第10話 進展

 ビルキースがアイリーンを見つめていると、その視線に気づいた彼女がぱっと顔を上げた。金色の瞳と視線が合わさる。


「あ、ごめんなさい、考え込んじゃった」

「いえ、いいですよ。自分も話しかけるタイミングを考えていたもので」


 困ったように眉を下げたアイリーンに柔らかな笑みを向けて、軽く咳払いしたビルキースは、さて、と区切りをつけて口を開く。


「改めて、今、俺とあなたの結婚で一番の問題なのは金銭です。そのため、一応俺も考えまして。別の相手を探すということができないなら、俺が別の、もう少し賃金が望める仕事を探そうかと」

「それは、まだ現実的な手だと思うけど……そう簡単に仕事を辞められるの? あと、その、次の仕事の目星がないのに辞めるって、大変じゃないの?」

「大変でしょうね。……今の仕事も辞められるのかどうか分かりませんし」

「……それ、大丈夫なの?」

「分かりません。現職を辞められるかは、上との話し合い次第ですね。……なにかいい所に決まったと言えれば話もしやすいのですが」


 脳裏に職場の上司や先輩を思い浮かべる。彼等と丁度顔を明日顔を合わせることになるだろうから、なんとかうまく話をしてみようか。いや、次の仕事について皆目見当もつかないのにそんな話をするのも良くないだろう。ある程度目処がついてからにするかと考え直す。

 何か近所から働き手を探している話を聞いたことは無いかと頭の中で模索していた時、あっ、と微かな声が耳に届いた。

 すぐさま顔を上げたビルキースの向かいで、何かを思いついたように瞠目するアイリーンにどうしたのかと問いかけると、彼女は静かに口を開いた。


「あの、ひとつ思いついたんですけど……、うちの、親戚の会社で働いてみるってのは、どうでしょう?」

「え、親戚の会社、ですか」

「はい。その、おじ様が代表を務めてる海運会社なんですけど。ご存知ないですか?」


 アイリーンの言葉に、ビルキースは反射的に、あ、と声をこぼした。

 ソロモンやアイリーンの父は軍人で、祖父もかつて軍人だったが、別の親戚はかなり大きな海運業の会社を運営している。港に行けばその会社名やロゴマークが入った船や貨物が多く見受けられ、外国人の労働者も多く、関連会社もあり、ビルキースが働かせてほしいといえばきちんと仕事は与えられるだろう。ただ、そこが本当に今の勤め先より多く賃金が望めるのかは問題だが。

 アイリーンは賃金については分からないが、誰もが知る大企業ならば報酬増加の可能性はある。ビルキースは、考えてみる価値はあるとして、アイリーンからまず彼の父、又は祖父に話を伝えてもらうことにした。

 これで少し話は進み、ビルキースも気持ちに区切りが着いた。あとは、彼女の親戚がどう言うか、そして職場の上司がどう思うか――そこが重要だ。


 それからおよそ一週間後、ビルキースの元に彼女の祖父であるハーヴェイからあることが伝えられる。


「うちの親戚……あの会社の代表をしている男が、一度会ってみないかって言ってるんだが、どうするかね?」

「……えっ、俺なんかと、会っていただけるんですか」


 マスグレイヴ邸に呼び出されたビルキースは、通された応接間でそんなことを伝えられた。まさかの前向きな反応に目を丸くするビルキースの傍らで、ハーヴェイは、目尻にあるシワを一層深くするように目を細めて、穏やかに言葉を返す。町一番の長寿と言われるほどの老齢の割には、随分ハッキリした話し方で聞き取りに難はなかった。


「そうだとも、働き手になってくれるなら大歓迎だと。それで、会ってから仕事内容を説明したいというのだが、どうだね?」

 

 彼の言葉に、ビルキースはほんの僅かに迷った。自分のような貧しい者が、そんな、企業の代表者に会ってもいいのだろうかと。だが、迷っている余地は無いし、どうあれ会ってくれるというのだから、お言葉に甘えてしまおう。


