第七十六話

 「海鮮ゆきちゃん」を出てからもうかれこれ二時間以上は走っている。信号で止まる度に隣のパソコンで猫の首輪の位置を確認しているけれど、今いる場所からそこへ行くにはまだ時間がかかりそうだと思った。雪さんと首輪の位置が動いているのを確認した時、すでに首輪はかなり離れた場所まで移動していた。それに気になっているのは、「海鮮ゆきちゃん」を出てしばらく走ったあたりから、その首輪の位置が移動していないことだ。それは、目的地にもう到着したということなのだろうか。


――それか、首輪がそこで捨てられたかのどっちかだよな。でもどっちでもいい。はやくそこへ行かなくちゃだめだ。


 何度目かの信号待ちで確認したその場所はY県内、それも富士山の近くにある有名な湖の近くだった。


 ノートパソコンで示されている位置の場所には民家があるようには思えない。もしかしたら山の中なのか、それとも森の中なのか、どちらにせよナビで合わせるのが難しい場所だった。パソコンと繋げていたスマホの充電も赤い色に変わってしまった。どこかで充電器を購入しようかとも思ったけれど、それよりも先に進みたい気持ちの方が優っている。目的地に到着したということは、かなり危険な状態だと推測できるからだ。


――五稀じゃない。きっと五稀じゃない。


 そう思うけれど、もしも五稀じゃなくても、誰かが危険だという事に変わりはないと思った。ナビが示している到着までにかかる時間はあと一時間。その時間がもどかしい。


――誰であっても、大丈夫でいてくれよ。


 そう願いながら夜の高速道路を走り続けて、ようやく目的地に一番近いインターを降りた。一旦車を道路脇に寄せて、詳細に場所を確認し、ナビをその場所にセットし直す。その時、運転中に何度も鳴っていたRINKの通話着信音がまた鳴り始めた。春日井先生からだった。


「もしもし」


「やっと出た。今どこにいるんだ? 海鮮屋さんの女将さんから全部聞いた。こっちに任せろっていったよな?」


「でも、妹かもしれないんです」


「だからって、その首輪の場所に一人で向かうなんて危険すぎるだろ」


「だけど」


「とりあえずY県警には連絡した。それにこっちでも位置情報をさっき見れるようにしたから、お前はとりあえずそこから動くな。わかったな」


「でも」


「でもじゃないんだって。本当に危険なんだ。お前の妹から送られてきた動画、解析したら気になるものが映ってたんだ」


「え……? 気になるものって、先生それなんですか?」


「最初の普通ぽい部屋に積まれていた段ボール。その中から髪の毛のようなものが出ている箱があった。こっちはこっちでその監禁場所だと思えわれる住宅を探している。範囲は狭いから、多分もうすぐ見つかるとは思うけれど。だから、お前はもうそこから動くな。わかったな。おい、弘樹、聞いてんのか」


 急いでRINKを切った。これ以上話していたら、時間もスマホの充電もどんどんなくなっていく。それにダンボールから髪の毛のようなものが出ていたと聞いて、なぜ自分には見つけられなかったのかと思った。それにもし気づいていたら、もっとはやく動けたかもしれない。まだ、監禁場所にいるうちに、見つけ出せたかもしれない。あの赤い部屋ばかりが気になって、最初の普通っぽい部屋はしっかり見ていなかった。でも、今更そんなことを言っていても仕方がない。まずは目的地へ向かわなくては。


「先生ごめん、俺、待ってられないから」


 そう呟いて、急いで車を発進させた。Y県警も同じ位置情報を見てやってきてくれるのであれば、危険な目に合うはずがない。なんなら俺より早くその場所に到着して、五稀か、五稀じゃない誰かを救出していてくれるかもしれない。それに、もしもそこにいるのが五稀であれば、俺はそこに行きたい。家族なんだから、兄妹なんだから、誰よりもはやく、もう大丈夫だよと言って、五稀を抱きしめたい。


「急ぐぞ」


 そう自分に気合を入れて、俺はナビが示している場所へと向かった。幹線道路らしき太い道から細い道へ、寒々しく木々が立ち並ぶ道を進んだ。途中、別荘地なのだろうか、別荘を販売しているような案内看板がいくつも見えた。ナビが示している位置はもうすぐ近くだ。あと少し、あと少しと焦る気持ちで、曲がりくねる舗装されていない道を進んでいると、金属で作られた門のような場所で行き詰まった。その門は大きな扉になっているのか、中をみることができない。


「この中なのか?」


 真っ黒な金属で作られた門、その周りにはコンクリートの塀が真っ直ぐに伸びている。周りは森のようだけれど、その門の中は木が生えていないようだった。誰かの、それもお金持ちな人の別荘ではないかと思った。車を降りると、足元の砂利が湿気を帯びた音でじゃりっと鳴った。嫌な感じだ。入れるところはないかと、塀の周りを一周してみると、かなり広い場所のようだった。


――どうやって中に入ればいいんだよ。何か、何かないか?


 塀の高さは二メートル以上ある。つかみどころのないコンクート塀では手をかけて登るということもできないと思った。もう一度塀の周りを注意深く歩きながら調べてみる。懐中電灯代わりのスマホの充電は残り五%を切っていた。はやくこの塀中に入らなくてはならないと、もう一度車を停めた位置まで戻ってきたら、俺の目の前で重たい鉄の扉が静かに開き始めた。


「え?」


 妙に静かに開いていく黒い扉の奥は暗闇で、まるで地獄への入り口のようだった。でも迷っている暇はない。俺はその中に身をかがめながら入っていった。


 

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