Episode001:最初の話

(no name)

Episode001:最初の話



「今が、どん底」


だと、他人は言うけれど、


「どん底」


が、


「点」


だと、思わないで。


いつまでも続く、


「線」


で、あることも、あるんだから。



わたしは、つい今しがた、人を殺した。


今日は朝から気分がすぐれなくて、できることなら店には出たくなかった。しかし、休むなら罰金だと言われ、わたしは嫌々店に出ようとしたが、嫌々店に出ても罰金だと言われ、仕方なく、精一杯の作り笑いと赤い下着で店に出た。店に出てしまえば、気分は幾分か良くなるかと思ったが、それが良くならなかった。


客の変態染みた要求にも、いつもなら、笑顔と赤い下着でかわせるところも、今日のわたしには、できる自信がなかった。そしてやはりできなかった。また、その客もしつこかった。


それで頭にきて、花瓶で男の頭を殴ったのだ。


わたしは恋人でもなんでもない、ただの客の男を殺したのだ。全くの、赤の他人によってわたしは、起訴される。そう思うと泣けてくる。と思ったが、泪は一粒も出てこない。自分の無情さにため息が漏れる。


「あーあ、やっちゃったね」


飛び上がらんばかりの驚き。全身の毛を逆なでながら恐る恐る振り返ると、クマがいた。クマのぬいぐるみがいた。


「…おまえ、喋れるの?」


最初に、そんな言葉が口をついて出た。


「神様が、おまえの望みを聞いてくださったのだ」


見覚えのある、黄色いつなぎを着たクマのぬいぐるみ。


「おまえ、子供の頃、俺と喋れたらいいのに、そして、友達になれたらいいのに…と、毎晩のように、願っていただろ」


それがまるで映画俳優のように気取った感じで部屋の入口の扉に手をついて、得意げに答える。


「どうして、今、このタイミングで、その願いなのよ!」


部屋に死体の転がるこの状況で。


「もっとほかにもあったでしょ…」


煙草と香水と精液の匂いが、ラフレシアの放つ死臭のように混ざり合う部屋で、わたしは言った。


「わたし、起訴される」


「おまえ、友達はできたかい?昔は、いつも近所の女の子たちに無視されて、いつもひとりで、お人形遊びしてたもんな」


「よしてよ、今、そんな話」


「俺にも変な服着せて」


「わたし、起訴される」


泣けてくる、と思ったが、やはり泪は一滴も出てこなかった。


「女友達はいないのかい?一緒に死体を運んでくれるような」


わたしは首を振る。


「こういう職業では、必要不可欠だろ?」

 

ぬいぐるみが言う。


「いないわ」


わたしは言って、首を振った。


「女がすごく怖いの。女ってだけで、…半分殺人者だもの!みんな、わたしが、死んで消えることを願ってる。わたしの不幸が、彼女たちの幸福のひとつだもの。仲間になんて入れてもらえない…」


「昔っから変わらねぇなぁ。まあ、仕方ねぇな。美女には謎と孤独がよく似合う。つるむような女は味噌糞一緒のブスばっかだ」


ぬいぐるみが言う。


「恋人は?」

「いないわ」


わたしは首を振る。


「まあ、しょうがねぇ。まともな男と付き合えてたら、こんな春を売って金に換えるような職業、つくはずねぇもんな。まあ、美女は、愛と金を天秤にかけられたら金を選ぶが、金と孤独を天秤にかけられたら、孤独を選ぶ生き物だからな。『わたしはひとりになりたいの』」


わたしは床に転がる頭のかち割れた全裸死体を見た。そばには花瓶が転がり血だまりがわたしの足元にまでおよんでいる。


「まるで」


血だまりを見つめる。


「罪みたい。女友達がいない罪。追起訴されるわ」


わたしは言った。


「追追起訴だな。恋人が作れない、罪。きっと、あれだな、死刑だな」


ぬいぐるみが言う。わたしは唇を噛む。

 

「まあ、しょうがねぇ。ダイアモンドが女の子の永遠のお友達なら、ぬいぐるみは美女の永遠の共犯者だな」


それでもやっぱり、泪は出てこなかった。


「まあ、そう、人を殺しちゃったような顔するな。俺の鼻をよく見てみ」

 

ぬいぐるみが言った。わたしはしゃがみ、クマのぬいぐるみの、黒い刺繍糸でできた鼻を見た。クマのぬいぐるみが鼻を突き出す。


「…薬?」


促されるがまま、刺繍糸を爪で引っ掻き分けると、カプセルがひとつ出てきた。


「こんなこともあろうかと、おまえのお母さんが俺を作るときに忍ばせといてくれたんだよ。おまえが送る人生を見越して」


わたしはカプセルを手の平にのせ見つめた。それは、嫌みなほどに青い粉で満たされていた。


「美女には自殺がよく似合う。特に服毒自殺が」


目の前がぐるぐると回り始める。まるでジェットコースターに乗っているみたい。春夏秋冬の記憶が追い付いては追い抜いていく。まるで、走馬灯のように。


知らぬ間に閉じていた目を、ゆっくりと開ける。そこには動かぬ死体と、クマのぬいぐるみが、まだあった。ぬいぐるみは鏡の前で、よれた鼻の刺繍糸を元に戻していた。


「テディ、あなた、わたしのこと、愛してる?」


テディは振り返り、そして、映画俳優のように遠くを見据え、言った。


「ああ、世界中の誰よりも」


「いつも、わたしとお喋りできたらと、願ってくれた?」


「ああ、いつも願ってた」


「テディ」


「まだ、なにか」


わたしは赤いブラジャーの秘密のポケットにカプセルをしまいながら言った。


「わたし、絶対に負けない。わたしの死を、神の代理人ぶって、左右しようとする人たちなんかに」


わたしは逃げた。


ぬいぐるみを人質に。でもテディは人じゃないから、ぬいぐるみ質に。もしかしたら、神様は人の願いは叶えないのかもしれない。


「いいか。カプセルは一錠しかないからな。死ぬチャンスにしろ生きるチャンスにしろ、チャンスは一回きりなんだからな」


わたしはうなずいた。


神様は、わたしの願いじゃない。テディの願いを叶えたのだ。人の願いを叶えてくれるものがあるとすれば、それは、お母さん?


わたしは逃げた。線のように続く国道線沿いを。



<了>

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