カクヨム賞 『果心居士の食事』の感想
果心居士の食事
作者 八月三十一日
https://kakuyomu.jp/works/16816927861145476191
豊臣秀吉が天下統一をした瑞祥時代、出羽三山の月山の八合目にある弥陀ヶ原にある忍びの隠れ里「月の里」に匿われている、今はなき南奥州の小国「三鶴」の生き残りである坂ノ上さやの元に、師であり命の恩人である法相宗興福寺の果心居士が訪ねた折、玄奘法師の教えを忘れたさやに「教義に従い殺生は禁止されている者も肉の味を味わいたいとする煩悩を解消できる膳を用意出来るか?」と問いかけられ、「一切衆生、悉有仏性」という玄奘法師の教えを思い出したさやは師に、豆腐を使った精進料理を振る舞う物語。
本作は企画物で、『料理研究家リュウジ×角川食堂×カクヨム グルメ小説コンテスト カクヨム賞』を取った作品。審査に際し、最も重要視した点は「いかに料理がおいしそうに描かれているか」「料理を注文した後、その料理の登場する小説を読みながら、いつ自分のもとへ届くのかとワクワクしてしまう物語を選んだ」とあります。
「一切衆生、悉有仏性」の考えから精進料理が生まれたとは、知らなかった。ただ言葉の意味を覚えるだけではなく、本作のような物語にすると学びやすくなる。
昔の子供の教科書は、こういう物語で学べる物が多かったとおもわれる。
時代小説である。
謎解き要素もあるちょっとしたミステリーだ。
三人称、神視点と坂ノ上さや視点で書かれた文体。世界観の状況説明が多く、時代がかかって表現に混じってこの時代の世界には存在してなかったチョークやハンバーグ、ビバークなどとルビで表現されている。わかりやすく読者に認識してもらうためだろう。
最後にオチまである。
女性神話の中心軌道で書かれている。
十一の時に疱瘡で苦しんでいたところを助けてもらった縁から三鶴城の庵であらゆることを教わり、十二の時に三鶴が滅んだあとも、さやを匿い、瞳にかけられた禁術に「天恵眼」と名付け御し方を教わるなど師でもあり命の恩人でもある果心居士から、かつて玄奘法師の教わったことを忘れて、出羽三山の月山の八合目にある弥陀ヶ原にある忍びの隠れ里「月の里」に、滅亡した奥州の小国「三鶴」の生き残りである坂ノ上さやは匿われている。
果心居士と再会した際、玄奘法師の教えを忘れていることをしられて叱られると思いきや、「教義に従い殺生は禁止されている者も肉の味を味わいたいとする煩悩を解消できる膳を用意出来るか?」と問いを投げかけられる。玄奘法師の教えと関わりがあると知り引き受けたさやは、学んだ知識を思い出し、肉の味がする別のものを用意すればいいと気づく。
だがどうすればいいのか、届いた食料を運びながら大豆が豆腐や醤、凍り豆腐などと形を変えていくことに考えが及ぶと、ようやく一切衆生、悉有仏性――この世に生を受けた全てのものは、精神性がなくても皆成仏して涅槃に行き仏になり得る考え――を思い出し、「全てのものが仏になる可能性を秘めているのなら、大豆が形を変えて豆腐や味噌、醤になるように、肉や魚にも変われるんじゃないか」と豆腐から肉餅と烏賊の切り身、焼いた鱸を作りだし、振る舞うのだった。
歴史好きな人も、そうでない人も、本作のような作品から読み始めると、時代小説も読み進みやすいのではないかしらん。
勉学に勤しむシーンで、子供達は手元の黒板に石筆で字を書いている。はたして、当時の日本に黒板とチョークはあったのだろうか。「忍たま乱太郎の土井先生が、いつも投げるじゃないか」というかもしれないけれど、あれはアニメだから。
実際はどうだったのかしらん。
人だけではなく、草木や獣も仏になり得るのではないかと疑問を持ち、確かめようと玄奘法師はシルクロードを渡って天竺へと赴いた話を先生はしている。
どう悟ったのか、そこで授業が終わってしまう。
「玄奘法師は天竺へと赴いて、一体どういった悟りを得たのか」
次回までの宿題だという。
実に、いい引きである。
もとい、いい先生である。
子供達に興味をもたせ、各自で考えさせている。
他人から教えられた知識は身につかない。自分の頭で考えて、やってみて、初めて血となり肉となる。
さやが、果心居士と再会し、玄奘法師の教えを忘れてしまったときも、「再び教えるだけではまた忘れるかもしれん。知識は自ら習得して初めて血肉となるものだ」と果心居士は言っている。
ここは対になっていて、同じことを場面と状況を変えて、くり返している。繰り返すことで、より深く、わかりやすく、考え方を伝えている。
でも、果心居士が出した難題は、仏教の教えを破ることなく肉の味を味わえる膳を用意しろというもの。
一見すると、対になっているようには見えない。
だけど、玄奘法師の教えを忘れたさやは、生まれたときから成仏できるものとできないものがあるとするそれまでの教えを玄奘法師は否定したことから、生まれた後でも仏になれると考えたのではと類推。
先生の「人だけではなく、獣や草木まで仏になり得るのか」の言葉と重ねて、「獣や草木まで仏になれるなら、野菜や雪もなれるのか」と考えを広げ「冷たい雪が形を変えて美しい雪像や雪洞になるように、全てのものが仏性を得ているのでは」仮説を立て、果心居士の要望との共通点を模索していく。
さやの推理、思考の流れを読むことで、彼女がどんな考え方をしているのか、どんなに利発なのかが読者にもわかってくる。同時に、読者も彼女と同じように思考をめぐらしていけるのだ。
仏教の思想だけでなく、隠れ里での生活の一端も覗けるし、実に上手い文章の運び方だ。
推理小説やミステリー小説は、冒頭に必ず死体を転がせなんていわれるけれども、死体を転がさなくても充分に推理小説として成り立っている本作はすばらしい。
気になるのは、どれほどの失敗作を作ったのかということ。
七日間食べ続けることになるらしい。
しかも、里の皆で。
季節はわからないけれど、凍り豆腐を作るくらいだから冬だろう。
なので日持ちはするかもしれないが、よくも失敗作を大量に出すほど、食材を自由に使わせたものである。だれも止めなかったのかしらん。里のみんなは、彼女のことが好きなのかもしれない。
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