200X年の会話
近頃、歴史のIFを語る架空戦記なるものが流行っている。
「ハワイで第二撃を行えばエンタープライズを撃沈できた」「1942年前半にスリランカを占領すればインド洋封鎖が早まりロンメルがエジプトで勝てた」「ポートモレスビー攻略に成功すればソロモンは楽に勝てた」「ミッドウェーで利根四号機が定刻に飛び立てばアメリカ空母機動部隊を先制攻撃できた」としている。
それらは妄想であり、事実に反する。
歴史的事実に反したことを書き、「本当は日本は勝てた」とポピュリズムにおもねるデマゴークである。
現にあり得ない設定や奇をてらった話を盛り込んでおり、読むに堪えない粗雑な本が大半を占めている。
結局のところ、シミュレーションや史実を元にと名乗っていても金儲けのエンターテイメントであり、評価に値しない。
それに書かれていることを前提に話をするなど、歴史を学ぶ上では有害である。
一九九〇年代のとある論評より
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これは当時よくなされた架空戦記への批評だ。
確かに事実に反するし、小説としても読むに堪えない作品が多かった。
元々、作品数の少ないところにブームで需要が増えたこともあって、他のジャンルから大和や零戦を登場させればよいと考えて書いた人もいた。
アダルト小説のような話や、野球チームの監督がタイムスリップして日本軍を勝利に導くなんてトンデモ設定もあった。
今のなろう系にある転移やチートの話と同じで、「自分には隠された力がある」「最強の能力がある」「現代の知識を生かせば昔の時代なんて簡単に支配できる」とかと同じように見られても仕方がなかった。
だけど良質な作品、史実を元に当時何ができて何ができなかったかを書いた作品もあった。
そして良質なシミュレーションは歴史をよく学べる。
人は多くの選択肢があるし、様々なことを思い浮かべることができる。
だが、人の身体は一つしかなく、実行できることは一つだけだ。
だから何を選ぶか決める必要がある。
その点、シミュレーションは「その時何ができたか」「何を選択すべきか」を考えることができる点が良い。
特に全ての情報が手に入らない、いわゆる「戦場の霧」を考慮するのは重要で、その時、どんな情報を手に入れられたら良かったか考えるのは重要だ。
例えば、ミッドウェーの時、エンタープライズのドーントレス三十二機が母艦へ引き返す時、潜水艦ノーチラスを攻撃するため航行していた日本海軍の駆逐艦「嵐」を見て、その先に南雲艦隊がいると彼らは思ってしまった。
それは誤りで、彼らは結局燃料切れで引き返し、攻撃隊発艦後の赤城を攻撃した。
もし嵐が艦隊へ戻る時に見つかったら、歴史は変わっていたかもしれない。
それも攻撃隊を放つ前の四空母を襲い撃沈できたかもしれず、海戦後も健在だった飛龍、大破しても日本に帰還できた加賀のその後の活躍はなく、戦争の結果を大きく変えただろう。
まあ、そんな大敗北を元にした話なんてごく一部を除いて喜ばないので、売れないから架空戦記にはあまり書かれないテーマだね。
ここは彼らの言う通り、シミュレーション小説がエンターテインメントであり、読者に受ける作品でなければ売れない。
売ることを目的とした小説なので仕方ない部分はあるけどね。
それでも、「もしもあの時、嵐が機動部隊へ帰る途中でアメリカの攻撃隊が同行していたら空母が全て撃沈されたかもしれない。その後どうなったか」と想像するのは悪くない。
「そんなことは歴史的事実に反する。歴史にイフは不要」と彼らは言うだろう。
だが、そうなった場合、その後どうするべきか考えるのは不確かなこと、最悪の状況でいかに行動するかは大事だ。
もちろん論評の言う通り架空戦記はエンターテインメントだから、何でも史実基準だと面白みに欠けるので荒唐無稽な話になる。
それが弱点といえば弱点だ。
だが、これらの小説を元に、双方の記録を見てその時、何があったか、何をすれば良かったか分析するのも、その方法を学ぶのは有意義だ。
何より、その時代に何が問題で何ができたのか、教科書以上に知ることができる。
そして「何故、その人たちはそこに立っていたのか」「何のために立っていたのか」「そもそも何故立っていることができるのか」。
自分を省みるときにも、よく考える「何ができて、どのようなことができるか」「どのような能力を見つける必要があるか」を理解する方法を学ぶのに役に立つ。
歴史的事実は一つなのだから、「もし」などと仮定の話は無意味だと主張している。
だがそれは間違いだ。
歴史上の人物たちは、その事件を前にして幾つもの選択肢があり、その中から選んだのだ。
どのような選択肢があり、何故選んだのか知ることこそ歴史を学ぶ意味だ。
今後、私たちは不確かな未来において突如大きな選択を選ぶ場面が出てくる。
その時、過去の偉人たちがどのような考えで、どのような状況で決断したか学ぶのは、決断の際に大きな役に立つはずだ。
だからシミュレーション小説というのは未来の選択肢を想像する上で、役に立つと思う。
それに、ただ一つの歴史的事実というが、他にも道があったことも事実だ。
人々に幾つもの選択肢があるように、歴史的事件の当事者にも多くの選択肢があり、起きた事件は彼らが選択したからにほかならない。
そもそも、我々の今は歴史の偶然の重なりの産物だ。
何処か一つでも違っていたら到達しなかったかもしれない。
今の歴史的事実が何処か一点の偶然のために起こらなかっただけで、もしかしたら「イフ」の世界が現実となり、今の歴史が、彼らの言うトンデモなシチュエーションになっていたかもしれない。
だからこそ一方のイフを、「もしかしたらあり得たかもしれない未来」を考えるのは無意味ではないと思うよ。
某私大法学講師Tと学生の会話
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