「……で、では、是非、会わせて下さい」

「相分かった。では彼処あちらに話をつけておくとも。また日程等が決まり次第電話したいんだが、君の家に電話はあるかい? あぁ、都合が悪い日があればそれも教えてくれ」

「電話は、普段は近くの商店にあるのものをお借りしています。なのでそっちにかけてください。番号は――」


 ビルキースの自宅に電話はなく、近くの店で借りているのが常だった。そのため、商店の番号を伝え日程についても話し、今回は区切りが着いた。

 帰り際、ハーヴェイはふと神妙な顔つきでこんな言葉を零す。


「君にも、随分迷惑をかけたね」

「えっ、いえ、そんな……」

「アイリーンと婚姻を結ぶという話が出てから、君には様々な負担をかけているだろう。実に、申し訳なくてね」


 困ったように眉を下げたハーヴェイは、少し間を置いて話を続ける。


「周りの目を誤魔化すために、特に好きでもない異性と結婚する、なんてのは苦渋の選択だったろう。君としては、出来ることならソロモンと一緒になりたいんじゃないか」

「――っ、えっと、まぁ、もし可能であれば、そうしたかった願望はありますが……。男同士なんですから、無理というものでしょう。アイリーンさんと結婚するのは、いい選択です」

「だが、感覚の違いが著しい故に、大変なんじゃないか?」

「それは……すみません、否定できません。致し方ないというのは理解しているのですが、少し、悩みどころでは、あります」


 ハーヴェイの問に対して、罪悪感を胸にそんな答え方をした。別に平気ですと言えればよかったが、彼も2人の問題は知っている。無駄に取り繕う必要も無い。答え方に気を配りつつそう返すと、彼は軽く笑う。


「そうか、仕方ないことだな。そもそも、アイリーンには生活層や格差のことは教えていなかったろうし、ソロモンもビルキースくんの生活環境なんてわざわざ言うとは考えにくい。……とはいえ、済まなかったな」

「いえ、平気です。謝らないでください。……それでは、本日はありがとうございました。今後とも、また、よろしくお願いします」

「あぁ、気をつけて帰りなさい」


 仕方ないことだと話に区切りをつけて、ビルキースはハーヴェイに礼をいい部屋を後にした。

 使用人に案内をされながら、ビルキースはやや胸中に靄を抱えるような気持ちで、改めて邸宅内を見回す。

 ソロモンと友人関係になってから何度も訪れているこの邸宅は、正直特に案内がなくても行き来できる。そしてこの邸宅は、実家とはまるで異なる程に立派だ。美しいデザインの天井に壁紙に、ピカピカに磨かれた床に、適宜敷かれたラグに絨毯は見るからに質のいいものだ。他にも、照明も大きく豪華で、なにか凄そうな絵が掲げられていることもある。敷地も広く、建物も大きく部屋数も多い。本当に、実家とはまるで違う。

――向こうから見たら、俺の家なんて掘っ建て小屋みたいなもんなんだろうなあ……。

 本当は会うことすらなかったろう格差ある相手との結婚の話が目の前にあり、それのために相手の祖父や両親、親戚にすら手間を取らせている。

 そういうことが、なんだか、とても申し訳なく思えていた。



 それから数日後の朝、ビルキースは背広姿でマスグレイヴ邸にやってきた。今回は親戚を訪ねる日だが、ビルキース一人ではなく、ハーヴェイも同行することになっていた。こんなに手間を取らせていいのだろうかと不安になるビルキースに、ハーヴェイはにこやかに言う。


「気にする必要はないよ。隠居した老いぼれの時間など余っているからね。君さえ嫌でなければ協力したいんだよ」

「……は、はい」

「あぁ、本当はうちの息子も気にかけていたのだが、生憎都合がつかなくてね。すまないね付き添いが私みたいな老いぼれだけで」

「い、いえ、そんな滅相もありません」


 そんなやり取りをして、ビルキースは緊張しながら用意された丈夫そうな馬車を見上げて、ゆっくりと深呼吸をした。

 近年は自動車の発達によりそちらが普及しており、マスグレイヴ家にも自動車はある。また、世間でも馬車が活用されなくなった訳ではなく、街中は馬車と自動車か混在している状況だった。とはいえ、てっきり移動には自動車が使われると思っていたため、ビルキースは僅かに驚いたが、それを口にすることはなく、ハーヴェイと御者に挨拶をして、客車部分に乗り込んだ。

