四 下船

 商船の乗組員の中には怪我を負った者はいたものの、死者は出ていなかった。海賊の数の多さを見て、はじめから抵抗をしなかったからだ。

 ここは元々海賊が出る危険性のある海域で、商船に備えもある。さらに乗組員も屈強な者が多く揃っている。それでも、今回は抵抗するだけ無駄だと悟れる程の勢力だった。

 普通の商船であれば、数で圧してやすやすと積荷を奪えたはずの海賊も、不運に尽きる。総勢五二名の海賊は、全員残らず浄の振るう刃に命を落とした。

 浄は掠り傷一つ負わなかった。


 太陽が西の海へと沈む。商船は無事、松柏の支配下にある海を二日航行したところだ。藤は甲板に座り、置かれた木箱に凭れかかりながら空と海に支配された景色を眺める。

 船室から寝床を倉庫に移し、藤の船酔いは多少緩和している。しかし、体調の悪さは相変わらず続いていた。

「そろそろ目的地に着くらしいぞ。下船の支度は済んでいるか」

 船室に戻っていた浄が、乗組員から聞いた言付けを伝えに甲板に出てくる。顔に当たる日差しに気づいて、目を細めながら藤を見た。

「船から見る日暮れは綺麗だな」

「もう二度と見たくはないが……下船の知らせは何よりの僥倖だ。支度ならとっくに済んでいる。元より荷解きなどはしていない」

 弱々しい声で悪態をつく藤に、浄は笑う。

「帰りも乗ることになるぞ」

 その言葉に、藤は口籠った。藤は往路で浄の暗殺を終えるつもりだからだ。

 浄は藤の様子を気にすることもなく、その横に腰を下ろす。そして、藤の顎に指をかけて、自分の方を向かせた。

「相変わらず顔色が悪いな。下船したら今日は宿に泊まろう。予定は明日にずらせば良いだろう」

 藤の返事は一瞬遅れたが、結局「そうだな」と同意した。松柏ソに到着した後は、そのまま闇に紛れて集落の襲撃に向かう予定だった。けれど藤も、自分の体調ではろくに動けないことを自覚している。

 加えて、藤の本来の目的は、集落の殲滅ではなく浄の暗殺だ。船の上では浄の暗殺の機会を伺うことすらできなかった。であればこの後、浄が気を緩める時間は長い方が良い。

 顎にかかった手を振り払い、藤はゆっくりと息を吐く。

「世話をかける」

「なに、お前の弱った姿を見るのも悪くない」

 言葉の真意を探るように、藤は視線を向ける。そして、冗談めかした軽薄な表情に隠された、浄の燻るような色香に気づいた。

 見なかったふりをして、立てた膝に頬杖をつく。

「浄は昔、長い間船に乗っていた、と言っていたな。それはいつ頃の話だ。白虎では、船になどそうそう乗らないだろう」

「ああ。白虎に来る前の話だ」

「来る前? 浄は白虎出身ではないのか。どこの出だ」

「この世ではない」

 藤は目を瞬く。

「この世ではないならどこだ。あの世か?」

「そうかもしれないな。どこだかは分からんが、この世ではない。そこでは俺は毎日、父が何体もの死体を家の地下室に運び込んでは、解剖しているのを見ていた。手伝ったこともある。ある日、村に外から人が来て、父と俺を連れて船に乗せた。それから長い間、船で暮らしていた」

 浄の語り口は、他人の話をしているかのように軽い。想像もしなかった突拍子もない話の内容に、藤は嘘だろうと否定をすることも忘れて、大人しく聞いていた。

「嵐が来て、船が難破した。気がついたら砂浜にいて、寿に拾われた。俺の過去などそれだけだ」

「船に乗ったのなら、出身地は松柏ではないのか」

 勾玉状のこの世で、船を日常的に使うのは島を複数持つ松柏の者くらいだ。藤が問いかけたが、浄は首を振った。

「言葉も、村の様子も、この世とはまるで違った。寿に拾われた当初は、この世の言葉を習得するのに難儀したものだ。今では、自分が話していた元の言葉の方を忘れたが」

 そう語る浄の言葉に、おかしなところはない。

 地方によって訛りが出ることもあるが、この世の言語は一つだけだ。言葉が違うところから来たと言われれば、藤にはいっそう、浄があの世から来た化け物なのではないかと思われた。

 不意に、浄は青みがかった黒の瞳を藤の方へと向け、目を細め笑った。

「信じたか?」

 どういう意味だ、と問う間もなく、今度は商船の乗組員から声がかかった。

「おーい、浄さん、藤さん。今小舟を下ろしたから、それに乗って島まで迎えよ」

 浄はすぐさま立ち上がり、軽く伸びをする。

「いよいよ到着か。荷物は俺が持ってくるから、先に小舟に降りていろ」

 藤は、船室の方へ降りていく浄の背中を見送ることしかできなかった。

 その後、乗組員にも世話をされ、藤は大型の帆船から手漕ぎの小舟に乗り換えた。商船はそのまま松柏本土に向かうので、松柏ソのある島には入港しないのだ。

 荷物を持って戻ってきた浄は、かいを藤に手渡そうとはしなかった。商船から離れて島までかかる時間は四半刻ほど。小舟は、浄一人の手によって到着したのだった。

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