第36話 花火のもと、永遠の……

 夏の夕暮れ。暑いはずの風が小川に触れて、少しだけ涼しくなる。

 打ち上げ会場からやや離れた親水公園に、僕と聖麗奈さんは来ていた。


 僕がベンチを指さすと、意図を察した聖麗奈さんが腰を下ろす。

 彼女は周りを見渡して、言う。


「思ったよりもすいているのですね」

「ああ。このあたり、観光客は来ないからね。地元民のみが知る、穴場スポットなんだよ」


 僕は聖麗奈さんにたこ焼きのパックを差し出す。移動する途中の屋台で買ったのだ。


 軽く腹ごしらえをしていたら。


 空に一輪の花が咲いた。

 中心から赤、青、緑とカラフルに煌めき、人の心を掴むや。

 美しかった花はあっけなく散っていく。


「花火は美しいのですが」

「ですが?」

「完璧だと思っていたものが、跡形もなく散ってしまうことにわびしさを感じるのです」

「わびさびって奴?」


 ぱっと見、西洋お姫様風な銀髪お嬢様が、和の魅力を語る。いや、教養ある人だから似合っているか。


「残念ながら、わたくしにはの魅力はわかりませんわ」

「そうなの?」


 ちょっと意外だった。


「わたくし、何度か花火になったつもりで、花火の気持ちを想像したのですが」

「う、うん」


(マニアックななりきりプレイだな)


 口には出さないが。


「花火は完璧な美を手にしながら、わずか数秒で散ってしまいます。どれだけ無念であったかと考えてしまうのです」

「そうなんだ」

「わたくし……花火未満かもしれませんわ」


 はかなげな笑みが哀愁を誘う。


「どゆこと?」


 言っている意味がわからなくて、首をひねる。


「わたくしは母が求めていた完璧なお嬢様を目指しておりますわ」

「そうだね。聖麗奈さんは頑張ってるよ」

「ですが、わたくしは完璧からほど遠いですの。げんに、おばあさまの面倒をわたくしひとりでは見られなかったのですから」


 次々と、花が散っていく。彼女は悔しげに、空を見上げていた。


(花火大会に連れ出したのは失敗か……?)


 美しい景色を見れば、上がると思ったのだが。


「わたくしは中途半端な花を咲かそうとした挙げ句に、逃げ出してしまいました。散り方ですら、花火に比べるのもおこがましいですわ」


 まさか、花火を見て、自己否定されるとは。

 だが、僕も覚悟を決めている。引き下がるつもりはない。


「人間は人間。花火は花火。性質が異なるものを比較してもナンセンスだと思うぞ」


 適当なことをそれっぽく言ってみた。


「すいません、わたくしったら弱いところを見せてしまいました」

「そういう意味じゃないんだけど」


 本来なら、僕から大切な話を切り出したかった。

 会話の流れに乗って、なんとなくするのは避けたい。


 けれど、聖麗奈さんの心に響かせないと意味がなくて。

 悩んでいる彼女に聞かせたいから。


「べつに、弱くたって、いいんじゃないの?」

「えっ?」

「さっきも言ったけど、完璧なんて必要ない」


 聖麗奈さんの価値観とは大きくぶつかる。彼女は亡き母の言いつけに従って、完璧を求めてきたのだから。


「自分なりの理想を追い求めて、頑張ってる聖麗奈さん……僕はだよ」


 彼女の琥珀色の瞳に、花火と僕の顔が映っている。

 聖麗奈さんは口をパクパクさせていた。

 

 畳みかけるように僕は続ける。


「たとえ、聖麗奈さんが自分を中途半端だと言っていても、僕はちがう」

「……」

「目標に向かって努力するひたむきな姿、僕は尊敬してるし、和泉さんたちも同じじゃないのかなぁ」


 言いたかったことを告げると。


「………………心春さんったら、紛らわしいですわ」


 聖麗奈さんは唇を尖らせていた。


(あっ!)


 少し前のセリフを思い出して、失敗に気づいた。

 しかし、弱気になったらダメ。ミスしなかったことにしよう。


「だからさ、聖麗奈さんは自分を追い詰めなくても大丈夫だから」

「で、ですが、わたくしは半人前ですの」


 ずいぶんと頑固だ。

 でも、諦めたら、彼女は不幸になる。僕も自分が許せなくなるだろう。


「僕もさぁ、母親は滅多に家にいないし、妹の世話や家事をやってるだろ?」


 角度を変えてみた。

 僕の話になったとたんに、泣きそうな顔になった。


「結局、授業中に寝ちゃうし、家事も手抜き。めちゃくちゃ中途半端じゃん」

「心春さんは頑張っていますわ」

「僕が完璧じゃなきゃ、聖麗奈さんは不満?」

「あっ!」


 気づいてくれたようだ。


「心春さんが完璧でなくても、わたくしはかまいません。むしろ、大変だから、少しでも楽になるように、助け合っていきたいと思っていましたわ」


 期待どおりだった。


「そういうこと」


 僕はうなずくと。


「ひとりじゃつらいけどさ、誰かと一緒ならなんとかなるんじゃね」


 ここからが本番だ。


「だから、これからも僕、聖麗奈さんと一緒にいさせてくれないかな?」

「っっ!」


 聖麗奈さんは目を見開いた。


「心春さん、うれしいですわ」


(よし!)


