【4/2TAMAコミサンプル】聚合怪談 怪_七本目

丑三五月

七本目 飼い犬

 動物好きなA君は、小学校三年生の頃両親から誕生日に一匹の仔犬を貰った。真ん丸な瞳と茶色の毛並みが可愛らしい彼の相棒はマルと名付けられ、その日から家族の一員となった。

 最後まで大切に世話をすること、という両親との約束をA君はよく守った。毎日の餌やり、散歩は勿論欠かさなかったし、休みの日にはマルを連れて公園に向かい、日が暮れるまで良く遊んだ。

 そんな彼が小学六年生になると、授業の数も増え家に帰る時間が遅めになったので、必然的に夕方のマルの散歩も遅めになる事が増えた。

 それでもA君は日課を諦める事は無かった。マルとの時間は彼にとってもかけがえのないもので、どんなに遅くなってもマルとの散歩の時間は欠かさない。そんな彼をむしろ、マルを大切に育てる事と約束を取り付けた両親の方が心配する程だった。

 冬が近付くと日が落ちるのが早くなる。その日も学校から帰って手早く宿題を終わらせ、散歩に出掛けようとマルのリードを用意していたA君を心配した母親が、今日は流石にもう外が暗いからマルには悪いけど近道して帰ってきてと言った。

 A君は始め少し納得がいかなかったが、まあ確かに外も大分暗いし、自分も少し不安に感じるくらいなので母が心配するのも無理はないと考え直した。なので、言われた通りに何時もの散歩コースを外れて、あまり通ったことの無い道へ入っていった。

 何時も通らないその道は、街灯は所々にあるものの何処か閑散としていて、日が落ちてから通るには何となく嫌な雰囲気だった。これといって理由は無いのだが、なんだか気味が悪く感じたので、A君は早く通り抜けてしまおうとマルを急かして先へ進む。

 しかし、道の中頃まで差し掛かった時、急にマルが歩みを止めて動かなくなったので立ち止まることになってしまった。

 マルは普段から聞き分けのいい賢い犬だった。A君がおいでと言えば直ぐに駆け寄ってきたし、お手やお座りといった簡単な芸も披露出来た。なので、A君が進めと言えばきちんと言う事を聞く筈だ。なのに今日に限って、マルは一度歩みを止めた場所から動こうとせず、普段は殆ど見せない牙を剥き出しにして唸り声を上げていた。

 一体どうしたんだとA君は何度もリードを引っ張ったがマルはビクともしない。

 困り果てたA君はマルに歩み寄って同じ目線に屈む。最悪抱き上げて進むしかないと考えていた時、マルが自分ではなくて何か別のものを見詰めて唸っていることに気が付いた。

 屈んだ状態のA君は、マルの首輪に手を添えたまま彼の視線が示す方向へ向き直す。そこには一軒家の庭があった。

 その家は道路に面した側に小さな庭と、コンクリートで固められた駐車スペースがある。A君は少し前この家に来た覚えがあった。買い物に出掛けると母が車を出した時、ついでに自治会の手紙を置いていくと立ち寄った家だ。

 車で待っていたA君は、その時窓から母の様子を見ていた。母が玄関のチャイムを鳴らすと、暫く経った後顔色の悪い男が出て来て、何らやら会話を交わした後、ひったくる様に母の手紙を受け取ったのを思い出した。その時にもあまり良い印象を抱かなかったが、今その家は薄暗い闇の中に輪郭を溶かしてぼんやりとそびえ立っていた。

 マルと一緒にその家を睨み付けていると、コンクリート製の駐車場の隅の方に犬小屋が置かれている事に気が付いた。前に車で来た時は家主と母のやり取りに気を取られて全く気が付かなかったが、どうやらこの家でも犬を飼っているらしい。

 犬小屋はそこそこの大きさで、中型犬のマルより大きな犬が入りそうなものだった。よく見てみると、小屋の周りには食べ散らかされた餌のカスや、大きな糞が幾つか転がっている。そんな劣悪な様子に余計眉を顰めた。この家で飼われている犬は可哀想だなとA君が思っていると、丁度その犬小屋からのっそりと何かが出て来るのが見えた。

 そいつは大型犬にしては平らな顔をしていて、体毛も生えておらずつるんとした見た目だった。

 前足をひょこひょこ動かして前に進んで来て、ごつごつとした骨張った背中が現れる。後ろ足が普通の関節とは逆向きの変な方向に折れ曲がっていて、尻尾は無かった。

 マルの唸り声がますます大きくなる。その唸り声が妙に遠くに聞こえた。どくどくと脈打つ心臓が送り出す血液が流れる、ごうごうとした音が耳の中で響く。

 ついにそいつがくるりと此方を向く。落窪んだ眼窩にはめ込まれたぎょろりとした目の黒目はあまりに小さく、鼻はただ二本の筋しか空いておらず、大きく裂けた口がニンマリと笑みに似た表情を浮かべていた。

「わぅ」

 そいつが低い鳴き声らしきものを上げた瞬間、狂ったようにマルが吠え出した。んーっんーっという唸り声と同時に口の端からヨダレを垂らしながら、そいつはその家を囲っていた黒色のフェンスに何度もぶつかる。明らかに此方に狙いを定めていた。

「マルおいで!」

 やっと我に返ったA君は、元来た道へ逃げる為マルを促す。幸い、その指示をマルは素直に聞いてA君とその愛犬は一目散に踵を返して走り出した。背後からはあの黒いフェンスが軋むガチャガチャという音が響き続けていた。

 もう散歩所ではなくなってしまった彼らはそのまま真っ直ぐ家に帰って、顔色が悪いA君を心配する母の声を尻目にリビングで抱き合って震えた。その日A君は普段外に居るマルを自室に招き入れて、二人で寝る事にした。

 冷静になってくると得体の知れない恐怖は尚増した。

 あの明らかに犬ではない生き物は一体なんだったのだろう。何故あの男性はあんなものを飼っているのだろうか。どんなに考えても答えは出なかった。

 一晩過ごして、まだ自分を心配している母にあの家の事を聞こうかとA君は考えて、結局出来なかった。なんだかこれ以上深く関わってはいけない、そんな風に思ったのだ。

 それからA君とマルは、どんな時間になろうとも散歩の時あの道を通ることは無かった。そんな風にあの道を避けている間に、いつの間にかあの家は売りに出された様だ。

 それから時は過ぎてA君も大学生になり、仔犬だったマルも大分歳をとってきてあまり遠くには行きたがらなくなった。しかし、どんなに近道になろうとも、二人は今でもあの道は通らないそうだ。

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