被告の私、原告の私

橘士郎

判決

   

 食料が尽きた。一週間分の食料を毎週月曜に買い溜めしている私は、今日という日に外に出なければならない。玄関のドアを開け、日光を浴びて、アスファルトに溶け込みそうな程に溶けそうな体の形をなんとか保って生きなければならない。

 

 財布を持って、何とか人前に出られる程の恰好をして玄関前に立つ。靴は一週間前から一ミリたりとも動いていない。ひっくり返った安物のスニーカーが外出を拒んでいる気がしてならない。しかし、生きるためには外に出なければならないのだ。

 

 最後のひと押しを何回繰り返せばいいのだろうか。私のメンタルはドアノブに手を掛けるまでの間に半分以上が削られてしまっている。

 

 自分の部屋がどんどん狭く感じて、外に出た時には自分からたったの2mmが私に残された空間だった。

 

 顔を覆うマスクとの間に外気が入り込む。私はそれだけで尻込みしてしまう。何とか一歩、一歩と足を踏み出しては下を向いて携帯を見るフリをする。ここでながらスマホを注意してくるような輩と出くわすと最悪なのだが、今日は大丈夫そうだった。

 

 すれ違う度に私は携帯越しにその人間の事を盗み見る。人を観察するのが好きな訳でも無いが、ただそうせずには居られないのだ。

 

 スーパーに着くと、いつもはいないはずの所に中学生だか高校生だかの男女数人が集まって談笑している。

  

 できるだけ気にしない。そっちを見ない。私には関係ない。そう思いながら通り過ぎようとする。何とか入口に辿り着き二重の自動ドアをくぐろうとした直前、右手からドッと笑い声が起こった。何故だか分からなかった。分からないけれど、私は背中と言わず全身に妙な圧迫感を感じた。走りたい。走って逃げてしまいたい。しかし、それも叶わない。そうしてしまえば私は私をさらに苦しめる。だから垂れる冷や汗もそのままに、ガチガチにこわばった筋肉にさえ気付かないフリをしてやっとの思いで店内に入った。  

店内に入って、早々にトイレで吐いた。せり上がる感情の代替品の様に口から吐しゃ物があふれ出る。

 

 それから一時間、トイレに座り込んでは吐き続けた。普段からあまり食事を撮らない方だからか最初の十分で全てを吐きつくした様で、残りの時間は感情の起伏と共に嗚咽を繰り返すばかりだった。

 

 結局買い物には二時間の時間を要した。何とかカゴに大量のカップ麺と、申し訳程度の野菜を詰めてレジに並ぶ。

 

 自分の番が近づいていくにつれて私の横隔膜が痙攣を起こしているのが分かる。しかし不思議と吐くまでには至らなかった。いや何も不思議じゃないか。

 

 支払いを済ませて店を出たときには息も絶え絶えだった。たむろしていた生徒は居なくなりゴミが散らばっていた。そんな人間の残り香さえ私に対する圧力としては十分すぎた。同じく何も見ないふりをして家に帰る。道中も来た時と同じく、人目を窺いながら人目を避けて歩く。家に帰ったら、夜ごはんにカップ麺でも食べよう。そんな日常。


 —―――――


 そんな世界を、一人の人間である私は許容出来なかった。怠惰で不摂生。やる事成すこと全てが無意味で、そんな無意味に踊らされている私がいる。外側の世界を嫌うのに外側の世界に意味を求めている。結局私も一人の人間なのだ。絶対の神になんて成れる訳もない。だから、こんなことを気にして生きても無駄なだけ。こんな事なら親の遺産を少しでも残すために定職に着くべきだ。

 

 だけれど、しかしでも、私は裁判官であり被告でもあり原告でもあるのだ。

 

 だから私はこの結末を受け入れなければならない。いや、受け入れざるを得ない。


 風の止まった気持ちの悪い夜、大都会の喧騒の中屋上から街を見回す。誰にもばれずに他人を観察できることがこれほどの快楽なのだと知っていたら、私はもっと別の判決を下していたのかもしれない。


 しかし、もう遅かった。


 なぜなら眼下に広がる街の狂騒が全て私に向けられているもので、止まる救急車もパトカーも騒ぎ好きな住人も、私に対して感情を突きつけているから。


 最後に、私はこの誰に向けるでもない遺書を街に放るつもりだ。

 結局、私は自分の感情を知られるのが恥ずかしいけれど、私という人間を知ってほしいという欲にまみれたくだらない人間だったのかもしれない。

 

私も彼らと同じように生きられたのなら、どれほど馬鹿でいられたのだろうか。 

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被告の私、原告の私 橘士郎 @tukudaniyarou

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