あの世の手前のティールーム

天西 照実

第1話 アフタヌーンティー


「……あなたは、誰?」

 女性は、向かい側に座る少年に聞いた。

 それを聞いてから女性は、灰色のソファに座っていることと、その場所が小さな白い部屋だということを理解した。

「僕は角無つのなおにです」

 と、少年は答えた。

「鬼っ?」

 女性は慌てて聞き返したが、角無し鬼という少年はにっこりと笑って、

「あぁ、安心して下さい。ここは地獄ではありません」

 と、言った。

 『角無し』と言う通り頭に角は見えないが、翡翠ひすい色の肌に苔色の髪、苔色の瞳。確かに、鬼と言われてしっくりくる少年だ。灰色の衣に身を包み、痩せた少年は大きなソファにゆったりと座っている。

 一人用と思われる大きなソファに座る少年と、黒く艶やかな大テーブルをはさんで女性も少年と同じ大きさのソファに座っている。

 少年の姿を見て色々と理解してしまった女性は、

「これから……地獄へ行くのね」

 と、言って、肩を落とした。

 しかし、角無し鬼という少年はきょとんとして、

「おや、何か悪いことでもしましたか? 地獄へ行くか極楽へ行くか、それとも別の場所へ進むのか、それはこれから通る冥界めいかいでわかることですよ」

 と、言った。

「……そうなの? 私、お葬式に出席したことはあるけど、初七日? とか、何をするとかどうなるとか、ちっとも知らなくて……常識なんかも不勉強で、まさか急に死んでしまうなんて思ってもみなかったから。これからどうしたら良いのか、わからないんです」

「そういうのは人によって違うものですから、生前に学習の必要なものじゃありませんよ。まぁ、今は先のことはお考えにならず。アフタヌーンティーでもいかがですか?」

 角無し鬼がそう言うと、先程まで何も置かれていなかった黒いテーブルにティーセットが現れた。

「あらっ?」

 赤い花柄のティーポットと、ソーサーに乗ったティーカップ。大きな飾り皿には、香ばしいスコーンも盛られている。

 小柄な角無し鬼は身を乗り出すように立ち上がると、ティーポットからカップに紅茶を注ぎ女性の前に置いた。

「わぁ、喉カラカラだったんです。お腹も空いていたし。いただいても?」

「どうぞ。召し上がって下さい」

 女性は、そっとティーカップを口へ運んだ。

「美味しい紅茶ね」

「アールグレイにしてみました」

「ここは、どこなんですか」

 ティーカップを両手で持ちながら、女性は改めて部屋の中を見回した。

 部屋の中には、ソファと黒いテーブル以外に何も無い。左右の白壁には、何も絵の入れられていない白い額縁だけが飾られていた。

「ここは、懺悔室ざんげしつです」

 角無し鬼は言った。

「懺悔室?」

「はい」

 女性はティーカップをソーサーに置いて、

「――あなた、閻魔大王だったの?」

 と、目を丸くした。角無し鬼も同じように目を丸くして、

「へっ? 違いますけど?」

 と、聞き返した。

「じゃあ、閻魔大王の手下ね。自覚している罪を言わせて、後で自覚してない罪を映し出して裁くみたいなんでしょ」

「あぁ、いえいえ。違いますよ。ここは懺悔室なんて名前ですけど、裁きとはあまり関係ないんです」

 少々幼い笑顔を見せて、角無し鬼は言った。

 もう一度ティーカップに手を伸ばし、女性は、

「そうなの?」

 と、聞いた。

「はい。告白部屋や、相談室と呼ばれることもあります。僕は勝手にティールームなんて呼んでいるんですけどね。ここは、未練が残っていたり、逝き先がわからなくてこの世に留まっている死者のために、あの世と言われる冥界が置いた部屋なんです。裁きの一切は冥界に行ってからなので、ここはまだ、この世管轄なんですよ」

