うんだけど、俺はそれをいつもぼんやり見てるんだよね。それでいつかあれが光る場所に行って、その光ってるものが何なのか見てみたいと思ってたんだ。」
僕はそう言った。
「…それが高校生活の未練か?」と近藤が言った。
僕もしょうもないことだと思った。でも斉藤がやり残したことと言った時に、最初に出て来たのがこれだった。
「まあいいんじゃないか。他にすることもないし。」と斉藤が言った。斉藤はいつのまにかブランコから降りていた。
「それどこらへんだ?」
「工場があるとこだから方角的にも海の方だろうな。✕✕町の方。」
「あっちかぁ。チャリで行けるか?」
「まぁ何とかなるだろ。遠いけど。」と僕は適当に言った。
よし行こう、と斉藤がバッグを手に取った。
僕たちはとりあえず自転車に乗って走り始めた。
「道、分かるの?」と近藤が聞いた。
まぁ適当に向こうの方に向かって走れば海に出るだろ、と僕はまた適当答えた。
知っている道ではあったが、自転車で走ったことは余りない。僕らはただひたすらに海と思われる方向に向かって自転車を一生懸命漕いだ。途中大きな下り坂があって、帰りにまたこれを登るのだなと思うと少し億劫な気持ちになった。
さらにまた小一時間ほど自転車を走らせると✕✕町に入った。✕✕町には有名な進学校の高校があって、ここに入った中学の友達はどこに行くんだろうかと横を通り過ぎる時に少し考えた。
「はぁ疲れたな。」と斉藤が言った。僕も近藤も一緒だった。
「俺たちは一体何をしているんだろうか。」
「分からん。」
✕✕町に入ってさらに自転車を走らせると、港へと続く看板が現れた。風に乗って仄かに潮の香りもした。もう日が傾き始めていて、空が段々と暗くなってきた。
「多分もう少しで海だぞ。」と僕は言った。
「○○、あれじゃないか。」と斉藤が言うと、僕は斉藤が指を指す方向を見た。そこには工場の大きな建物があり、煙突が何本か伸びていた。
「そうだ。きっとあれだ。よし、あれを目指すんだ。」
僕はそう言って先頭を走り出した。
しかしそれは見た目よりも距離があって、いよいよその工場の近くまで来ると、日が落ちて辺りはすっかり闇に包まれてしまった。道も悪くなり、暗い松林の間の舗装されてない坂道をなんとか自転車を押して上がった。
そしてとうとう工場の足元に着いた。
「あれ。」と僕はそこで言った。
工場は何故か夜になっても真っ暗で、稼働している様子が全く見られなかった。煙突から煙も出ておらず、光るものも何一つ無かった。ただそこには蔦を巻き付けた古い樹木のように、いくつものパイプが張り巡らされた巨大なぼんやりとした黒い物体が僕らを見下ろしているだけだった。
「電気点かねぇじゃねぇか。」と近藤が言った。
「うーん。そうみたいだ。これじゃ点滅してたのがこれか分からないな。」と僕は返した。
「本当に何しに来たんだろう。」と近藤がまた言った。
「まぁ元々どうでも良いことだったからどうでも良いっちゃいいんだけどな。」と斉藤が言った。
「よし、海を見に行こう。」と僕は言った。
「よし。」と二人も言った。
僕らは適当に自転車を停めた。もう既に海を見ることしか頭になかった。点滅する灯りの正体なんてものはまるでどうでも良かった。
松林の砂地の道をスマートフォンのライトで足元を照らしながら進み、堤防の階段を上がると、海に出た。太平洋だった。僕らは一様に声を挙げた。
そこにあるのはどこまでも続く闇だった。果てしない闇だった。それが海だと判断出来るのは強い波の音と潮風のおかげだった。
「怖い…。」
僕はその得体の知れなさに恐怖を覚えずにはいられなかった。三人の小さな高校生に比べるとこの暗黒は余りにも力強く巨大だった。僕ら三人はしばらく同じような感嘆の声を発しながら黒い海のエネルギーを体で感じていた。
「着いたな。」と斉藤が言った。
「ああ、凄い。」と僕は言って、堤防に腰を下ろした。近藤は写真を撮っていたが何も映らない気がした。
「何かこう、叫びたくなるな。」と斉藤が言った。
叫べばいいじゃないか、誰もいやしないんだと僕は言った。近藤もそうだと言った。そうすると斉藤はそうだなぁと言って少し考えると、ふと何か決心したような顔をしてから、
「ルーカース!!元気かぁ!!」と叫んだ。
斉藤の声は波に揉まれて海の中へと散った。
「誰だよ。」と僕は聞いた。
「一年の頃急にアメリカに行った瀬良ルーカス。この海の向こうがアメリカだと思ったら何か出てきたんだ。」
僕と近藤は心底どうしようもなくて笑った。斉藤も笑った。
それから僕ら三人は近くの自販機でコーラを買い、また堤防に上ってそれを飲みながら春の暗い海を前にしてしばらく談笑した。海の上に星がたくさん浮かんだ頃に、僕らは話すのにも満足して、また自転車に股がって来た道を帰った。
途中で腹が空いたので牛丼屋で飯を食った。帰りが遅くなるとそこで初めて親に連絡した。制服に少し潮の匂いが移ったようだった。
ただそういう話である。僕は実家に帰り、寝室の窓からあの点滅する灯りを見ると、今でもこの時の事をはっきりと思い出す。
遠くの灯り 大垣 @ogaki999
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