第5話 加護の影響



「お兄ちゃん朝ごはんできたよ。早くしないと遅刻しちゃうよ?」


「ん……ああ、おはよう海音みお


 部屋の引き戸を開け、セーラー服の上にエプロン姿の海音に起こされた俺は布団から起き上がった。


「あれ? お兄ちゃん何かあったの?」


 立ち上がった俺の顔を見た海音が心配そうな表情でそう口にする。


「なんだよいきなり」


「ん〜なんか失恋した後の人みたいにものすごい悲壮感が漂ってるよ?」


「おいっ! 失恋なんかしてねえよ!」


 失敬な! 兄ちゃんは失恋なんか一度もしたことないぞ! 告白したことがないからな!


 中学の時は怖がられたし、高校に入ってからはバイトで忙しくてそれどころじゃないし。そりゃ学校に気になる子の1人や2人はいるけどさ。でもどうせ俺みたいな貧乏人なんか相手されるわけないし。


「そう……ならいいんだけど……昨日夜遅くに誰かと話していたみたいだったから、好きな人に電話で告白でもしてたフラれたのかと思った。お兄ちゃん、辛くなったらいつでも言ってね? 私が心も身体も慰めてあげるから」


「か、身体って、兄貴をからかうんじゃない!」


「あはは! 元気みたいで安心した。じゃあ下で待ってるから早く来てね」


「まったく、どんどんマセていくな」


 俺は部屋から出ていく海音の後ろ姿を見送りながらため息を吐いた。


 しかし悲壮感か……やっぱ黒闇天みたいに俺からも負のオーラが出てんのかな。


 あれ? そういえば眠くないな。昨夜はあれから黒闇天の権能の技なんかを聞いたりして、結局4時くらいまで黒闇天と話していた。3時間しか寝ていないから寝不足なはずなんだが、全然寝不足って感じがしない。これも身体強化の祝福のせいか?


「あっ、そういえば黒闇天はどこに行ったんだ?」


 寝る時には布団の隣で味噌を舐めてたはずなんだけど。


「ん? 呼んだかの?」


「うわっ!」


 突然目の前に煎餅を手に持ちかじっている黒闇天が現れ、俺は変な声を出してしまった。


「なんじゃ、そんなに驚くこともなかろう」


「いきなり現れたらそりゃビックリするだろ! いったいどこにいたんだよ」


「久々に自由に家から出れるようになったからの。尾張の国を見聞に行ってたんじゃ。しかし随分と変わってしまったのう」


「そりゃ100年近く経てば変わって当たり前だろ。ていうか自由に家から出れるのか? 俺と一緒じゃなくても?」


「うむ、あまり遠くは無理じゃがの」


「そうなのか。それでその手に持ってる煎餅はなんだ?」


 うちには煎餅なんかなかったはず。というかちゃんと着物を着ろよな。着崩した黒い着物の胸もとに見える谷間が気になって仕方ない。


「おお、これは味噌せんべいじゃ! 近くの商店に置いてあっての。気になったので食べてみればこれがまたなかなか美味くての」


「万引きじゃねえか!」


「うるさいのう。妾が買い物などできるわけがなかろう。銭も無いしの。それとも遥斗が買ってくれるのか?」


「そんな余裕はねえよ。でももう少し待っていてくれたら家の味噌を作ってる所。まあ叔母の家なんだが、そこの煎餅を食わしてやる。だから万引きはするな。この辺の商店は経営が厳しいんだからさ」


「おお! あの絶品の味噌を使ったせんべいか! そうじゃな。それが食えるなら我慢しようかの」


「それは良かった。あと家の味噌も我慢して欲しいんだけど」


「それは無理じゃの。せっかく満月の時以外にも実体化できるようになったんじゃ。毎日食うぞ?」


「毎日!? 親戚から送ってきてくれるあの味噌は、貧乏なウチにとってはお金みたいなもんなんだ。黒闇天に毎日食われたら飢え死にしちまうじゃねえか!」


 味噌がなくなったらご近所さんと食い物との交換ができなくなる。そうなったら今より酷い生活になる。


 というか満月の時だけしか実体化できていなかったのかよ。そういえば昨日は満月だったっけ。


「大丈夫じゃ。妾はもうこの家の神ではないからの。心配無用じゃ」


「どういうことだ? 確かに貧乏神からこの家は解放されはしたけど」


 不幸が無くなったってだけで、別にいきなり生活が苦しくなくなるってわけじゃないはずだ。


「ククク、そのうちわかることじゃ。まあよい、確かに今は生活が苦しいみたいじゃからの。少しだけ我慢してやろう」


「偉そうに……」


 勝手に人の家の味噌を食っておいてなんでこんなに偉そうなんだ? 


