第5話 武技訓練


「おう、本田君お帰り」


 学園に編入して3日目の朝。リビングで寝起きのコーヒーを飲んでいると、早朝のトイレ掃除に出ていた本田君が戻ってきた。


「あ、八神君起きてたの? おはよう」


 本田君はそう言って手に持っていたバケツと雑巾を玄関の横に置き、そのまま俺にお尻を向けた姿勢で屈み運動靴の紐を解き始めた。


 うーん、形の良い小尻だな。お? 赤いジャージ越しに下着の線が見える。やっぱカモフラージュにブリーフを履いてるのかな? ククク、学ランのズボンやジャージの股間に膨らみがないのは確認済みだ。大浴場に誘っても断ってこっそり部屋のシャワーを浴びてるし、もう女の子なのがバレバレなんだよな。


 まあ決定的な証拠となるシーンを目撃するまでは、彼女ではなく彼ということにしておいてやろう。いつボロを出すか楽しみだ。そしてその時から、俺と彼女の『二人だけの秘密だよ』同棲生活が始まる。


 昨夜は食堂で学園ニュースの存在を知り、全校生徒に嫌われるのかとそれなりにショックを受けた。寮に帰ったら帰ったで、黒闇天がまるで他人事のように『思ったより早かったの』とか言って笑ってる姿を見てふて寝をした。しかしこのお尻を毎日見れると思うと、昨日の出来事がどうでもよく思えてくるから不思議だ。


 本田君のお尻を眺めながらそんなことを考えていると、靴を脱ぎ終えた本田君が足下に置いていたバケツと雑巾を再度手に持ち身を起こした。


「あっ」


「危ない!」


 急に身を起こしたことで立ちくらみが起こったのか、倒れそうになった本田君の元に俺は駆け寄り抱き抱えた。


「ご、ごめん。立ちくらみしちゃって」


「うぷっ……無事で良かったよ」


 抱きかかえる際に、本田君が手に持っていた雑巾を顔面に押し付けられたが俺は何とか答えた。臭い……何とも言えない匂いがする。


「あっ! ごめんなさい!」


「いや、いいんだ。ちょっと顔を洗ってくる」


 慌てて雑巾を俺の顔から放した本田君へ、俺は引きつった笑みを浮かべ洗面所へと向かった。



 ♢♦︎♢



「本当にごめんね八神君」


「だから気にしなくていいって。ほら、俺って不幸体質だからさ。ああなる運命だったんだよ」


 制服に着替え教室へと向かう途中、何度も謝ってくる本田君にもう気にするなと答えた。


 あのあと目をつぶりながら洗面所に向かったら、途中で段差につまづいてドアに頭を打った。ということはこれで5回のうち2回の不運を消化したわけだ。


 昨日は夕方まで起こった不運は1回だけだった。一昨日に風間教官から奪った運の分を引いてもあと3回は何かしらの不運が起こると思っていたら、あの学園ニュースの記事だ。あれが残りの3回分だったんだろう。俺としては10日分に匹敵する不運だったが。


 そういったこともあって夕方まで不運が少ないと不安で仕方ないので、朝から複数回不運が起こる方が逆に安心するというもんだ。


 俺は申し訳なさそうにしている本田君に笑顔を向けつつ、隣で味噌せんべいを食べながら浮いている黒闇天へ一瞬だが恨みがましい視線を送った。が、当然スルーされた。


 本田君と黒闇天とそんなやり取りをしつつ、俺は本田君と一緒に教室へと入り元気よく挨拶をした。


「おはようみんな!」


 が、無視である。


 それどころか舌打ちまで聞こえてくる。


 あ、七篠ななしの美鈴みすずさんだけ左奥の席で苦笑いをしながら小さく手を振ってくれている。七篠さんとは編入日当日に俺が黒闇天の加護を受けていること自己紹介をした時に、面白いものを見るような目を向けてきたやや垂れ目の色っぽい女の子だ。彼女はブラウスのボタンを3つも開けており、そこから胸の谷間が見える巨乳ちゃんだ。左目尻の泣きボクロが色っぽさに拍車をかけている。