 馬車に揺られながら、ビルキースは体が強ばるのを感じて再度深呼吸をする。本日の面会は自分の今後にも大きく関わる事柄な故に緊張も一入ひとしおである。かつ、恋人の祖父と2人というのも緊張している要因に入っていた。これでソロモンかアイリーンでもいればまだ気持ちは違ったろうが。

 軽く雑談をしながら数十分、一行は親戚の家へと辿り着いた。こちらも、やはり大きく立派な屋敷に手入れがよく行き届いた広い庭園で、思わず息を飲んだ。

 荷物を手に降車したビルキースは、更に緊張するような感覚を胸に、ハーヴェイと使用人のやり取りを眺める。

 話は通されていたようで、暫く待っていると邸宅内へと案内された。

 立派な外観の屋敷の中は、やはり見事なものだった。つい見回したくなる衝動に駆られるが、それは極力抑えて、通された部屋でソファに腰を下ろし、飲み物を口にしながら静かに待つ。

 暫くするとやってきたのは、高級そうな背広を身につけた壮年の男性だった。彼は、にこにこと笑みを零して、反射的に立ち上がった2人に挨拶をする。


「お待たせしました。いやいや、ようこそお越しくださいました。お久しぶりです、ハーヴェイさん」

「いえいえ、どうも、お久しぶりです。元気そうでなにより」

「ハーヴェイさんがまだご健在なんですから、私がくたばっているわけにはいかんでしょう」

「ははっ、それは確かに」


 髪を短く整えた彼は、にこにこと笑みを浮かべてまずハーヴェイと握手を交わす。その様はかなり友好的なやり取りに見え、親戚としての仲は決して悪くないらしい。そういえば、親戚の中でもどういう立ち位置なのかは不明だが。

 続いて、彼はビルキースへと姿勢を向け、右手をそっと差し出した。


「初めまして。わたくし、代表のトビー・マスグレイヴと申します。本日は、ようこそお越しくださいました。どうぞよろしくお願いします」

「っ、ウィリアム・キースと言います。この度は、私のような者のために、お時間をとっていただき、ありがとうございます」


 トビーと名乗った彼の手を握り返し、緊張気味に名乗ると、それを聞いた彼が一瞬不思議そうな顔を浮かべる。


「おや、ビルキース……くんではなかったんですか?」

「あ、それは、愛称です。嫌でなければ、そう、呼んでください」

「そうでしたか。では、名前を呼ぶ際はビルキースくん、と。――さて、お仕事の説明をしましょうか」


 独特な愛称にやや驚いた様子を見せたが、にこりと目を細めてソファに座り、早速話に踏み込む。

 業務内容についての説明から、外国人労働者が何をしているか、そして給金についても聞けばなんでも教えてくれた。


「ビルキースくんは健康的に見えて体格もいいから、力仕事は向いてそうですね」「移民だけでなく、黒人や東洋人もうちには割といてね。お給金も決して少なくはないから、奥様とも問題なく生活できると思いますよ」――そんな話の後に、賃金についても説明を受けた。数ヶ月前から働いているという移民の男に支払われている金額は、確かに今ビルキースが得ている金額よりも僅かではあるが多めであった。担当業務にもよるが、長年勤めていけば、きっと徐々に給金も増え、生活も楽になるだろう。アイリーンに不自由な思いをさせずにすむかもしれない。

 ビルキースは、正直、話を聞く中で、ここに勤めるのもありだなと思いかけてきた。トビーは、仕事の良い面ばかりでなく、悪い面や苦痛な面も大体正直に話してくれている。一度、敢えて言わずにいたこともあるようだか、それを察したハーヴェイに質問され、結局正直に話してしまった場面もあったが。

