『さいきょう』のあの子
まこちー
ぼくのはなし
あの子は、美しい。
長い金色の髪、切れ長の目、薄い茶色の瞳、クラスの誰よりも高い背丈。
あの子が廊下を歩けば、誰もが振り向く。
あの子が椅子に座れば、誰もが口を閉じる。
あの子が呼吸をすれば、あの子が鞄を開けば、あの子がペンを握れば、
誰もが、魅了されてしまう。
あの子は誰とも話さない。
あの子が誰かと話しているところを見たことがある人はいない。
あの子はこの国で一番の金持ちの家の一人っ子だから。
誰もあの子と話したがらない。
だって、怖い。
関わったら、死ぬ。
そんな気がするから。
誰も本当のことなんて分からないけれど。
高校の入学式、友達とふざけて遊んでいた男子があの子にぶつかった。
「あ、ごめん」
「……」
「やべっ、コイツ、ナントカ財閥の……。なぁ、しっかり謝ろうぜ!」
あの子の名前は誰も言わない。怖いから。
「「すみません!」」
男子二人は同時に頭を下げた。
「お、俺、金とか持ってねぇんですが……」
「俺は千円ならあるけど……」
あの子は二人を一瞥し、一人が差し出した千円を素早く奪い取ったらしい。
それを見ていた皆は思った。
「金さえ渡せば、何をしてもいいんだ」と。
人間の悪意というものは恐ろしい。
その子に雑巾を洗った水をかけても、当番を押し付けても、カンニングしたと教師に嘘の告げ口をしても。
金さえ渡せば許してもらえると思った生徒たちは、一斉にあの子をいじめ始めた。
「何か言ってみろよ」
「やめなって。声出せないのかもよ?」
あの子は背が高い。だから、少し殴られたくらいでは傷一つつかなかった。
おまけに何をされても無反応。呻き声さえあげない。
次第に退屈になってきた皆は、あの子をいじめるのをやめた。
僕はホッとした。
いじめを止めようとしていたわけではないが、なんとなく可哀想だと思っていたからだ。
あの子はきっと家族から、先生から、僕なんかが想像できないくらい大きな期待をされている。
それで、人と話せないのかもしれない。
友達が、作れないのかもしれない。
あの子はきっと、見えないところで努力している。
僕はそう信じていた。
ある日、僕はあの子が先生と話しているのを見た。放課後、夕日の射す教室で長い足を開いて座っているあの子を。
声を聞いたことがなかった。どんなことを話すのか知らなかった。だから、気になった。
何を話しているのか知りたいという好奇心で立ち止まったはずだった。
なのに
「……はあっ……」
あの子の息遣いだけで、魅了されてしまった。
いつも聞いている単調な呼吸音ではない、乱れた荒い息遣い。
……僕はたしかにそれを見てしまった。
あの子が先生に……。
終わった後、あの子は先生からお金をもらっていた。
「ありがとう」
低い、声だった。
クラスの誰よりも僕が一番最初にあの子の声を聞いた。あの子の言葉を、聞いてしまった。
見ていたことがバレたらマズいと思い、僕は慌てて校門の外に出た。
そしたら、目の前にあの子がいたんだ。
「あ……」
名前なんて思い出せなかった。同じクラスなのに。
あの子は僕の制服の襟を掴んで
「なぁ、今見たこと、二人の秘密な」
と、言った。
耳元で囁かれ、顔が真っ赤に染まった。
「○○くん、秘密守れるか?」
「……うん」
あの子は目を細めて笑った。
良い匂い、が、した。
頭がクラクラするような、思考を奪われそうな、そんな匂い。
「『俺』のこと、心配してたか?」
心配していた。ずっと、ずっと心配していた。
「ありがとう。俺はお前が俺のことを心配してると知っていた。だから今、お前が秘密を守ってくれると信じられる」
「俺は秘密が多くて、疲れてるんだ」
「だから、誰かと共有したい。軽くしたい」
彼が、その高い視線を僕に合わせる。
「協力してくれるか?」
YES以外の選択肢なんて考えられなかった。
僕だけが、知っている。
あの子の言葉を、あの子の秘密を、あの子の笑った顔を、あの子の苦悩を。
僕はあの子の知らないところなんてない。
あの子は僕以外の前では心を開かない。
だって、いじめられていたときに少しだけ、ほんの少しだけ同情していた僕を頼ってきたんだから。
こんな何の変哲もない僕を、選んでくれたんだから。
あの子はあの先生とは体の関係だって言ってたし、帰ってきたら決まってグチを言う。だから、楽しくなんてないんだと思う。
きっと、自分の意思ではない。
あの子が自分の意思を出すのは、僕の前でだけだ。
あの子は苦しんでいる。美しさなんて選べるものではないのに。変態を強制的に呼び寄せてしまう美貌なんていらないと思っている。
そのはずだ。
僕には教室であの子と話す勇気はなかった。
皆があの子と喋ろうとしないのは、僕には都合が良かった。
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