『なまくら冷衛の剣難録』第五章第十話までの感想
『なまくら冷衛の剣難録』
作者 小語
https://kakuyomu.jp/works/16816927863238741872
シンベヱに騙された黒衣は春日邸に戻るも春日爾庵誠之助は凶弾に倒れていた。撃った者を追いかけ庭先へ向かい、小竜を手当する冷衛を見つける。「もはや沈黙を守る必要はないだろう」と言われて覆面を外す美夜。戦うことを止めない彼女を止めるすべもない冷衛は、人生の支えとなった小竜を守るべく、満身創痍になりながら必殺の一撃をかいくぐって胴を斬る。
大変長くなっております。
お時間許すときにでも、ごゆるりとお読みいただけたら幸いです。
黒衣は、律儀に冷衛の家に向かっている。
共闘してくれるシンベヱの云うことを信じていたのだ。
暗殺者を集めたのは春日爾庵誠之助。彼の集めた者ならば疑う余地はない、という考えで動いているのだろう。
彼女はいつ、住まいを知ったのか。
団子屋からの知らせのあと、雨天に脅しをかけさせてから冷衛が関わっていることを知ってから数日経過している。この間に調べたのかしらん。あるいは、もっと以前から知っていた可能性も。
黒衣は「冷衛がまさか今夜外出するとは」考えていなかったことに、もやっとした。
命が狙われていると知っているのだから、「不用意に外出することは考えられない」となるだろうか。自分の身があぶないと知った人間は、身を隠すか打って出るかの二つしかない。
ねぐらを変更する可能性もあったはず。
読みが甘いのではなかったかしらん。
シンベヱと黒衣は、春日爾庵誠之助に雇われた暗殺者だが、黒衣の方が直々に命令を受けて行動しているので、黒衣の方が格上と推測する。
望童子を冷衛に殺されて憤激していたシンベヱに殺させればよかったが、前回の広場での戦いで殺しそこねた黒衣に春日爾庵誠之助が殺せと命令を下し、ご期待に沿うようにと約束したからと思われる。
おそらくそれを知ったシンベヱは、自分が殺したいから嘘をついて横取りをした。
ということは、彼女は命令に対して忠実に行動しただけなのだ。
春日爾庵誠之助から殺せと言われ、シンベヱに家にいると教えられて向かった。独自の判断で行動すれば、命令を出した春日爾庵誠之助を逆らうことにつながる。言われるままに行動し、家にいなかったので「シンベヱに謀られた」と気づくのだ。
士郎次と擦れ違ったとき、「両者の間で剣閃が交差。駆け抜けた黒衣の背後で、士郎次が胸部から鮮血を噴出させ」斬られてしまう。
その後倒れてしまう。
彼は死んでしまったのかしらん。
春日爾庵誠之助が撃たれて死んでしまう。
彼が死んだそもそもは、三人を屋敷に入れたからだ。
御馬前衆の立場を利用して入ったからだけれども、士郎次は半年間の謹慎謹慎処分を受けている。
そう仕向けたのは春日爾庵誠之助。
なので、春日爾庵誠之助は謹慎中だと知っているはず。
そんな男が、自分の屋敷を訪ねてきたのだ。
警戒し、追い返さなかったのはなぜかしらん。
謹慎処分中でも「役目だから」と行動していいものなのか。
少なくとも、家で働いている者は士郎次が謹慎処分を受けたことを知らないから、そのまま権限により逆らわず家に入れたと考えられる。
でも主に確認するはず。
確認して入れたとしても、なぜ春日爾庵誠之助は「入れる必要はない」といわなかったのか。
シンベヱと黒衣に冷衛を殺させに向かわせているから、油断していたのかしらん。
そもそも、美夜以外の屋敷で働いている人は、春日爾庵誠之助の表の顔しか知らない可能性もある。
なにも知らずに働いている者の前では、おとなしく従う姿を見せる必要があったのかもしれない。
黒衣が駆けつけたときには、「鉄砲で撃たれたらしく、傷は胸に開いた穴だけである」と撃たれたあとだった。
小竜は、確実に殺しに狙ったよね。
相手の銃を持つ手を狙うでもなく、当たりやすい胸に当てている。
小竜の傷は、「左腕から血を流している小竜を支えるように、冷衛が寄り添って歩む」とあるように、左腕を撃たれたらしい。
小竜が冷衛を庇ったとはいえ、撃たれたのが左腕。
春日爾庵誠之助の銃の腕前は、良くなかったのかもしれない。