「ん? 何か言ったか?」


「別に。それより遅刻するからもう着替えないと。黒闇天はどうするんだ?」


「どうしようかの。まだ色々と見たい所あるからそっちに行ってようかの。何かあったら呼べば先ほどのようにすぐに来れるから呼ぶがよい」


「そうなのか? なら別にいいけど」


 まだ権能のこととか色々聞きたいこともあるが、呼んだらすぐに来るっていうならいいか。しかし普通写し身は加護を与えた者から離れないと聞いていたけど、さすが神本人。自由だな。


「それではくれぐれも気をつけて学校とやらに行くのじゃぞ?」


「ん? ああ」


 なんだ心配してくれてんのか? まあ俺の守護神だしな。その守護神が好き勝手にあっちこっち行ってるってのはどうかと思うけど。


 それからまた外に行くと言って消えた黒闇天を尻目に、俺は居間に降りて洗面所で顔を洗って顔を拭くためにタオルに手を伸ばしたら、なぜか雑巾を手に取ってしまいそれで顔を拭いて朝から嫌な思いをした。


 なんでこんな所に雑巾があるんだよと毒づきつつ、再び顔を洗って朝食を母さんと海音と一緒にとった。その時に母さんにも今にも死にそうな顔をしてるけど何かあったの? と心配された。


 いったいどれだけの負のオーラを俺は出してるんだ? 鏡を見た感じではいつもと変わらない顔なんだけどな。


 ちなみに母さんと海音には黒闇天から加護を得たことはまだ話していない。本当は加護を得たらすぐに家族に言って保護者から国に報告しなきゃいけないんだけど、貧乏神に取り憑かれたとか言ったら心配すると思ってなかなか言い出せなかった。権能を見せてと言われても困るし。まさか家族の運を吸い取るわけにもいかないしな。どうしたものか……


 まあすぐに冬休みだし、休みの間に気持ちを固めようと思う。編入予定の対魔学園も冬休みだろうし。うん、とりあえず学校に行こう。



 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



「クソッ! ひでぇ目にあった」


 なんなんだよ今日は! 


 駅に行く途中に自転車のチェーンは外れるし、遅刻すると思って急いでホームにたどり着いたら背後からサラリーマンがぶつかってきて、その反動でホームに落ちそうになるし。駅から学校まで歩いていたら、車のタイヤが踏んだ水溜りの水が襲いかかって来て、避けようとしたらドブに足を突っ込むし! しかも水を避け切れなくて顔と上着がびしょ濡れだし!


 朝から本当についてねえ……


 俺は最悪のテンションのまま学校の校門を潜り、濡れた靴下のまま上履きに履き替え教室へと向かった。


 教室の前に立つとクラスメイトの話し声が聞こえる。高校では中学の時と違って上手くやっている。割と偏差値の高い高校なので、私服がほぼ毎日同じでも特にからかってくる奴はいない。クラスメイトとはちょこちょこ話すが、特に友人と呼べるほどの人間はまだいない。学校終わったらすぐバイトの毎日だし、休みの日も朝からバイト漬けだしな。


 教室の戸を開けて中に入ると、クラスメイトの視線が俺へと向く。俺はおはようと言いながら窓際の真ん中にある自分の席に向かうが、進行方向にいた奴らが俺を見て一瞬顔を青褪めさせたと思ったらサッと逃げるように離れていった。


 後ろの席で時々話す男子生徒とも目が合ったが、もの凄い勢いで逸らされた。


 どういうことだ? もしかして負のオーラの影響か? でも海音や母さんとは反応が違いすぎる。家族だからか?


 だとしてもこれはマズイな。これじゃあ対魔学園に編入したとしても嫌われ者だな。イジメの対象待ったなしだ。しかも周囲は全員加護持ち。中学の時と同じ力には力をなんてやれば、大怪我をしそうだ。


 こりゃ編入前に加護持ちのイジメから身を守れるよう強くならないと危険だな。


 その後授業を受けた俺は、やたらと先生に指されるのに辟易としつつ昼休みに視聴覚室のパソコンで対魔学園への編入について調べた。最近発売された携帯電話のスマホというのがあれば、どこででもネットに接続できて容量の大きいHPなども見ることができるらしいが、携帯電話すら持ってない俺が買えるはずも契約できるはずもなく。調べ物がある時はいつも学校のパソコンを利用している。


 結果として、加護を与えられた者はいつでも編入が可能だった。ただ、高校2年の2学期以降に加護を得た者は、翌年の2学年への編入となるらしい。これは軍の士官教育が2年から始まるからのようだ。高校2年までは普通の高校の学科と、肉体的な軍事教練が中心なので2年の1学期から編入するなら追いつける範囲内らしい。


 それなら編入は2年からした方がいいと思い、俺は加護を得たことを黙っていることにした。たった数ヶ月だ。それまでになんとか権能の使い方に慣れて、いじめから自分の身を守れるようにならないといけない。