 身長は恐らく俺より10センチは低いだろうから165センチくらいだと思う。しっとりとした長い黒髪の先端はウェーブが掛かっており、いちいち仕草が色っぽい女性だ。


 ちなみ隣の前髪ぱっつんの幼女にしか見えない無表情な女の子は、彼女の親友で遠野とおのゆきというらしい。今日も俺に対して無関心だ。ついでに俺の顔を見るなり舌打ちしたのは、中央の一番奥の席に座っているガタイの良い猿顔の男。名前は確かりゅう隆志たかしとか言っていたな。中国と日本のハーフらしい。


 七篠さんはアメノウズメという、舞いを踊ることで天照大神を天の岩戸から出したという有名な女神の加護を受けている。遠野さんはなんと座敷童だ。だから幼女体型なのかと納得しちゃったよ。いや、劉ほどじゃないか。劉は中国の民間信仰の神、斉天大聖せいてんたいせいの加護を受けている。孫悟空だよ孫悟空。そりゃ猿顔なわけだ。思わず頭の輪っかはどこだって言いたくなっちゃったね。


 本田君に聞いた話だと劉は中等部の時から乱暴者だったらしく、さらに加護を受けた神も強力なためDクラスに入れられたそうだ。それで去年就任したての風間教官に完膚無きまでに打ちのめされておとなしくなったらしい。不良ってやつなのかもしれないな。でも教官に頭を押さえられて好きにできなくて鬱屈してるって感じか? 頼むから俺に八つ当たりとかしないでくれよな。


 風間教官て強いのかねと聞いたら、なんと八咫烏所属の超エリートだった。なんでそんなエリート部隊の若い隊員が学園にいんだよって不思議に思った。相当ヤバイ失敗でもしたのかね?


 俺は七篠さんに手を振って答えつつ、扇型の長机と長机の間の階段を上り窓際の2段目の席へと向かう。途中露骨に避ける野郎どもや女子は気にしない。こういうのは継続することが大事だって爺ちゃんが言ってたからな。挨拶をされてずっと返さないでいる人間なんてそうそういないってさ。俺はあんなデマには負けない。必ず誤解を解いてみせる。


 席に着いて少しすると、風間教官がシワだらけのブラウスと寝癖が直っていない頭のまま教室に入ってきた。その瞬間教室に酒の匂いが漂った。教官は怠そうに出席の確認をしたあと、午後に武技と権能の授業があるからグラウンドに来るようにと言ってさっさと出て行った。昨日の朝も似たような感じで、担任のくせに夕方のHRをバックレて来なかった。こういうのは1年の時からよくあるらしく、本田君もほかのクラスメイトも気にすることなく帰る支度をしていた。どうにもあの担任教官はやる気がないらしい。


 なんというかDクラスって本当に期待されてないんだなって思ったよ。


 授業はそれぞれの担当教師や教官が普通に行ってくれる。学科の授業は普通の高校と同じ教科を普通の教員資格を持った一般人の教師が教えてくれる。神仏学なんかもそうだ。対悪魔戦術基礎とか、軍法などの学科はそれぞれ担当の教官がやってきて授業をしてくれる。


 はっきり言って通常の学科は簡単だった。というか俺がもともといた高校は進学校だったからそう思えるのかもしれない。戦術基礎や軍法はほかの生徒に比べると1年遅れているが、事前に予習をしてきたのですぐに追いつけると思う。学科に関してはまあ問題ないだろう。


 午前中の授業を終えると昼休みとなり、俺は本田君と食堂へ昼食を食べに向かった。


 食堂は昼食時でもそんなに混雑はしていない。というのも学園には飲食店が結構出店しているので、お金さえ払えば好きな物を食べれる。だからそっちに食べに行く生徒や教官が多いみたいだ。学食だと無料だしそこそこ美味しいんだけど、決まったメニューよりも好きな物を食べたいと思う人間が多いみたいだ。