それにしても、直撃か、かすっただけか。
「この傷なら治る! 大丈夫だ、しっかり気を持つんだ!」「傷自体は致命傷でないが、失血が小竜の体力を摩耗させているらしい」
太い血管にでも当たって、出血がひどいのだろう。
互いに至近距離での発砲なので、貫通しているかもしれない。
銃弾や火薬、鉄砲の性能によってかわるからなんとも言えない。
小竜の「冷衛さん、私、人を……」の言葉にもやっとする。
彼女が登場したときから、なにか引っかかる。最後まで読んでから考えよう。
「遅かったな。残念だが、爾庵殿は亡くなられた。こちらには殺すつもりはなくて、ただ爾庵殿が悪あがきをされたというのは分かってもらいたい」
冷衛は開口一番、遅かったなといっている。
もっと早く現れると思ったのだろう。
ということは、シンベヱがいった黒衣は家に向かっている話を、冷衛は信じていなかったのかもしれない。だから、屋敷に入った時に「冷衛はこのような形で美夜と鉢合わせすることを恐れていたが、幸運なのか美夜が姿を現すことは無かった」と思ったのだ。
シンベヱが口にしたのはハッタリで、春日爾庵誠之助を守るために屋敷には美夜がいるはずだと。でも案内してくれたのは美夜ではなかった。でも屋敷内にいるかもしれない、と思いながら執務室に入ったのかしらん。
きちんと「殺すつもりはなく」と正当防衛を主張している。
「もう沈黙を守ることもないだろう。素性を隠す必要はなくなったのだからな。……そうだろう、美夜殿」
雇い主である春日爾庵誠之助は死んだから、顔を隠す必要もないということだろう。このとき冷衛はどうするつもりだったのだろう。
争いはもう止めましょうと諌め、裁きを受けるよう説得するのだろうか。
公国の法律がどんなものかわからないけれども、首謀者はすでに亡く、真人を殺害した美夜は死罪は免れないかもしれない。あるいは、内務大臣の関与を裏付ける証拠を知っているのならば、情報提供をすることで処罰の軽減があるかもしれない。
でも、そういった知識なり交渉を冷衛ができるかどうかわからない。それができるのは、士郎次だろう。
闘う理由がないが、美夜の生きる望みもなさそう。
剣で戦うことになるのかしらん。
黒衣が美夜だと気づいたのは、「昼に料理屋で面と向かって座ったとき、あなたは自身の右側に花を置いた」のがきっかけだったとある。
つまり冷衛は、今日の昼まで黒衣が誰なのか考えたこともなかったのだ。
二年前に戦った後、先夜広場で再戦するもすぐに退散しただけ。
自分が負けた相手に、今度こそは勝たねばならない。
黒衣にどう勝つのかが大事であり、正体は二の次だったのだろう。
「美夜殿は昔剣を習っていた。不運にもその才能が並外れていたのを、爾庵が利用して刺客に仕立て上げたということか」
「そのようなものです。ただ、私は閣下のお役に立てるなら、どんなことでもできると思いました。それだけ閣下のことを尊敬していましたから」
春日爾庵誠之助に引き取られて彼に習わされたのかもしれない、と邪推してみる。
彼女が両親をなくしたのが五歳のとき。
それ以前に彼女の剣の才能があると聞いていた春日爾庵誠之助は、自分の手駒に使おうと彼女の両親が死ぬような状況にさせ、彼女を引き取り、実の親子のように面倒見ながら言うことを聞くよう育ててきたかもしれない。
そうでないと、「構いませんわ。私は閣下のために働けて幸せでしたもの」なんて言わないのでは、と思えてくる。
冷衛と戦う理由が語られている。
「私、小竜さんのことを愚かだと思っていましたの。仇討ちだなんて、下らないことを考えるものだ、と。……ですが、今になってその気持ちが理解できました。大切な人を奪われて、許せるはずがありません」
話の流れだと、春日爾庵誠之助を殺されたから、仇討ちで殺した小竜を殺すし邪魔する冷衛も殺すのだ。
最初読んだとき、そうではなくて、別なことを考えた。
自分が好きな冷衛を殺さねばならなくなった美夜は、だったらいっそのこと他人(シンベヱ)の手でなく自分が、と住まいを襲いに行った。が、留守だったから引き換えしてきたのだ。
