妹が妹で困っています③
妹のバレンタイン話に、淡く引っかかりを感じていられたのはたった数日のことだ。俺はすぐに、自分のことでいっぱいいっぱいになった。
時間は矢のように過ぎ去り、バレンタインの週に突入する。今年は当日が土曜日なこともあって、決戦は金曜日。その賑わいは月曜日から、一分の隙もなかった。
「瑞樹さん」
にこにこと浮かべられる朗笑が、これほど興醒めするとは初めて知った。今までだって、散々揉め事を引き起こしてきた。だが、当時の気骨は相当のもので、自分の素行の悪さの尻ぬぐいは義務であった。
今は状況が違う。
好意を寄せられているだけなら、まだ良かった。引き際が曖昧な状態に、じわじわとHPを持っていかれる。この微妙さが一筋縄ではいかないのだ。一度に並大抵ではないことを実行されれば、俺だって短絡的に限度を超えられる。本能任せに憤怒に染まることもできるだろう。
けれどこの精妙さは、弾き飛ばすには至らない。理性が許容するラインを越すためには、手前であるのだ。いっそのこと大仰なアクションを起こしてくれれば、見合った反動で返せるとさえ願うほどに。
茜音なら、お人好しなだけでしょ。と、一刀両断するのかもしれないが。
「チョコレート、どんなものがいいですか?」
これはまた、直球できたものだ。初めから直線的ではあったが、ここまでではなかったというのに。
「好きじゃない」
「それならショコラとか……」
「永美、いらないから」
「ですけれど、お礼をと」
ああ、俺が強く出られないのはこれかもしれない。何かにつけては、行きずりの行動を引っ張り出される。
面倒くさい。嫌になる。
リミットラインは、既に踏まれていたらしい。俺はストレスが溜まっていたのだ。辛抱できていると思っていた。しなければならない、と思い込んでいただろう。
けれど、この頃は何かと立て込んでいた。永美だけではない。茅ヶ崎のように噂を耳にした人間にも、探りを入れられている。バレンタインというドラマ性のある恋のイベントは、俺の周囲を否応なしにざわめかせたのだ。
「瑞樹さん?」
「いい加減にしてくれ!」
口にした瞬間に、正気に戻った。
「すまん」
「い、いえ。わたくしも」
「ごめん。頭冷やしてくる」
ヤキモキしているのは、何も永美だけのせいではない。周囲のせいだけではない。
逃れられないことなど、分かっていた。取り返しはつかないのだと。覚悟していたことだろうと。
しつこく言い聞かせておきながら、たったこれだけのことで臍を曲げている自分に心底飽き飽きする。格好ばかり一人前で、肝心の中身は伴わない。
ナルシスト? そんなわけないだろう。俺は俺が誰よりも嫌いだし、信用ならない。
永美のリアクションは待たなかった。
俺はその足で教室を抜け出して、屋上へと上る。生憎と、屋上への出入り口には戸締りが行き届いていた。けれど屋上前の踊り場は、人の目から隠れるには十分である。ずるずると座り込んで、頭を抱えた。どう好意的に見たって、敵前逃亡でしかない。地の底を通って、ブラジルまで届くようなため息が零れ落ちた。
情緒不安定かよ。
「お兄さん?」
突然の声に、肝が冷える。俺のことをそんな風に呼んでからかう太々しい人間は、一人しかいない。
「何しに来たんだよ」
「返事でも聞きに?」
「どうにかするって言っただろ」
「そのどうにかの候補に残ってないかなって?」
逆側の壁に凭れかかった茅ヶ崎を、ちらりと見上げる。あの日見せていた、人を食ったような顔をしていて苦笑いが零れた。
「いい度胸だよな」
「いけない?」
「……別にいいんじゃねぇの?」
なりふり構わない精神力は、嫌いじゃない。俺に良く似ているくせに、俺と違って揺らがない。
それはどんなものを主柱としていても、かっこいいと思わせるものだ。
「じゃあ、少しは考えてくれる?」
「茅ヶ崎のことはよく考えたよ」
「へぇ?」
眉を吊り上げるのがさまになる。
裏の顔なんてひどい言い草はしないけれど、茜音の前では晒さぬ顔だろう。付き合う人によって振る舞いを変える人間を、俺は狡猾だとは思わない。
自己プロデュースができるほど、感情コントロールが上手であるなら問題はないはずだ。それを犯罪などの倫理観が著しく欠ける行為に使わなければ、そんなものは個人の自由だ。
空気を読まない人間を常識がないと断罪する世の中である。TPOくらいマナーだと言って、付き合う場所や人によって態度を変えろと要求してくるのだ。それが個人単位で使われることに、文句を言う筋合いはない。
手を変え品を変えて、茅ヶ崎をくさす気は一切なかった。
「こんな風に遊んでたんだなぁ、とか? よくやってたなぁ、とかな」
「後悔してるってこと?」
「してない、つもりだけど」
「歯切れ悪すぎでしょ」
「……まぁ、ちょっとは思うところがあるって話だよ。いいだろ、それは」
「むしろ、話の中心だと思うんだけど」
それもそうだ。
俺たちには、それくらいしか接点がない。それ以外には、茜音。つまり、逃げ道はどこにもありはしないというわけだ。
「悪いけど、いくら待ってもその気は起きないよ」
「絶対なんてないでしょ?」
「そのはずなんだけどな」
「妹がそんなに大事?」
俺は肩を竦めて答えとした。一度宣誓した身だ。それを翻して、誤魔化すことはできそうもなかったし、するつもりもなかった。
しょうがないだろ。そんな観念した肯定のつもりであったのだ。けれど、茅ヶ崎はそれで良しとはしてくれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます