それから
第11話 提案
ソロモンとジェシカ、ビルキースとアイリーンで結婚式を挙げ、新婚旅行も無事に終えてから数週間が経過したある秋の中頃のこと。とある女性達がソロモンとジェシカの元を訪れた。
緩やかなウェーブを描く豊かな黒髪をもつ背の高い淑女と、そのお付きの者らしい20代くらいの若い女性の2人。彼女たちは、ソロモンの母ニコーラとその侍女だった。
ソロモンは最初、一切の連絡なくやって来たニコーラとその侍女に大層驚いた。二人が住むこのアパートの部屋に電話はないが、大家に言えば貸し出してくれるはずである。せめて大家を通して、家に来ることだけでも伝えてほしかったのだが……まあ、こうして休みの日の顔を合わせられたのでよしとすべきか。
それはそれとして、ソロモンは自分がまた何かをやらかしてしまったのではないか、という不安に駆られた。ジェシカとは上手くやっているつもりだが、自分には欠けてところもまだまだ多い。知らないだけでジェシカから母に不満が伝わっていたのでは――そう危惧したが、決してそういった話ではなく、全く別の話をしに来たのだという。
ニコーラの返答を聞いて、ソロモンは内心胸を撫で下ろした。しかしこれ以上玄関先で話をする訳にも行かない。ソロモンは慌ててジェシカに彼女たちの来訪を伝えた上で、2人をリビングに案内した。
ダイニングテーブルについたニコーラと侍女にジェシカが飲み物を用意し、ソロモンとジェシカはそれぞれ椅子に腰掛けた。そしてにこやかな笑みを浮かべてコーヒーを一口啜ったニコーラの話に耳を傾ける。
母からの話――それは『結婚を機に記念写真を撮らないか』というものだった。それもただの記念写真ではなく、ドレスやタキシードを借りて、ソロモンとビルキース、ジェシカとアイリーンで撮影をするというものであり、本来の恋人同士による擬似的な結婚の証明をしようという提案だった。
目を丸くする2人の前で、ニコーラは言葉を続ける。
「貴方たちは、恋人が同性ということ以外は異性同士の恋人と何ら変わらないはずでしょう。でも、やっぱり、同性でお付き合いしてるのは表では言えないし、どうしても悪いことっていう感覚はあるかもしれない。それに、実際に結婚はできないから、空しいというか、悲しいというか、そういう感覚はあってもおかしくないと思うの。……でも、私は貴方たちを祝福したいと思うの。だからせめて、写真を撮るのはどうかしらって考えて……」
「それは……なんとも、素敵な提案ですけれど……」
眉を下げ、戸惑った様子を湛えながら紡がれた母の言葉を聞いて、ソロモンは内心非常に驚き、かつ、喜んだ。しかし、その気持ちを少し抑えて、快諾の言葉を飲み込む。
もちろん、言葉にしたように母の提案は嬉しく魅力的なものであった。母の気持ちは非常にありがたい。しかし、素直に承諾は出来ない。本当にそんなことをしていいのか、迷惑をかけないか、そして、誰に撮影を頼むのか、という懸念点が頭に上がるからである。
これで、マスグレイヴ家の親族に写真師でもいればよかったのだが、思い浮かべる限り存在しないことを考慮すると、どこからか探して依頼する必要がある。普通なら婚礼写真くらい、相応の報酬を払えばどの写真師でも快く撮ってくれるだろうが、同性となれば話が別だ。どれだけ上手く理由をつけても違和感が大きすぎる。
仮に上手い理由で説明し、撮影では何事も無かったとしても、どこかで同性同士の恋愛に気付かれ、後から通報なんてされてはたまったものではない。社会的にはその行動は正しくとも、4人としては、愛する者と写真を撮っただけで侮蔑や奇異の目に晒され、裁かれる羽目になるのは避けたい。
しかし、そこは安心してほしいと母は言う。何故ならば、今回依頼する予定の写真師は、報酬さえ払えば訳ありの相手でも丁寧に仕事をしてくれる人だと言うからだ。
飲み物を一口飲んで唇を湿らせた母は、カップを置いて話を続ける。
「ほら、ソロモンは覚えてないかしら? 以前お世話になった、カーターさんって方なんだけど」
「え? …………あ、えーっと、もしかして、以前ロジャー兄さんの婚礼写真を撮ってくれた方……ですか?」
「そう、その人よ」
「何、ソロモンさん、知ってる人なの?」
「えぇ。とはいえ、僕はそんなに話した覚えはないですし、うろ覚えですけどね」