忠義を捧げてきた春日爾庵誠之助を殺され、殺害した小竜を狙うのもわかる。けれども、この女(小竜)がいなければ春日爾庵誠之助は死ななかったし、冷衛も巻き込まれることもなければ命を練らわれることもなかった。
なにより、知らない女(小竜)が、自分の好きな男を金で雇って使って、美夜の平穏を壊しに来たのだ。「この女だけは絶対許すもんか」と腹の中は煮え返っているのではないかしらん。
だから、春日爾庵誠之助を殺されたからというのは口実なんだろうなぁと思った。
「私は小竜さんを殺します。それを邪魔する者も、容赦なく斬るでしょう」
もし冷衛を斬ったら、美夜は自害すると思う。
憎い女(小竜)を殺して、今生では一緒になれないならせめてあの世で一緒に、と思うくらいの覚悟を抱いてるに違いない。
なのに、
「……邪魔させてもらう」
と冷衛に言われてしまう。
なので、二人の戦いが恋人同士の命をかけた本気の喧嘩に思えてくる。
「美夜の愛刀が横向きの流星となって冷衛の首に伸びた。両者の刃が噛み合い、一瞬だけ咲いた火花が冷衛と美夜の顔を照らし出す」
首を取りに行っている美夜に「美夜の突きを外した冷衛が反撃。素早く刃を繰り出した」とつづく。
お互い殺しにいってるし、手加減していない。
それでいて、
「この短期間で上達されましたね。やはり、シンべヱを退けたのはただの幸運ではないようです」
「あなたに誉められて光栄だ」
壮大な夫婦喧嘩のようだ。
美夜の刀の特殊能力、移り香「「花の幻影を相手に見せるというだけのもの。この能力によって刀を幻影の花に見せかけていたのです」の名前は〈憂いひとひら〉とある。
だから庭園のタンポポの綿毛が飛んでいく描写のとき、「ひとひら」と表現していたのだ。
「花の幻影を相手に見せる」とは、美夜が相手に見せているのだから、彼女の気持ちが幻影となるにちがいない。
だとすると以前あった、庭園で綿毛が飛んでいく光景は、特殊能力が見せていた彼女自身の心象風景を表した幻影だったのかもしれない。
戦いの中で美夜が蹴りを食らわせるところがある。
どこの馬の骨ともわからないような若い女(小竜)と歩いて鼻の下なんか伸ばしてたんでしょ嫌らしい、という劣情のこもった蹴りだったかもしれない。
戦う中で、「美夜が斬撃を放つ舞踊を演じるたびに、その周りを花弁が漂った」とある。これは実際に彼女がこれまで育ててきた庭の花々が散っているのと同時に、刀の特殊能力が見せる幻影も混ざっているかもしれない。
この幻影が美夜のものなら、好きな冷衛や愛していた春日爾庵誠之助を奪った若い女狐(小竜)に対して、激しい怒りと憎悪、失恋のような悲しみが目に見える形となって現れているのではと思えてならない。
「受け損なった刃に冷衛の左肩が切り裂かれた」「苦痛を口中で噛み殺した冷衛が美夜の腹部を薙ぎ払う」「横の移動から跳ね上がった刀身が斬り下ろされて美夜を急襲。美夜は上半身を沈めて刃の下をかいくぐりつつ、斬り上げを返した。冷衛の脇腹から血が弾け飛ぶ」「強引に踏み込んで美夜の脳天へと刀を振り下ろす」
どちらかが手加減したら死んでしまうから手が抜けないし、全力でぶつかったら、いずれどちらかが斃れるのは目に見えている。
戦わなければ生き残れないけれども、戦うしかないところが実に悲しい。
視界に入ると美夜は反射的なのか、小竜めがけて振り下ろしている。この女がいなければ、という一撃をくり出すのに「横合いから突き出された刃によって受け止められる。何とか間に合った冷衛が凶刃と小竜の間に刀を割り込ませたのだ」と、邪魔されるのだ。
「冷衛様、そこまで傷ついても小竜さんを守りたいのですね」
そんなに若い娘(小竜)が良いのか、と叫びたいに違いない。
その返事が、
「当たり前だろう。小竜さんは依頼主だ」
「本当にそれだけでしょうか」「小竜さんのために命がけになるのは、もっと別な理由があるのではないですか」
浮気した男の言い訳を聞いて、ほんとにそれだけ? 隠してることないの? と問い詰めてるみたい。
それがわかったからなのか、
「美夜殿、思い違いをしているんじゃないか。……だが、俺が必死になるのには、確かに理由がある」なんて返事をしている。
「美夜の双眸が細められる」