 例えば、トビーいわく、世の中の情勢の影響を受けやすいため、急激に状況が変化することもあるということは頭に入れておいてほしいという。


「今は欧州の情勢も相俟って、海運や造船業界はある意味熱気に包まれているけれど、この熱気がずっと続くとは限らないからね」


 現在欧州の各地では規模を問わず様々な戦いが繰り広げられている。船舶や物資の需要が高まっていることにより、未参戦国であるこの国にも波及し、大きな影響を与えていた。もう暫くこの熱気は続くだろうといわれているが、それがいつまで続くか見当もつかないためアテにしすぎるものでもないが。

 海運と経済は切り離せないため、その話をされるのは必然だが、ビルキースはこの業界に関する知識はゼロに等しいため、それで良いのか? という方が気がかりであった。どのような仕事でも当然ではあるが、分野に関する知識がゼロとなると、暫くの期間、相当労することは目に見えている。勿論、初めから覚悟の上であるが、不安はある。

 そんなビルキースの不安に、トビーは安心させるように落ち着いた声色で説明をした。

 知識ゼロの者にいきなり高水準な対応を求めるなんてことはしないし、そもそも陸上で経験を積んでからその他の業務に携わるための勉強や異動の機会が与えられる。心配しなくていいと朗らかに言う彼に、ビルキースは、少しくらい前向きに考えてみてもいいかと漠然と思った。


 それから、実際に港近くに出てコンテナの積み下ろし等の様子等を見させてもらい、更に、自身と同じく外国人労働者にや、業務に就く子供たちと話す機会があった。彼等は特に不健康そうだとか心身に異常をきたしている様子だとかはなく、至って正常に受け答えし、「仕事はきつい時もあるが、そこそこの賃金を貰っているからさほど文句はない」というようなことを言っていた。もちろん近くにトビーがいるから耳障りのいいことを言っているだけの可能性もあるが、さほど、嘘を言っているようにも悪環境というようにも見えなかったのである。



「――で、どうでした? おじ様の会社は」


 ビルキースがハーヴェイと共にトビーに会いに行った日から数日後。アイリーンの部屋にやってきた彼は、向かいの椅子に腰掛ける彼女に目を向けた。

 ビルキースはその問いを受け、当日のことを思い出し、言葉を返す。


「悪くありませんでしたよ。今のところより賃金は期待できますし、働いている人たちも、特に無理に労働させられているという様子はなかったです。割と、健康そうな人が多かったです」

「それなら良かった」


 にこりと微笑んだアイリーンは、ローテーブルに置かれたカップを手にする。それを冷ますように息を吹きかけてから、飲む前に一言質問をする。


「それで、結局そこで仕事をするんです?」

「……そのつもり、です。現職も悪くないのですが、今後の生活のことを考えると……。そのため今度改めて上司と話してくる予定です」

「そうなんですか、前回のあれで決まった訳じゃないんですねぇ」

「あれは単なる見学と説明ですから」

「では、良い結果が出たとして、上手く行けばいつ頃から勤められそうなんでしょう?」

「未定ですが……ひと月ふた月後あたりかと。上手くいけば、ですが」


 コーヒーを飲みながらそんな会話をしつつ、ビルキースは、結婚に纏わる話だけでなく、職に関することでも頭を悩ませねばならないことをあらためて自覚し、やや気が重くなってしまったのだった。


 それから、改めて面接を受けて無事合格したビルキースは、上司に転職について報告した。最初は止められたが、既に職が決まっていることと、結婚する予定であるということを理由に出せば、仕方ないかという反応もあった。まぁ、一言くらい先に言ってくれと怒られることもあったのだが。

 ちなみに、これまで一切結婚に関する報告をしていなかったため、大層驚かれ説明に苦労したが。


 それから残り少ない現職での仕事をこなしながら、改めてアイリーンやそれぞれの両親と話し合いをし、ビルキースとアイリーンの結婚は了承された。

 その結果、両者は街に格安のアパートメントを借り、生活に関するルールをあれこれ決め、節約を心がけつつなんとか生活をすることになった。

 正直、アパートメントで暮らすのはアイリーンには慣れなかったであろう。彼女の実家を思えばこのアパートメントの部屋は狭く、使用人も常にいる訳では無い。嫁入りに備えて、以前から『花嫁修業』をしてきたとはいえ、基本的にこれまで家では使用人に多くの家事を任せていた彼女からすれば、家事も相当大変なものとなったろう。食事にしても一食作るのに想定時間の何倍もかかるし、掃除もやり方は分かっているらしいが、未熟故手際よく出来ない。ビルキースは、そんな彼女の様子を見ていると、大真面目にやっているだろうにも関わらず大変申し訳ないが、自分がやった方が早いなと感じてしまうのであった。

