サキュバスを腹上死させた魔王ですが世界中から狙われるようになりました

釧路太郎

第一部

第1話 とりあえず、魔王になってみた 前編

 何も無い空間に一人取り残されたのだけれど、俺の視界は不思議と遠くまで見渡すことが出来ていた。何も無い空間で遠くまで見渡せているというのも変な話ではあるのだが、じっくりと目を凝らして見ているとところどころ何かが立っているようにも見えていた。

 俺はそれを見に行こうと思っているのだけれど、先程からどれだけ力を入れても足が前に進むことは無かった。何かに固定されているわけでもないのに足を動かすことが出来ない。どうして動かすことが出来ないのだろうか。俺にはその理由がわからなかった。

 足が動かないというのはそれほど苦痛ではなかったのだが、後ろを振り向けないというのは相当なストレスが溜まっていたと思う。俺の後ろに明らかに誰かがいるのだが、足音を立てることも無く衣擦れの音が微かに聞こえるのも俺に強烈なストレスを与えてきていた。いっそのこと俺に話しかけて欲しいとさえ思っていたけれど、こんな何も無い空間にいるような奴はきっとまともな神経をしていないと俺は理解してした。


「まともじゃないって君は思ってるかもしれないけどさ、それは正解だよ。僕は君をここに連れてきたんだけど、君は勇者と魔王だったらどっちが良いかな?」

「逆に聞くけど、その選択肢で魔王を選ぶ奴っているの?」

「相当な変わり者じゃないと魔王なんて選ばないかも。魔王になって好き勝手やったとしてもさ、結局は勇者に倒されちゃうってみんな知ってるんだよね。だからさ、みんな魔王よりも勇者を選んじゃうんだ。でも、魔王だって特訓を重ねれば勇者よりも強くなる可能性はあるんだよ。だってさ、君の知ってる魔王って単独で勇者たちと戦っていい勝負をしているだろ。一対一だったら結構いい勝負になると思うんだよね。だからさ、魔王も悪くない選択だと思うよ。どうかな?」

「どうかなって言われてもさ、倒されるってわかってるなら魔王なんて選ばないでしょ。大体、なんで俺に魔王になるか勇者になるかなんて聞いてるんだよ?」

「それも気になっちゃうよね。でもさ、君だってゲームをやるのに特に理由なんて無いでしょ。それと一緒だよ」

「いや、ゲーム感覚で俺を魔王にしようとするなよ。死んじゃったらどうするんだよ」

「それもさ、ゲーム感覚で生き返ることが出来るんだよ。例えばさ、君がゲームの中で魔王を倒したとするじゃない。でも、他の人のゲームではまだ倒されてないんだから、そっちでは大丈夫って事なの」

「大丈夫って言われてもな。結局そっちでも倒されちゃうって事でしょ。そんなのやってらんないよ」

「大丈夫大丈夫。魔王ってさ、勇者が来るまでの間は好き勝手に出来るんだよ。何をやったって魔王って理由だけでみんな納得してくれるんだよ。ある程度の反則行為だって魔王って理由だけで黙認されたりもするしね。ほら、魔王だって楽しいことがいっぱいあるんだよ」

「じゃあさ、百歩譲って俺が魔王になろうって思ったとするでしょ。でもさ、そんな重大な選択をしようとしているのに俺の前に姿を現さないってどういうわけなのかな。魔王になってもいいかなって少しは思ってきているんだけどさ、顔も見せないような相手の提案に乗ろうとは思わないよね。君だってさ、電話越しに魔王になりますかって言われても、なりますって言わないでしょ。お願いするって言うんだったらさ、顔くらい見せてくれてもいいんじゃないかなって、俺は思うな」

「君の言ってることはもっともだと思うよ。でもね、僕たちの世界には僕たちのやり方ってのがあるんだよ。今はまだ姿を見せることが出来ないって事なんだよ。でもさ、君が魔王になってくれて一度死んでくれたら姿を見せてあげられるよ」

「それってさ、勇者になって死んでも同じなの?」

「いや、勇者の場合は姿は魔王を倒すまで見せられないの。だってさ、勇者が僕たちに頼って魔王を倒すのって良くないでしょ」

「魔王は頼っても良いのかよ」

「そりゃね、魔王は多少のチートを使ってもらわないと序盤で詰んじゃう可能性もあるからね。そうならないためにも僕がサポートすることもあるんだよ」

「じゃあ、魔王になって見ようかな。でも、死んだ後に勇者になりたいって言ったら勇者に変更することも出来るの?」

「一応それは可能だよ。でも、魔王になって三回討伐されるまでは魔王をやってもらうけどね。四回目からは勇者も選べるようになるよ。でも、その時は大魔王になれる可能性もあるんだけどね」

「そんな可能性があるんだったら魔王でもいいかな。じゃあ、魔王になってみようかな」

「じゃあ、魔王になるために必要なんで契約書にサインをしてもらおうかな」

 俺の目の前に現れた白紙の契約書と羽ペンが早くサインを知ろと催促してくるように小刻みに揺れていた。いきなり目の前に現れたのも驚いてしまったが、契約書と羽ペンが揺れているのも驚いてしまった。それよりも、契約書が白紙というのが一番衝撃的だった。

「あの、これは白紙なんですけど。白紙の契約書って怖すぎるんだけど」

「白紙なわけないじゃない。あ、もしかして、まだこっちの世界に適応していないって事なのかな。じゃあ、ちょっとだけ力を分けてあげるね。ちょっとだけだよ」


 俺の背中に何か温かいものが触れているように感じていたのだけれど、その感覚が消えないうちに物凄い衝撃が俺の全身を駆け巡った。車にはねられたもこんな衝撃は無かったと思う。そうか、俺は車にはねられてここに来たという事なのか。となると、車を使って俺をはねたのは後ろにいるこいつなのか?


「なあ、俺を車ではねたのってお前じゃないよな?」

「何を言っているか僕にはわからないけど、君が死ぬことになった原因を作ったのは僕で間違いないかもしれないよ。でも、あっちの世界の死なんてこっちではどうでもいいことだよ。それにさ、戻りたかったらいつでも戻してあげるけどね」

「じゃあ、一回元に戻してくれよ。今ならまだ間に合うだろ。ちなみになんだけど、車にはねられて全身バラバラとか無いよな?」

「それは大丈夫。向こうの世界で君の体が欠損してしまったらこっちでも同じように欠損するからね。でも、今は戻らない方がいいんじゃないかな。今戻ってもすぐにこっちに戻ってくることになると思うしね」

「それって、どういう意味?」

「僕は詳しくないんだけどさ、君たちの文化では死体を燃やすんだろ。ちょうどこれからそれを行うくらいの時間なんじゃないかなって思ってね。まだかもしれないけど、確かめに行ってみる?」

「いや、それはやめておこうかな。とりあえず、魔王になってみるよ。無理そうだったらさっさと三回死んで勇者でやり直すことにするわ」

「OK。じゃあ、魔王の難易度はどうするの?」

「どんなもんかわからないから、一番難しいのでやってみようかな。とりあえずどんなもんか確かめる必要がありそうだし、どの程度なのか見極めさせてもらおうかな」

「君の希望通りに理不尽地獄モードで開始するね。もう取り消せないからね」


 取り消せないってのはどういう意味なんだ。これから未来永劫そのモードを繰り返すって事なのか。俺はいつの間にか文字が浮かび上がっていた契約書にサインをしながらその疑問が頭の中を駆け巡っていた。


「ちょっと待って、難易度ってずっと同じなの?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る