やっぱりなんかあるんじゃないの、と、胸の中で舌打ちをしている感じがする。
聞かされるのは、これまでの経緯。
「黒衣に敗れてから自分に失望したまま生きてきた。刀を折られただけでなく、自信まで打ち砕かれたのだ」「それから俺は他人を見返そうと躍起になっていた。何をするにも自尊心をとり返すために行動してきたのだ。今までは」「俺は、小竜さんに信じてもらえた。誰もが嘲っていた、この俺のことを。……それだけで随分と救われたんだ」「俺が戦えるのは、小竜さんに支えられているからだ」「先生も、由比太も、士郎次も。みんなのおかげで、俺は生かされてきた。遅まきながら、やっとそのことに気づいた」「俺を生かしてくれる人のなかに、小竜さんも加わっている。だから、ここで小竜さんを見捨てるわけにはいかない。小竜さんを見殺しにして、俺が生きていけることなどできないからだ」
平たくいえば「美夜に負けてやさぐれたけど、小竜が信じてくれたおかげで師匠や友の支えもある事に気づけた。だから、この女は大事なんだよ」って、自信持って語っているのだ。
もっと簡単にいえば、「好きな人に酷いことされて落ち込んでたら若い女の子に励まされて生きる希望が持てた。今の俺にはこの娘なしには生きていけないんだ」と、初恋相手に説明しているのだ。
聞かされる美夜にしたら、たまったものではない。
本当に辛い。
同時に美夜は、ずるいと思っただろう。
好きな人が、自分ではなく他所の女(小竜)が死んだら生きてけないと喚いているのだ。
傷つけたくて、好きな人を傷つけたわけではない。
でも結果的に彼を苦しめたのは美夜なのだ。
冷衛はきっと優しいので、美夜が刀をひいたら見逃してくれるに違いない。でも、美夜は一人では生きていけないだろうし、冷衛と生きたいと思われる。
刀を引くと、罪人にはお裁きが待っているはずなので、彼から去らないといけなくなる。彼女は果てるしか選ぶ道がなく、どういう最期を迎えるかの選択肢しかない。
冷衛は「小竜さんに信じてもらえた」、つまり彼女が雇ってくれたことが契機にはなったと語っている。
武官を退職してからの二年間にくらべたら、この数日は胸を張って「生きていた」といえる生き方をしたのは確か。諦めかけたけど諦めなかったから、いまここに冷衛はいるのだ。
それはわかる。
わかるのだけれども、初対面で奢らされるは、棘のあるような言い方をされるし、礼儀を知っているのに自分には礼儀を払われなかったり(礼儀を払わないのは、つまりタメ口を言える仲のいい間柄、という意味かもしれない)甘党ではないのに土手では団子を五本も食べさせられ、恋バナまでさせられ……。
彼女の仇討ちの依頼を受けてここにいる冷衛は、終わればお金をもらってさよなら、となるのが普通ではないかしらん。
自分を生かしてくれる人の中に小竜がいる、と胸張っていいきれるものかしらん。
死闘を共にくぐり抜けてきたから愛が芽生えた、みたいに言い切るにはなにかが足らない気がする。
真人の家から出てきた小竜が涙の跡を見つけたとき、
幼馴染で許嫁の真人を殺された悲しみを持ちつつ、冷衛を励ましてきた「小竜を見捨ててしまえば、冷衛ですら自分自身を信じられなくなる」「今や、依頼を通り越して冷衛の人生に深く関わりを持つ、かけがえのない存在となっていたようだった」と書いてあるので、多分そうなのでしょう。
……いや、もっと素直に考えよう。
冷衛にとって、美夜は初恋の人だった。
でも、刀を折られただけでなく、自信まで打ち砕かれ、人生に失望してしまった原因を作ったのもまた美夜なのだ。
黒衣が美夜だと気づいた瞬間、百年の恋も冷めてしまった。
美夜がなにをどう繕っても、もはや遅いのだろう。
「冷衛様。例えばですけれど、ここで小竜さんが亡き者になれば、あなたが戦う理由もなくなるのではないですか」「小竜さんが亡くなれば、冷衛様はどうされるのです。依頼が不履行になった後、小竜さんの復讐でも致しますか」
美夜は確認と提案をしている。
そこの女(小竜)が死んだら私達戦わなくてすみますよ、と。
たとえるなら、そこの浮気相手と手を切るなら許してあげます、手を切ったらよりを戻してくれますか、と聞いているのだ。
