妹が俺のファンなんですけど!③
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無理を言っただろうか。
その考えが過らなかったわけではない。けれど、兄は何も言わなかった。お小言や愚痴はつきものだが、兄は私の我が儘を叶えてしまう人間だった。大小はさまざまだったけれど、兄は昔からずっとそうだったのだ。
「茜音ちゃん。コスプレやるつもりはない?」
「私ですか?」
兄の仲間たちとの団欒にやってきたスズさんは、私を見るなり意気込んで首を傾げた。少しも話が見えなくて、私はそっくり同じように首を傾げてしまう。
「興味ないかな?」
「興味はありますけど……でも、あの……」
この色鮮やかな人たちの中に入るビジョンは、ちっとも湧いてこない。兄がミズキとして参加していることには、何の違和感もないのに。
そもそも、何をしても違和感がないほどに、兄は特別だ。
昔から、この兄といると異様なまでに注目を浴びた。中学時代は、女の子たちと手広く遊び歩いていたことも知っている。
その代わりとばかりに、私とある種の垣根を設けたのは、どういう了見であったのだろうか。私はそれに気が付かないほど鈍感ではないし、兄のことを知っている。甘い言葉を囁やけば籠絡される、その辺の女の子とは違うのだ。
「ちょーっと、やってみない?」
「え、あの……」
スズさんは、押しが強い。押しつけがましいだとか、強引に過ぎるだとか言うわけではないけれど、断りづらい気勢があった。
私が押しに弱いだけか。
「スズ、テンション」
控えめなトーンが割り込んできて、スズさんを諌める。単語だけの物言いは、ひどく耳馴染みのあるものだった。
「ごめんごめん」
「みんな待ってるから、始めよう。時間有限だろ? 茜音は見学してればいいから。その気になったら、スズに声かければいいよ」
「う、うん」
こくりと頷けば、兄は眉を下げて笑った。しょうがないな、と言わんばかりの表情に憮然となる。
兄のこの顔に遭遇するたびに、私は途方もなく甘やかされている気分になるのだ。
さり気なく間に入って、仲を取り持ってくれる。今日に限れば、特殊なことではないだろう。私とコスプレイヤーさんたちを結びつけるのは兄しかいないのだから、仲介役を買って出てくれるのは変じゃない。
けれど、兄のこれはずーっと昔から変わらない風習であった。自認しているのかは知らないが、兄は私のことを殊の外見てくれているのだ。
私たちは、そんな兄妹だった。
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本日はモデルがカメラマンを兼任する。
カメコと呼ばれるカメラ趣味の同志を募ることもあるが、今日はそうではなかった。小さな合わせであるし、無理に人を集めるつもりもない。
茜音は、撮影会が開始されてからはテンションを抑え込んでいるようだ。
本来、図抜けた元気っ子というわけでもない。人見知りをしていれば、清楚な少女だろう。美少女と言ってもいい。
ただ、身内に見せる姿が清楚などからは遥か遠いというだけで。
「ミズキ、もうちょっと寄って」
「……平気?」
「平気、平気」
女装コスプレイヤーは、結果的に女性と絡むことが多い。関わっている範囲の問題かもしれないが、少なくとも俺はそうだった。
そのために用心すべきことは、山のようにある。不用意に近付くことは無論、接触などもってのほかだ。余計な衝突を避けるためにも、それは肝心なことである。
……俺は女性関係に明るくない。揉めたことも数知れず、多様なものを躱しながら日々を生きている。それでも過去の清算はおよそすんでいるので、現状俺を取り巻く環境は落ち着いていた。今更、新たな女性問題の発生は敬遠したい。
そんな気持ちも相俟って、行動には細心の注意を払っていた。
「じゃあ、次ー」
キャラには相性がある。そのため、被写体は入れ代わり立ち代わりだ。俺ことミシュは、ここでお役御免のようだった。
カメラマンはスズが引き継ぐらしく、俺は休憩である。いつもなら適当に時間を潰すが、今日はそういうわけにはいかなかった。相手をしなければならない人間がいる。
「ミズキさん、可愛いです!」
「……お前の心理状態が分からない」
俺とミズキを分離する特質に溜飲を下せば、百歩譲ってミシュが可愛いのは分かる。ただだからといって、感想が一緒くたになるのは理解不能だ。
兄に可愛いと言うのは、年頃の妹としては異常ではなかろうか。嘲笑のつもりが微塵もないのだから、純粋にすごい。
「お兄ちゃんだって分かってても、可愛いんだもん。ずるい!」
「悪かったな。兄ちゃん、元がいいから」
「そのナルシストがなければもっと褒めてもいいのに」