母から出た『カーター』の名に、なんとかソロモンは自身の記憶からその人物を引っ張り出した。その人は、8年程前に次兄・ロジャーの結婚の際に世話になった人だったからだ。
次兄は、白人でありながら黒人の女性と恋に落ちた。深く愛し合い、生涯共にあろうと約束し指輪も贈りともに生活している。しかし、法の上では正式な夫婦にはなれず、恋人同士という認識すらされない。それでも、何か証明になるものが欲しいと考えていた次兄夫婦に、父がカーター氏に写真を撮ってもらうことを提案したという。次兄夫婦はこれに大層喜び、当時の写真を今もとても大事にしているという。
また、撮影後も特にトラブルがあったとは聞いていないし、父母も次兄夫婦も大きなトラブルには直面していないという。これはきっと、信頼してもいいのではないだろうか……ソロモンはそんなことを考えた。
ソロモンは、膝の上で組んでいた手をいじくるように動かし、数秒沈黙してからすっと母の方へ顔を向けた。
「あの、確認したいのですが」
「なにかしら」
「えっと、ロジャー兄さん達が撮影をしたあと、特に何もトラブルは起こっていませんでしたよね? 僕が知らないだけで、後から警察に通報されたなんてことは……」
「何も無いわ。
「……うーん……それなら、まだ安心できるかも。ジェシカさんは、どう思いますか?」
ソロモンは、考える素振りを見せながら、隣の椅子に腰掛けるジェシカに話を振った。彼女は、そうね、と零し数秒黙り込んでから、ソロモンの母に問いかける。
「いい案ではあると思います。でも少し、お義母さまに確認させてください」
「えぇ、どうぞ」
「そのカーターさんという方が、異人種の方ではなく、私たちのような事例のカップルを撮影して、何事もなく終わっているという前例はあるんですよね?」
「そうね。そういった例はあるはずよ。でも、今ここで証拠も出せないし、後で確認しておくわ」
「ありがとうございます。……あと、私たちみたいな特殊な事情持ちに対しては、料金がやたら高いってことは……」
「そんなことはやってないそうよ。色々注文を追加すると、その分お金はかかるけど、そこまで高くもないみたいだし」
母は落ち着いた様子でそう言ったあと、彼女は、使用人が用意してくれていたメモを見ながら、次兄が撮影をした際の内容をざっくりと説明してくれた。彼等の場合、写真館のスタジオ内での撮影で、衣装やヘアメイク、アクセサリー代など諸々含めても、相場とほとんど変わらない程だった。
「衣装を自分で用意するとか、小物の量を減らすとかすると、もっと安く出来ると思うわよ」
「なるほど……。うん、まぁ、それなら、いいかもしれないですね」
暫し考える素振りを見せたジェシカの反応は、前向きだった。アイリーンと写真を撮れるのも、再び綺麗なドレスを着られるのも嬉しいのだろう。だから、よっぽど高額でなければ、やってみてもいいのではないかといった意見だった。
ソロモンも、ジェシカの意見に同意する。折角なのだから記念になるし、尚且つ本来の愛する人との想いの形を残せるのは良い。それに、自分やジェシカ、アイリーンの衣装はともかく、ビルキースの衣装には興味がある。式の時とはまた違う彼が見られるのかもしれないと思うと、多少は気持ちも上がるというものだ。
それに、挙式と披露宴に比べ、非常に格安なのもいい。これなら現在の自分達の経済状況でも手を出しやすい。
ソロモンとジェシカの意見がほぼ一致した。その旨を母に伝えると、彼女は嬉しそうに微笑む。
「よかった! じゃあ、折角だし撮影しましょう! アイリーンとビルキース君にも私から話をするわね」
「はい。……あ、僕からも普通にビルキースにこのこと話していいですよね?」
「もちろんいいわよ。詳しい話は私からするからって言うことだけ伝えておいて」
「分かりました」
2人揃って礼を述べ、母は侍女を連れ上機嫌で帰宅した。
それから同日にアイリーンとビルキースも連絡を受けたことを、ソロモンはビルキースから聞いた。アイリーンとビルキースも、この話には好意的な反応を見せており、打ち合わせや撮影の日程調整等も行われ順調に話は進むことになった。
この話には誰1人拒絶する意を見せることなく、正直、4人は挙式以上に胸を膨らませていたのだった。
提案から打ち合わせを経て、およそ一ヶ月半程が経過した撮影当日の朝、2組のカップルは写真館を訪れた。館は古風な雰囲気は漂う立派な建物であり、門扉に掲げられた表札には『カーター写真館』と表記されている。