 まあ学生なのに月30万円もらえるなら、そりゃ外食したくなるよな。やっぱ軍人は給料良いわ。ああ、30万もらえるのは神兵科だからだ。従兵科は15万だ。それでも学園で授業を受けているだけでお金をもらえるんだから恵まれてると思う。そのぶん授業は8時30分から17時まであるから拘束時間は長いけどな。とは言っても学校が終わってからバイトをしていた時に比べたら天国みたいなもんだ。人間関係は地獄だけど。


 昨日に続き食堂で他の学年やクラスの生徒たちからの注目と陰口を一身に受けたあと、午後一番の武技の授業を受けるため一旦寮に戻り、支給された軍の士官候補生用のプロテクター。『若武者』を初めて装備してグラウンドへと向かった。


 士官候補生用といっても、『若武者』も軍の正式装備であることには変わりがない。黒武者や赤武者と同じく魔法金属がしっかりと編み込まれているし、急所にも貼られている。違いといえば兜を含め全体的にスリムで体の線が出やすいくらいだろう。女子が装備している姿を早く見たいものだ。


 グラウンドに着くと白いジャージ姿の風間教官がすでにおり、その横には木剣と木槍が各15本。Dクラスの生徒の人数分転がっていた。


 4人の女子を見ると幼児体型の遠野を除き、皆の身体の線が見れてなかなかにそそる姿だった。特に真北と七篠は出るところはかなり出て、引っ込むところは引っ込んでいる日本人離れしたスタイルに見えた。確か真北は下の名前がキララだったよな? 色も白いし、もしかしてハーフかなにかなのか? だとしたらあの金髪はギャルだからじゃなくて地毛だったりするのかもな。


 本田君は男子用の若武者か。うん、前も後ろもツルペタだな。いや、美少女だし全然良いと思うよ。実はサラシを巻いてる可能性もあるしな。


 そんなことを考えながら女子と本田君を見ていると、朝のあのやる気のなさはどこへやら。風間教官がやる気に満ちた声で整列する俺たちに号令をかけた。


「よしっ! それぞれ得意の獲物をもって素振りをしろ。どうせ春休みの間に自主訓練などしていないだろうからな。腕が落ちている奴はずっと素振りをさせるから覚悟しろ」


 風間教官が挑戦的な目でそう告げると、ほとんどの生徒が悲鳴を上げていた。


 しかし意外にも本田君は余裕そうだった。あと脳筋ぽい猿も。


 あんまり戦闘とか得意に見えないんだけどななどと本田君を見ながら思っていると、風間教官がいきなり俺を指名してきた。


「八神候補生。編入してきた貴様の実力を私は知らん。だから私が実力を測ってやろう」


「はい! お願いします!」


「フンッ、返事だけは良いな。まあついこの間まで普通の学生だったんだ、手加減はしてやる」


 教官はそう言って木槍を構えた。


 げっ! この女強い! 


 まったく隙がない構えを前に冷や汗を流しつつ、俺も槍を構えて相対した。


「ほう、ずいぶんと変わった構えだな。どこの流派だ?」


 俺がまるで獲物を襲う直前の猫のように身を屈めたのを見て、教官が興味深そうに聞いてきた。


八神蜂突流やがみほうとつりゅうです」


「八神蜂突流? 聞いたことがないな。蜂突というからには突きに特化した流派か?」


 まあ知らないよな。ネットで検索しても出てこなかったし。


「そうです。祖父から基本しか教わっていませんが、突きには自信があります」


 ほんと突きしか教わってないんだけどな。確か武士だったご先祖様が、襲い掛かってきた蜂の群れを突きだけで撃滅させたことからついた名だって言ってたな。俺には無理だし爺ちゃんもできそうには見えなかった。いや、ソープでの突きだけは一流だったか。敗れて腹上死したけど。


「フフッ、男が突きに自信があるとは結構じゃないか。いいだろう、どこからでも掛かってこい」


「え? 教官それって下ネタで……」


「来ないなら私から行くぞ!」


 俺が下ネタですか? と言おうとしたら、教官がいきなり間合いを詰めて突きを放った。


 ちょっ! 健康な男子学生相手に心理戦に下ネタを使うとかずるいぞ! 

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