「事実だろ」
「キモい」
ほら、見ろ。すごいだろう。褒めた同じ口で、言下に違う評価を下すのだから。そして、容赦がない。兄への肝の太さは、どういうことなのだろうか。
妹とは往々にして生意気だ、とは聞く。その情報と差がないことは安心材料だが、やはり割り切れない。
「お前さ、女装に関してはキモくないの?」
俺自身、偏見があるわけではない。
だが、世間一般に女装コスプレのカミングアウトに抵抗がないかと問われれば、それは際どいラインだ。それも、兄という果てしなく近い存在からである。
無慈悲な誹りを投げるほど、兄をコケにする妹だ。少しも反感を抱かないものだろうか。
「なんで?」
「なんでって……」
俺の心をよそに、茜音はあまりにもあっけらかんとまつ毛を瞬いた。
「そりゃ、驚いたけどさぁ。似合ってるし、別にいいんじゃん? なんか問題ある?」
「いや、ねぇけど……」
なぜ、俺のほうが口篭もらねばならんのだろうか。
茜音の声音は正常に過ぎて、逆に疑わしいくらいだった。腹に一物あってもおかしくないような。しかし、こいつにそんな器用な芸当ができるとは到底思えない。兄にそんな配慮をするかも怪しいものだ。
「……女装だけなんだよね?」
「は?」
「……性癖として、悩んでるとかじゃないんだよね?」
「ああ……」
俺はおぼろげに顎を引く。なるほど、疑問はそちらに傾くのか。
茜音は気遣わしげであった。ふざけているわけでも、からかっているわけでもないらしい。やれば気遣いもできるんじゃないか。
「そう思うか?」
「……女の子取っ替え引っ替えして、ようやく自分のことが分かったとか?」
「なるほどね」
茜音は、俺の中学時代の不埒さを知っている。それをこちらから引き合いに出せば、それなりに筋の通った理論が返ってきた。この趣味を、茜音なりに噛み砕いてくれているようだ。
「どうなの?」
「残念ながら俺は今でも女の子が好きだよ」
大多数の男がそう答えるだろう陳腐な返答に、茜音は顔を顰めた。
そこは趣向の悩みを抱えていなかったことに、ほっとする局面ではなかろうか。こんな渋面を寄越されてはたまらない。
「なんだよ、その顔は」
「……女癖悪いの嫌い」
「俺は別に妹に好かれたくてやってるわけじゃないから、願ったり叶ったりだよ」
「知らない」
茜音の機嫌が急降下する。
そりゃ、女癖の悪い男が身内に好かれる道理はない。そうやって一線を引かれていたから、こんな風に雑談を交わすのも久しぶりなのである。俺は中学時代、まるっと茜音にこの態度を貫かれた。
「……やってないって」
「不潔」
「てめぇ今、余計な変換しやがっただろ!」
生憎、冷ややかな視線で興奮する性癖はない。ごく普通に落ち込むし、ごく普通にカチンとくる。
「今はこれ一本だ」
ヒラヒラとローブを弄れば、茜音の表情は幾分和らいだ。
「ミシュたん可愛いもんね」
「……そーな」
俺の一番は別キャラだ。
ミシュだって、スポーティでさばさばした魅力的なキャラに違いない。言うまでもなく、大好きである。愛もないコスプレをしているつもりはない。
だが、俺の一番はカンナなのだ。
メインヒロインの一人で、弓師のカンナはヒーローの義妹である。巨乳で低身長。露出の高いアーマー衣装を身につけ、ブロンドをゆるふわに纏めたヒロイン。おにぃと呼ぶ純真さもまた、素敵だった。
「お兄ちゃんはカンナちゃんでしょ?」
俺の心無い相槌は、バレバレだったようだ。
コスプレがバレたついでに、趣味について語り合ったのは先日のこと。俺の好みは記憶に残っていたらしい。
胸かよ。と嘯いた低い声音はよく覚えている。だが、ひとつ言っておくが、お前が恨めしげに言っていい言葉ではない。
我が妹は巨乳の部類である。
こう考えると、どうにもカンナと茜音の共通項が目についてげんなりするものだ。
茜音はストレートだが、ブロンドの色合いはマッチしている。翡翠の瞳も同じ。低身長とは言わないが、俺からすれば十分低い。極めつけに、妹でもある。
ただし、現実の妹には夢も希望もないものだ。だからこそ、二次元の妹に夢を見る。
「いいだろ。ミシュだってちゃんと好きなんだから」
「悪いなんて一言も言ってないじゃん。カンナちゃんだって、可愛いの分かるし」
「だよなぁ」
こうして語るようになって、分かったことがひとつ。
茜音は許容範囲が広い。心が広かった。こだわりを前面に押し出すほど、我が強かったかは覚束ない。けれど、ここまでの包容力が備わっていようとは思いもしなかった。
そうして雑談をしているうちに、撮影会は一区切りがついたようだ。
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