 ある日の朝も、アイリーンはキッチンでフライパンを片手に困り果てていた。朝食にパンケーキを焼こうとしていたらしい彼女だが、加減を間違えパンケーキはほぼ全て真っ黒になっていたのだ。5枚ほど焼けたパンケーキの内、4枚がほぼ真っ黒であり、残り1枚は逆にもう少し火を通した方がいいくらいだろうか。そんな調子である。

 寝ぼけ眼で起きてきたビルキースは、それらを見てつい絶句した。なんと言うべきか困っているビルキースに、エプロン姿のアイリーンは申し訳なさそうに眉を下げて、控えめに謝罪を口にする。


「ご、ごめんなさい、上手くいかなくて……。お母様に教わって、覚えたはずなんですけど……」

「いいですよ、別に。最初は誰でもそんなものですから。食べられたらいいんです」


 ビルキースは落ち着いた様子で返答し、バターなどを棚から出して食事の準備をする。その姿を見て、アイリーンもお湯を沸かし直すなどし、すぐさま食事の用意に取り掛かった。

 ダイニングテーブルにパンケーキやサラダ、コーヒーが注がれたカップを置き、ビルキースは自分の椅子に腰掛けた。向かいにはアイリーンが腰を下ろした。

 ビルキースは、彼女に薦められるまま、真っ黒焦げのパンケーキにバターを乗せて一切れ口に運ぶ。焦げが酷いだけあってやや苦い味もするが、食べられなくは無い。バターやシロップをかければ味も誤魔化せるだろうし、火が通っていないよりはいい。……美味しいかと言われると、微妙ではあるが。

 だが、それを馬鹿正直にいうビルキースではない。


「……うん、美味しいですよ。ありがとうございます」

「ほ、ほんとに? お世辞じゃない?」

「お世辞ではありませんよ。……ただ、もう少し焼き加減を調整出来るようになると、もっと美味しくなるかもしれません」

「ほんと? ってそりゃそうよね、ありがとう、次はもうちょっと上手く焼けるように頑張ってみるわね」


 ビルキースの向かいの席で、アイリーンは安堵の表情を浮かべて自らもパンケーキを食す。そして、自分でも焼き加減に言及した後、やや困り顔になった彼女はぽつりとこんなことを言った。


「あの、また今度、ビルキースさんもパンケーキ焼いてみてくれませんか? お手本も、見てみたいですし」

「いいですけど……普通の何の変哲もないパンケーキですよ」

「その普通のパンケーキを食べてみたくて……。私と同じ道具と材料で、どれだけ違うのかとか、コツとか、そういったものを、教えてもらいたくて……」

「いいですよ。それに、俺で良ければ今後も料理教えますよ」

「えっ、本当ですか!?」


 コーヒーを飲み、何気なく口にした言葉に、驚きやや肩を跳ねさせたビルキースは、慌ててコーヒーカップをテーブルに戻す。


「……そんなに、驚くことですか?」

「あ、いえいえ、そうじゃないの。ただ、てっきり『女のくせにこんなにも料理ができないなんて』……なんて思われてるのかなぁって、考えてただけだから……意外と優しい言葉が出てきて、びっくりしちゃって」

「あぁ、別に俺はそんな事言いませんよ。料理の巧拙と性別は別ですから」

――花嫁修業の効果はどこに行ったんだ、とは思ってるけど。


 余計な一言は胸の奥に押し込んで、ビルキースは残りのコーヒーを飲みきり、出勤のため新しい職場の作業着に袖を通した。

 そして、まだ自分はソロモンにパンケーキを振舞ったことが無いことを思い出し、近いうちにパンケーキを含め彼の好物でも作ってみるかとぼんやりと思った。

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