「へぇ……あの世って、そういうお役所的なところもあるのね」

「まぁ、そういうところもあるんです」

 角無し鬼が苦笑している。

「あ、スコーンもどうぞ。添えているのはラズベリージャムです」

 スコーンの大皿と同じ絵の器に、生クリームと真っ赤なジャムが満たされている。女性の前には、小さな取り皿も用意されていた。

 角無し鬼は木製のトングでスコーンをひとつ、女性の前の取り皿に置いた。

 手にしてみると、スコーンは焼き立てのようで温かかった。女性はスコーンを指先で割って、かけらをひとつ口に入れた。

「わぁ、美味しいですね。あなたが焼いたの?」

「いいえ。スコーンの作り方までは知りません」

 小さく割ったスコーンに生クリームやラズベリージャムをのせ、女性はパクパクとスコーンを口へ運んだ。

「ジャムも美味しい。じゃあ、どこかで買って来るのね」

「いいえ。死者に振舞う物ですから、実物である必要はないんです」

 と、角無し鬼はティーカップを持って答えた。

「……あら。美味しいのに」

「はい」

「これ、実物じゃないのね」

「でも、硬さも味もあるでしょう? もうひとつ、いかがですか」

「いただきます」

 女性に差し出された取り皿へ、角無し鬼はトングでスコーンを置いた。

「美味しいわ」

「良かったです」

「紅茶もそうなの?」

「はい。死者は本来、物を口に出来ないですから」

 ゆったりとソファに座り直し、角無し鬼は小さく肩を落として見せた。

「そうね……私、死者なのよね」

 角無し鬼が静かに頷いた。

「終わっちゃったのねぇ、人生」

 しみじみと言う女性のティーカップに、角無し鬼は紅茶を注ぎ足した。注がれた紅茶を飲み、ふーっと息を吐き出す。

「つまらない人生だったわ」

 溜息のように呟いた。

「つまらなかったですか?」

 角無し鬼も、紅茶を口に運びながら聞いた。

「何も無かったもの」

「大きな事故や被害も無く、良かったじゃないですか」

 小さなスコーンのかけらに生クリームとジャムを乗せ、

「……まぁ、そう考えるとそうね」

 と、女性は言った。

「鬼さん、私の人生がわかるの?」

「多少は」

「そう。なら、退屈な人生だと思わない?」

 つまらなそうに言い、スコーンのかけらを口に入れる。

「同じ生活でも、穏やかと思うか退屈と思うかには個人差がありますから」

 と、角無し鬼は答えた。

「そうね。私も、平凡を穏やかだと思えたら、少しは楽しめたのかも知れない」

「僕は、平凡って好きです」

「そう? でも、こんな風に死んでから人生を振り返れるなんて、知らなかったわ」

「人によりますけどね」

 女性は、ふたつめのスコーンもきれいに食べ終えた。ゆっくりと紅茶を飲みながら、

「さっきまで頭がボーッとして何もわからなかったけど、なんだかスッキリしたわ」

 と、言った。

「それは良かったです」

「ここは、そういう場所なのね」

「はい」

「面白いわ」

 角無し鬼は、翡翠色の顔でにっこりと笑った。

「私、そっちのドアを通れば良いのよね」

「その通りです」

 女性が座るソファの後ろには、入って来たはずの大きな扉がある。そして向かい側の、角無し鬼が座るソファの後ろにも小さな扉がある。

 女性は角無し鬼の後ろの、小さな扉を見詰めている。

「あったかい紅茶で、お腹が温まったみたい。不思議ね。実物じゃないのに」

「死者が食べられるってこと以外は、実物と同じです」

「なんだか、最後に面白い体験が出来た気分なの。死んでしまってから、最後って言うのも変だけど」

「まだ、あの世の手前ですから」

 ティーカップに残った紅茶を大切そうに飲みながら、女性はもう一度、部屋の中を見回した。

「ここって、誰でも通る場所なの?」

「いいえ。多くの人は、自然と逝く先に流れて冥界へ辿り着けるんです。何か思い残していたり、気掛かりがあったり、そのままでは冥界へ行きたくない人だけがここへ来るんです」

「なら本当に私、平凡ではない所へ来たのね」

「そうなりますね」

「なんだか嬉しいわ」

 紅茶を飲み干し、女性は立ち上がった。

「行くわね。ありがとう」

「どういたしまして」

 角無し鬼も立ち上がり、背後の小さな扉へ歩いて行った。

 扉は、小柄な角無し鬼の背丈を少々超す程度の高さしかない。女性が扉の前に来ると、角無し鬼は扉を開いた。

 扉の外には、何も無かった。

 コピー用紙のような真っ白い空間の中に、ぷかぷかと浮かんでいるような部屋だ。両側の扉につながるものは何も無かったが、

「良かった。道がある」

 と、女性は言った。

「あなただけに見える道ですよ」

 と、角無し鬼は言った。

「そうなのね。私、この先へ行けば良いってわかるわ」

 にっこりと笑う角無し鬼に笑みを返し、女性は少々屈んで扉を潜った。

「ごちそうさま。紅茶もスコーンも美味しかったわ」

 白い空間の中に立つ女性に、角無し鬼は、

「良かったです」

 と、答えた。

 女性は白い空間へ歩き出した。

 周囲の白さに飲まれるように女性の姿が見えなくなると、角無し鬼は静かに扉を閉じた。


「衰弱死した女性。アフタヌーンティーで冥界へ」

 ソファへ戻った角無し鬼は分厚い本を開いていた。本の表紙には『懺悔日誌』と書かれている。

「えっと、死因は……」

 長い白羽根の軸に筆先の付いた羽筆はねふでを、指先で揺らしている。

「元々気力が薄く、平坦な日常を送っていた。一人暮らしで風邪を引いて、寝込みっぱなしになり衰弱。物欲も食欲も無く、よくわからない状態で衰弱死」

 懺悔日誌のページを見詰めながら、角無し鬼は呟いている。リズムでもとるように羽筆を揺らすだけで、真っ白な日誌に文字が並べられていく。

「彼女はただ、誰かと話をしたかったんだ。お腹が空っぽだったから、アフタヌーンティーで満足してくれた。紅茶はアールグレイ。お菓子はスコーンに生クリームとラズベリージャムを添えてっと。よし、懺悔日誌も書けた」

 先程までスコーンや二人分のティーセットが置かれていた黒いテーブルは、いつの間にか片付けられている。

 小皿にスコーンがひとつと、角無し鬼のティーカップだけが残っていた。

 角無し鬼はスコーンを手に取ると、小さく砕いてパクンと口に入れた。

「うん。美味しい」

 と、角無し鬼は満足そうに言った。

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