敷地内に馬車を停める。御者は彼等に挨拶をし『ではまた夕方にお伺いしますので』と一旦マスグレイヴ家へと戻っていった。それから4人が揃って屋敷に向かうと、玄関扉のところに眼鏡をかけた中年の男性が笑みを称えて立っていた。彼は一行に気づくと、挨拶と共に手を差し出す。
「いらっしゃいませ。本日はようこそおいでくださいました」
優しげな言葉と共に差し出された手に、誰が先に握手をするか戸惑った。しかし、元々マスグレイヴ家の関係者であることや、こういった場合は夫が先に挨拶するものだろうということから、一番適切であろうソロモンが一歩前に出て手を差し出す。
「こ、こんにちは。ご無沙汰しております。この度は引き受けて下さりありがとうございます。改めまして、ソロモン・マスグレイヴです。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
「えぇ、よろしくお願いします。……そちらの方は奥様でしたね」
「え、えぇ、はい。こちらが、えっと、『妻』の、ジェシカです」
「ジェシカといいます。よろしくお願いいたします」
ソロモンは自身の名を名乗った後ジェシカを紹介した。ジェシカは恭しく名乗る。続けてビルキースが口を開いた。
「本日はよろしくお願いいたします。ウィリアム・キースです。普段はビルキースと呼ばれています。それで、こちらが『妻』の、アイリーンさんです」
「妻のアイリーンです。今日はよろしくお願いします」
「はい、えーっと、ソロモンさんと、ジェシカさんと、ウィリアムさんと、アイリーンさんでしたね。はい、おっけーです。今日はよろしくお願いします」
写真師カーターは小柄な眼鏡の男性だ。ソロモンは彼に挨拶をし軽く言葉を交わしてからジェシカを紹介した。ビルキースとアイリーンの方もそれぞれ挨拶をし、改めて名前を確認してから建物の中へと案内される。
古風な雰囲気が漂っている店内は綺麗に清掃が行き届いており、壁には絵や見本としてのいくつかの写真が飾られている。家族写真や親子、夫婦での写真が多く見受けられる。自分たちもこういった様子で撮影してもらうのだろう。案内された応接間のソファにてそれぞれの組み合わせに分かれて腰を下ろし暫く待っていると、従業員らしい女性が4人分のコーヒーを出してくれたため、一言断りを入れて、湯気を立てるコーヒーを口に含んだ。
ソロモン達4人がコーヒーと共に雑談をしていると、暫くしてからカーターがソファにて待つ4人の元へ歩み寄った。ソファより少し距離を置いたところで足を止めた彼は、眼鏡の奥の瞳を細める。
「皆様、本日は撮影のために足をお運びいただき誠にありがとうございます。改めましてここの写真館店主のカーターといいます。どうぞ本日はよろしくお願いいたします」
恭しく挨拶をした彼は、さてと仕切り直すように言葉を零すと、改めて四人を見て本日の予定を話す。
この後は衣装を確認し着替えてからそれぞれ希望する組み合わせで撮影を行う予定だ。先に男性陣の写真を何枚か撮り、その後に女性陣の方を撮影。そして最後に記念として四人で撮影する予定である。枚数は少々多いが、折角の記念なのだからとこういった形になった。
ちなみに、カーターは『夫婦』でなく同性同士で撮影することを快く了承している。ソロモン達は最初伝え時に驚かれるのではと思っていたが、カーターの反応は意外とあっさりしていた。なんでも『そういった方も時折いらっしゃるんです』だとか。
どうあれ、希望通りの組み合わせで撮ってもらえるのはありがたい。恐らく、わざわざ同性で撮りたいと言っている時点で関係性は推測されているだろう。だが、カーターの言葉からも、彼がこの手の依頼が初という訳ではないとも分かる。断られている訳でも、引かれている訳でもないのだから、過剰に気にすることも取り繕うことも控えた。
――きっと、この方は大丈夫だろう。変に考えないでおこう……。
少なくとも、以前の打ち合わせ時点でソロモンはそう考えた。
そうして再度確認をした面々は、それぞれ衣装部屋へと向かう。
男性従業員に連れられ、ビルキースと共に男性用の衣装部屋へ向かったソロモンは、以前目星をつけた衣装を確認する。ソロモンが選んでいたのは、ライトグレーのタキシードだった。この色は挙式当日にビルキースが着用していたものと近く、ソロモンは当然のようにそれを意識して選んでいた。