それに対する答えが、「美夜殿、もう止めてくれ。あなたを憎みたくはない」である。手を切る自体になったら許さない、寄りは戻さない、という意味合いがあると邪推する。
「小竜さんを見捨てるよりも、私を斬る方が簡単なのですね」
美夜は冷衛に捨てられるのが嫌なのだ。
「美夜は、自分の良心を押し潰してまで爾庵のために殺人を繰り返していた。その心を捧げていた爾庵を失い、小竜を殺すために冷衛と敵対するしかない彼女は、すでに自身の未来にすら興味を失っているようだった」とあるように、彼女は両親をなくし、育ててくれた春日爾庵誠之助も亡く、好きだった男からも見捨てられる。
なにもなくなったのだ。
だから「美夜ではありません。今、この場にいるのは、他者の生命を奪うだけの存在、黒衣です」と自ら名前すら捨てるのだろう。
戦闘の描写は鬼気迫るものがある。
しかも二年前に刀を折った技〈落花〉を繰り出し、しかも「下段からの変則的な斬り下げに加え、その技を使わないという選択によって相手を惑わす」戦法に翻弄されながら互いに斬り合っていく。
冷衛が屋敷に来るとき、冷衛はどんな覚悟できたのだろう。
一緒に食事をした時に、黒衣は美夜だと気づくヒントを得ていたのだから、家で考え込んでいた時には気づいたはず。
話し合いで解決するような春日爾庵誠之助ではないとわかっていたはず。であるならば戦うしかない。戦うとき、美夜を助けるか助けないかの選択肢があり、どうするか決めて屋敷に現れなければならない。
「私が過ちを犯そうとしたときには、私を止めてほしいんです。それが、私のお願いです」と、かつて美夜が言っていたのを思い出して、屋敷まで来ているのだ。
第一に、生かして捕らえる。
できなければ、斬る覚悟をしてきたはず。
ちなみに、生かして捕らえれば裁きが下って死罪は免れないだろう。
美夜を助ける方法があるなら、小竜を斬って美夜側につく闇落ちか、春日爾庵誠之助を斬って美夜と公国を出る逃避しかない。
説得して美夜一人、逃避させる道もある。が、説得できるのかという難点がある。
どうも冷衛は、説得して彼女を逃がすことを考えて屋敷に来た気がする。
話し合って手を引いてもらおうと思ったが、できずに戦うこととなった。
交えない選択肢は本当になかったのかしらん。
美夜と冷衛は、対になっているキャラだ。
やさぐれた冷衛に小竜や師匠、友がいてくれたおかげで立ち直った、と、美夜に話したばかり。
その美夜は、まさに打ち砕かれている状態で、誰かの支えを欲している。
その支えを冷衛に求めているのに、刀を向けられているのだ。
そこの女(小竜)を守るより私を助けてといっているのに、「退くことはできない」なんて拒否られてしまった。
美夜が初恋の人だった。自分が誰かの支えのおかげで助けられたなら、美夜の支えになってやろうと、もはや思えないのかしらん。
情より賃金が発生している依頼が優先されるのだろう。
暗殺側は情が絡んでいて、プロ意識に欠けたアマチュア集団で、冷衛はプロ意識をもったアルバイター、という差を感じる。
「よろしいでしょう。冷衛様、その苦しみから私が解放して差し上げます」
「……俺も、同じことを言おうと思っていた」
言葉をかわした後、美夜は「……何を言っているのかしら」と、冷衛の言葉に疑問をいだいている。
その答えが、このさき待ち構えている。
一刀を振るう間際、美夜は自分語りをしている。
冷衛と剣を交えてきたやり取りの裏付けのような内容が綴られていく。彼女にしかわからないことであり、冷衛に語りかけているわけでもない。
わかるのは、五年前に「酔漢に絡まれていたとき」助けられたあと「若手随一の剣士と呼ばれる冷衛様のお話を知」るも、「閣下に利用されて父君を失った挙句、左遷までされた」彼の前に「春日卿の侍女である私が素知らぬ顔で現れる」などできなかったこと。
偶然「二年前に親しくお話する機会も得」たが、「閣下の策略に冷衛様を利用するため」であり美夜は「閣下の方を選んだ」こと。