「でもなぁ……他人の運を奪わないと発動できないのがなぁ」


 俺は昨夜から感じるようになった黒い光。神力を手のひらに集めながらそう呟いた。


 そう、俺の権能は神力を必要としない。その代わり他人の運を必要とする。そうなると権能の練習をしようにも、誰かを不幸にしないといけなくなる。


 同じ兵士たちからならいい。彼らはこの日本を悪魔から守るために軍人になったんだし、高給取りだ。多少の不運に見舞われるくらいは、俺の良心的にも許容範囲だ。


 けど一般人は違う。確かに早く強くならなければ、信長のように非業の死を遂げることになるかもしれない。しかしいじめられないために権能を使いこなす練習をするという俺の都合のためだけに、なんの関係もない一般人を不幸にすることが俺にできるのか?


「はぁ……できねえよな」


 こりゃイジメられながら権能を使いこなしていくしかねえか。相手は士官候補生なうえに、いじめてくる相手からならいくら運を吸い取っても良心が痛まないしな。



 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



「ううっ……ひどい目にあった(本日二回目)」


 学校が終わってバイトに行ってみれば、当日欠勤したやつが3人もいてめちゃくちゃ忙しかった。そのうえ排水溝の清掃時に足を滑らせて汚水にダイブしちまった。家に帰ったら帰ったで、さすがの海音も鼻を摘みながらお風呂に早く行ってと居間から追い出すし。


 可愛い妹に臭いとか言われるのは汚水にダイブするよりも傷つく。


「ハァ……しかし今日はなんでこんなにツイてないんだ?」


「くふふ、それは妾の加護を受けたからじゃよ」


「うおっ! 黒闇天!」


 布団の上で仰向けに寝そべっていたら、突然目の前に宙に浮く黒闇天が現れて俺はとっさに布団から飛びのいた。


「驚きすぎじゃ。遥斗は失礼な男よの」


「今朝も言ったけどいきなり現れれば驚いて当たり前だろ! って、それどころじゃない! 俺がツイてないことに黒闇天の加護が何の関係があるってどういう……ん? ああっ!」


 そうだ! 海音や母さんの分の運が俺から吸い取られるんだった!


 俺は昨夜黒闇天に言われていたことを今さらになって思い出した。


「やっと思い出したか。だから今朝気をつけるのじゃと言っておいたじゃろうに」


「これが3人分の不運……そうか、大怪我したり死ぬ可能性もあったのか」


「さすがに加護を与えた者を死なせたりはせぬよ。そうならぬよう運は少しずつもらったからの。しかしすぐに気づいて妾を呼ぶと思っていたんじゃがの。まったく呼ばれなくて逆に驚いたわ」


「呼んだからって不運がなくなるわけじゃないだ……あ、他人から運を奪って奉納するればいいんだったか?」


「うむ。奉納時には権能を発動する必要があるがの。それが妾からの対価となる」


「俺から運を吸い取らないってのは対価にはならないのか」


「運を吸い取るのは妾の神としての特性じゃからの。加護を与えた者に対しての対価にはならぬのじゃよ」


「そういうもんか」


「そういうものじゃ」


「そうか、てことはこれから毎日今日みたいな不運が起こるんだな」


「まあそうじゃの。精々気をつけるのじゃな」


「それを回避する方法はやっぱり?」


「うむ、他人の運を奪い、教えた第一階位と第二階位の権能を何度か発動すれば良い。簡単じゃろ?」


「簡単じゃろってあのなぁ。ここは軍じゃないんだ。何の関係もない人間から運を奪って不幸にするのはさすがに良心が痛む」


 俺が加護を与えた相手だから小さな不運で済んだが、まだどれだけ吸い取ったらどれだけの不運が起こるかわからないんだ。下手をすれば誰かに大怪我を負わせてしまうかもしれない。軍なら治癒系の加護持ちがいるだろうが、民間にはいないしな。


「ククク、最初は牛若丸も吉法師も同じことを言っていたのう。敵兵以外からは吸い取れないとな」


「そりゃ普通の人間ならそうだろうさ」


「まあよい。どうせ時間の問題じゃ。奉納する気になったら呼ぶが良い、妾は尾張見物をしておるでの」


 黒闇天はニヤニヤしながらそう言い残して姿を消した。


「あの野郎、人の不幸を笑いやがって。あ、貧乏神だからそれが普通か。はぁ……こりゃ早いとこ対魔学園に編入した方がいいのかな」


 明日は終業式だ。結局冬休みの間のバイトを入れることができなかったな。今のバイトも年末年始は早いうちから休みだし。まあ対魔学園に入学できるのは確定してるんだ。借金に関してはそこまで心配する必要はないだろう。


 そんなことを考えながら俺は眠りについた。


 翌日に心が折れるほどの不運がやって来ることも知らずに……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る