第7話 喧嘩

「どうしてすぐに教えてくれなかったの?」


 私はもう、自分で自分を抑えられなかった。


「え? なにが?」


 百合華の大きい目が美しい。

 驚いてなお、美しい。この目で見つめられたらほとんどの男は落ちるだろう。


「野田さんと飲んだこと、どうして一ヶ月も教えてくれなかったの?」


「あ、それ? なんかゆるい集まりだったし特に新しい情報もなかったし」


 百合華は本心だろう。細かいことは気にしない。新しい情報があったら私に教えてくれる。特になにも言わなかったのは、言うほどの出来事がなかったから。

 百合華はただ単に飲みに行っただけ、そこにたまたま野田さんがいた。そういうことなのだ。百合華にとって野田さんは重要な人物ではない。分かっている、頭では分かっているけれども……。


「ね、それより新しいカフェさ、行ってみない?」


 百合華が爽やかな表情で言う。相変わらず綺麗な顔だ。それより、そうだ、百合華

にとっては「そんなこと」なのだろう。

 野田さんより新しいカフェのほうが大事なのだ。百合華にとっては野田さんはカフェより優先順位が低いのだ。でも私にとってはそうじゃなかった。

 百合華が野田さんに興味がないのなら嫉妬する必要なんてないはずなのに、自分が慕っている人がそう思われていることに苦しくなったのか。百合華の存在が上位にあることを感じて苦しいのか。


「百合華、野田さんのこと、もっと早く教えてほしかった」


「……さっきからなんなの? あのとき野田さんと特に親しく話したわけじゃないし、普通の飲み会だったんだよ。そんな取るに足らないことをわざわざ報告する必要もないと思ったんだってば」


 取るに足らない。百合華にとって野田さんはやはり、カフェに比べてどうでもいい存在なのだ。

 百合華は上位の世界にいる人間。私はそれよりずっと下にいる。友達なのに、そんなことを考える自分が哀しくなった。私は今、恨みがましい顔をしているだろう。情けない。言葉がでてこない。


「もういいよ、しばらく恵理とは話さないほうがいいかな」


 百合華はそう言い、行ってしまった。最悪だ。百合華はなにも悪くないのに。


    〇


 月曜日、いつも以上に気分がどんよりしている。百合華と気まずくなってしまったことが尾を引いている。

 あれからよく考えたが、どうしたって私が悪い。

 百合華は私に「野田さんのことを逐一報告する」義務があるわけでもないのに。友達だからと甘えた結果だった。

 

 それでも仕事には行かなくてはならず、私はいつも通り準備をした。

 いつもと同じ時間に家を出る。月曜日は少し、車通りが少ない気がする。休日明けで少し、家を出るのが遅くなるのだろうか。休日を少しでも伸ばしたいという願望の表れだろうか。


 いつもの通勤順路。私の前を走っている車の運転手が、窓から腕をだしている。危ないなぁと思いながら見ているとタバコを吸っているようだった。灰を道路に落としながら運転している。なんだろう、むかむかしてきた。それはマナー違反ではないのか。


 あれはもう、何年前になるだろうか。喫煙者が携帯の灰皿を持ち始めた時は「わー偉い」なんて言われていた気がするが、よく考えればそれは当然のことだった。

 それに車に灰皿がついているはずではないか。標準装備じゃなくても用意は出来るはずだ。どうしてわざわざ道路に灰を落とすのか。灰皿の掃除が面倒なのだろうか。だからといって道路に灰を落としていいのか。


 よく見ると同じ会社の人間ではないか。制服が見えた。本来制服での通勤は禁止されているが、アウターを羽織りごまかしている人もいる。

 つまり、そういうタイプの人間なのだ。禁止されているが見つからなければいい、そう思っているのだろう。

 そいつはタバコを道路に放り投げた。ポイ捨てだ。最悪極まりない。私のドライブレコーダーに全て映っている。会社に提出しよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る