「顔を合わせる資格など持って」いないのを知りながらも「恥を忍んで昼にお会いしたのは、最後に望みをかけるため」「もしかしたら何もかも捨てて、私の手を取って下さらないかと浅はかな夢を抱いていました」「が、あなたは五年前と変わらず、困っている小竜さんを見捨てる愚かな選択などしなかった」
この結末を迎えることになったのは、「閣下と冷衛様を天秤にかけ、閣下の方を選んだ」ところにあるのだろう。
二年前は私情か命令かの選択で、命令を取った。
最後に望みをかけた今回は、私情を選ぼうとした。
本来なら、十代は自分を優先する。やがて大人の社会に混ざることで色々学んでいく。だけれども、美夜は五歳から春日爾庵誠之助に引き取られて侍女として育てられてきた。
跡目相続のための謀略など、早くから大人のどろどろした世界で生きてきたのだろう。そんな環境が自分を優先するのではなく、春日爾庵誠之助の顔色を見て、言われたことをする子に育っていった。
だから、天秤にかけたら閣下の方が重いし、行動できる。
最初、冷衛に助けられたのは偶然。
二度目に再会したのは謀略のため。
でも、三度目の出会いに運命を感じてしまったのかもしれない。
あるいは焼けぼっくいに火がつくみたいな、以前押し込めていた気持ちがなんなのか理解できる年齢になっていたのだ。、
言語化できるし意味も知っているから、私情に走りやすくなったのかもしれない。
優等生が恋にハマって狂ってしまった、そんな感じがする。
命令なら、昼日中に見かけた際、すれ違いざまに殺すことも美夜ならできただろう。
この辺が、冷衛とは逆なのだ。
冷衛は、他の子達のように私情を優先してきたけど、大きくなるにつれて思慮分別つくようになり、言われたように動くとかルールや約束を守るとかができるようになっていく。
二人は対のように似ているのだけれども、生き方が反転してるので、だから一緒に生きていくことが出来ないのだろう。
面白いのは「小竜さん、おめでとう。私はあなたに負けました」と負けを認めつつ、「小竜さん、あなたは一人で死ぬといい。最後に冷衛様に寄り添っているのは、この私」と思っている点。
リチャード・プリティガンの『はじまりは色』という詩の「愛がなんだ/わたしは死にたい/きみのあの黄色い/髪にくるまれて』というのを思い出した。
愛が何だと力んで死を覚悟しながら、最後は愛する人に包まれることを願っている。
最後は本音が出るのだ。
冷衛はかつての「私が過ちを犯そうとしたときには、私を止めてほしいんです。それが、私のお願いです」と美夜の約束を思い出し、守るために「膝を折って上体を屈め、自ら刃へと向けて頭を下げる」ことで美夜の必殺の一撃をかわし、胴を斬るのだ。
「私も、冷衛様を生かす一人になりたかったのですが……」とつぶやき仰向けに倒れる。「冷衛が無意識にその肉体を支えようと手を伸ばしたが、その指先は美夜に届くことなく虚空を掴む」
あとは、彼女に寄り添おうともしないのだ。
美夜との約束を守って斬って、昼間話した「私は、もしかしたら、と……」を思い出して「俺もだ、美夜殿」と思いながら、口にしたない。しかも泣くんだよ。
だったら、そばに寄って手をとって声をかけてあげればいいのに。
そうしないのは、小竜を早く医者につれていかなければと思っているからだろう。
そんなときに、「静かな夜のはずなのに、どこからか情けない嗚咽が聞こえてきた」「それに加え自身の頬を熱い感触が流れるのを冷衛も認めざるを得ない」とある。
どこからか情けない嗚咽は誰?
それに加えて冷衛自身の頬に涙が流れていく。
つまり、嗚咽は美夜なのでしょう。
「耐えられるはずなどなかったのだ」とあり、冷衛は理性的に行動しているのがわかる。
美夜の言動や行動は理路整然としているのだけれど、彼女なりに感情的に戦ってきたと思われる。彼女が感情的であればあるほど、冷衛はどこまでも理性的になって戦ってきた気がする。
お互い思っているのだけれども、だから噛み合わず、抱き寄せもしない。
これが、冷衛のいった「苦しみからの解放」なのかしらん。
だから読者にも辛さ、もどかしさ、やりきれなさが込み上がってくる。
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