 内心で叫んでいたら。


「でも、わたくしたちを取り巻く現実は過酷ですわ」


 考えは甘かった。


「わたくしは医者ではありません。おばあさまに対し、高度な治療ができるわけでもありませんし、介護もプロに比べたら全然ですわ」


 彼女の言いたいことはよくわかる。

 僕にとっても大きな問題だから。今の僕には妹をどうしてやることもできない。もどかしくても、それが現実だ。


「もし、聖麗奈さんが完璧主義を捨てたとしても、おばあさんの病気がよくならないだろ?」

「そうですわね」

「僕たちはただの高校生なんだ」

「で、ですが、わたくしは諦めたくありませんでしたの」

「それで、力に頼ろうとしたのか?」


 お嬢様は首を縦に振った。


「僕も思うよ。悪魔に魂を売り渡して妹の足が治るんだったら、迷わず魂を差し出したいってね」


『自分を大事にしろ』って言われるが、僕は響かない。それだけ、妹を大事にしているのだ。


「けど、世の中に奇跡はない。ないんだ」

「ええ。奇跡があったら、おばあさまの病気も治療できますわね」


 言葉は意味をなさない。

 無言で、苦しみを分かち合う。

 花火の音が5発鳴った後。


「ならさ、その現実を受け入れようよ」


 僕は未来に向かって、口を開く。


「現実を受け入れる?」

「ああ。僕も現実から目をそむけていたけどな」


 僕は聖麗奈さんの瞳だけを見つめる。

 花火の音すらシャットダウンして。


「僕は聖麗奈さんが好き」

「えっ?」


 さきほど、僕がしでかしたミスもあり、信じられないといった顔をしている。


「恋愛対象として聖麗奈さんを愛してる」


 今度ははっきりと気持ちを伝えた。


「なのに、僕は見て見ぬフリをしていた」

「……」

「『僕には妹の世話がある。学校は休む場所。恋をしている余裕なんてない』みたいな言い訳を散々して、僕は逃げてきたんだ。恋愛にも興味ないフリをして」


 数ヶ月前の自分を思い出したら、笑いがこみ上げてくる。


「でもさ、妹に指摘されて、聖麗奈さんへの気持ちを認めたんだ。そしたら――」


 妹との会話が脳裏に浮かぶだけで、言いようもない解放感が押し寄せてきた。


「ものすごくスッキリしたんだよね」

「本当にわたくしのことが……?」

「好き。さっきから、そう言ってるつもりだけど」


 聖麗奈さんは目に涙を浮かべた。彼女越しに見る花火がぼやけている。


「したいことを認めたら、気持ちが楽になって、明日からも戦おうって勇気が湧いてきたんだ」


 唐突な告白で脱線してしまった。


「だから、聖麗奈さんも自分の気持ちに素直になろうよ」

「で、ですが、朝比奈家の力がなければ、おばあさまをどうやって……」

「そんなの決まってる!」


 力強く言い切った。


「未来のことは、明日の僕たちが考えればいい」


 自分でもめちゃくちゃな言い分だとわかっている。

 けれど、聖麗奈さんは眉をひそめることもなく、僕の口元を真剣に見つめていた。


「僕たちは未熟だけど、日々、成長している」


 僕は微笑んでみせた。


「ひとりでダメなら、みんなで助け合えばいい。聖麗奈さんなら料理を作ってくれたり、勉強を教えてくれたりするでしょ?」

「ええ。その代わり、心春さんには力仕事を、芽留さんにはおばあさまの相手をしていただいてますわ」

「それでいいんだよ」

「……」


「むしろ、それでいいっていうか……僕たちの2ヶ月は楽しくなかった?」

「楽しかったですわ。わたくしにとって、かけがいのない日々でした」

「なら――」

「なら?」

「これからも続けていこうよ」


 僕は聖麗奈さんの肩に手を置く。

 お嬢様は花火よりも華やかな笑みを浮かべて。


「お願いしますわ」


 会釈をすると。



 不意打ちを食らわしてきた。


「えっ?」

「わたくし、偽お嬢様ですので、彼氏さんが支えてくださいまし」


 お嬢様は僕の胸に飛び込んできた。

 僕たちは抱き合いながら、ともに空を見上げる。

 夏の星座と、花火が、僕の心に永遠の思い出を刻んだ。

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