また、ありがたいことにソロモンに合う衣装も元から準備されており、衣装選びに困ることはなかった。どうやら男女どちらも多くのサイズ展開がされているようで、背が高いソロモンもアイリーンも困ることはなさそうだ。もちろん、平均的な背丈の人向けの衣装よりは数は少ないが……だとしても選択できる余地があるのはありがたい話である。
写真館側の気遣いに感謝しながら、ソロモンは単身用の更衣室にてタキシードに袖を通す。白のシャツにライトグレーのジャケットとスラックス、ジャケットよりやや深い色合いのグレーのベストに黒の蝶ネクタイ。胸元にポケットチーフを添えて形を整えれば、鏡に映るのはいつもと少し異なる姿の自分自身である。淡いクロッカス色の癖毛と、ライトグレーの色合い、そして首元を彩る黒のネクタイが思った以上に似合っているような気がした。
――うん、まぁ、悪くないかも。あとはちょっと髪を整えてもらえたら……いい感じになるんじゃないかな?
ソロモンは眼鏡の位置を調整し、髪を弄ってから、やや広めの単身着替えスペースのカーテンを開けて部屋を出た。控えていた男性従業員が、それを見て柔らかい笑みを浮かべる。
「よくお似合いですよ、ソロモンさん。なにか違和感などあるところはございますか?」
「ありがとうございます。……あ、違和感は特にないですね、丁度いいです。サイズも合っててよかったです」
「それはようございました。ウィリアムさんはまだのようですので、その間に髪を少し整えましょう」
「――え? ……あ、はい、分かりました」
――ウィリアムって一瞬誰の事かと思っちゃった……。ビルキースだよね。
そんなことを思いつつ男性従業員に連れられて、更衣室の向かいにあるヘアメイク用の鏡の前の椅子に座らせられる。櫛を髪に通されて整髪料を軽くつけて髪型を整えている頃、背後の個室のカーテンが開き、白のタキシードを身に纏ったビルキースが徐に姿を現した。振り返ってよく見てみると、やはり褐色気味の肌の色合いに白いタキシードがよく映え、端正な姿についつい頬が緩みそうになった。
「すみません、お待たせしました」
「いえいえ構いませんよ。あぁ、ウィリアムさんもよくお似合いで」
「ありがとうございます。……どうだ? ソロモン」
「え、あ、うん。……凄いですね、ビルキース、とても似合ってます。かっこいいです」
「ん、ありがとな。いやぁ、お前も似合ってるな。すっごい馴染んでるよ。惚れな……いや、なんでもない」
こちらに歩いてきたビルキースが照れくさそうに笑って、言いかけた言葉を途中で訂正した。恐らく『惚れ直しそう』なんてことを言いかけていたのだろう。普段の彼らしくもなく、内心非常に驚いたが、いつもと違う装いもあって気が高揚したのだろうか。滅多にない光景に、つい笑ってしまう。直後にビルキースにじっと睨まれたが気にしないことにした。
続けて、ソロモンの髪を整える絵を止めて話しかけるタイミングを窺っていた男性従業員が、恐る恐るビルキースにも質問する。
「……えー、その、ウィリアムさんも、なにか違和感あるところなどありますか?」
「あ、いや、特にないですね。丈もサイズ感もピッタリです」
「それはそれはようございました! では、そちらの衣装で撮影していただくとして……いかが致しましょうか。奥様方はまだ準備に時間がかかるようですので先にお二人の分は撮影しましょうか」
「えぇ、そうしましょう。僕らの方が早いなら先に撮って、後で四人で撮ろうか」
「うん、そうだな。そうするか」
ソロモンの問いかけにビルキースも頷いた。
そういう訳で、男側2人は、幾許かの高揚感を胸に、先に撮影をすることになったのだ。
撮影は順調に進んだ。初めは2人で並ぶこと自体に緊張感を抱きもしたが、それよりも2人の記念写真を撮影できるという喜びが勝った。
装飾した壁を背景に、大きめのフィルム式スタジオカメラが2人を捉える。カーターの指示に従いいくつかポーズを調整しながら数枚撮影した。ただ並んでいるだけでなく、椅子に腰掛けたりとバリエーションもあり、これらはカーター側から提示してくれたポーズであった。また、腕を組んだりやや肩を寄せ合ったりするポーズを提案された時は流石に驚いたが、自分たちの関係性は察されているだろうし、彼は自分たちを嘲笑も軽蔑もしないようだ。そのため、恥じらいながらも彼の言葉に従って腕をい組み体を寄せ合った。まさか、家族以外の前でこんな風に恋人と写真を撮影できるなんて思いもしなかったため、ソロモンは胸にほんのり温かいものを感じ、つい顔が綻んだ。
一通り撮影を終えると、短く息を吐いたカーターがふと顔を上げてにこやかに微笑む。
「さて、ではお二人の撮影は終了ですね。お疲れ様でした」
「あ、はい。ありがとうございます!」
「たくさん撮っていただいてありがとうございます」
「いえいえ。素敵な写真が撮れたと思いますよ」
優しく発されたカーターの言葉に、同時に体からフッと力が抜けるような感覚があった。やはり緊張と高揚で全身に力が入っていたのだろう。特に複雑なポーズはしていないのにやや疲れた感覚があった。それでも心の内は喜ばしい気持ちに溢れていて普段よりも明るく言葉を返した。ビルキースも撮影中から柔らかい顔つきをしており、きっと彼も自分と同じような気持ちでいたのだろう。そう思うと更に嬉しくなった。
二人に対し静かにカーターは言葉を返して、機材を一旦片し始める。次の撮影までまだ時間があるからだろう。スタジオカメラに黒い布を掛けながらソロモン達に言葉をかける。
「お二人とも、暫く休憩なさってください。奥様方はまだ準備中のようですから、その間応接間でコーヒーでもいかがです?」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
「そうですね。暫く休憩させていただきます」
カーターにそう返して撮影部屋を後にし、最初に案内されたソファのあるスペースにやって来た。こういったものは、男性側より女性側の方が時間がかかるに決まっている。ドレスの着付けだけでなく化粧もあるのだから、少なくとも1時間くらいはかかるだろう。そうなると待つ側は暇であるが、ビルキースと話していればいいし、そうでなくてもソロモンは本も持ってきている。なんとか時間は潰せるだろう。
女性従業員に、ここで少し待つよう促されたのでソファに腰を下ろして待っていると、数分後、彼女が二人分のコーヒーを持ってきてくれた。礼を述べてからソファの近くにあるテーブルに置かれたカップを手にし、それを一口飲む。温かいコーヒーにほぅっと息が零れた。
「美味しいです」
「だな。ありがとうございます」
「いえ、サービスですから。衣装を汚さないように気をつけていただけましたら結構です。……それでは、また奥様方の撮影が終わりましたら、お呼びしますね」
「はい、よろしくお願いいたします」
「それまで待ってますので」
「はい、よろしくお願いいたします。それでは失礼します」
人好きのする笑みを浮かべてそう説明した女性は、そう口にしてその場を離れた。
女性が離れたことで、広い階層の中はソロモンとビルキースの二人だけのような感覚になった。もちろん、そんなことはない。休憩スペースには2人だけではあるが、少し離れたホールの受付やバックオフィスには従業員がいる。しかし、付近にいないことによりとても静かで、故にそういった勘違いをしてしまいそうになるほどだった。
「……静かですね」
「そうだな」
「なんだか落ち着きます」
「……だな」
コーヒーを口にしながら、ポツポツと言葉を交わす。
ソロモンは、向かいのソファに座るビルキースの姿をじっと見つめて、薄く唇を開いた。
「……タキシード、似合ってますよ」
「ありがとうな。嬉しいよ。ソロモンも似合ってる」
「ありがとうございます。……こうして写真撮れて良かったですね」
「そうだな」
本来は隠さなくてはいけない関係性にもかかわらず、周囲の協力のおかげで2人で記念撮影ができるというのは、非常にありがたいことだ。きっとそれは、ソロモンとビルキースだけでなく、アイリーンもジェシカも感じているだろう。それに、ソロモンとアイリーンは家族にも恋人との関係を当たり前のように受け入れられている。これは、非常に幸運なことだ。
ソロモンは、自分は非常に恵まれているのだと改めて思いながら、アイリーンとジェシカの撮影終了を待った。
偽装結婚 不知火白夜 @bykyks25
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