第二章 二人の過去

一 鍛錬

 藤と浄が初めて出会ったのは、今から三年前。藤が二二歳、浄が二八歳の時に遡る。

 季節は梅雨。藤は寺の裏門の下で素振りをしていた。

 本来は藤が住んでいる棟割長屋むねわりながやの、奥まった路地でやる日課だ。しかし、ここ数日は延々と降り続く雨をしのぐために、近所の寺に来ていた。人通りの少ない裏門にも立派な屋根がついているため、そこを勝手に借りている。

 寺の境内脇では、青の紫陽花が雨にうたれてかすかに揺れ続けている。

 藤が半刻前から延々と振り下ろしているのは真剣だ。鍛錬のためとはいえ、木刀を振っていては、実戦で役に立たないというのが藤の持論だった。

 何もしていなくとも、襦袢が肌に張り付く程の湿度の高さ。素振りを続けている藤のこめかみを、汗の粒が伝って、ポタポタと地面に落ちていく。

 素振り五〇〇本の終わりが見えた頃には、全身汗だくになっていた。と、そこへ、番傘をさした少年が駆け込んできた。

「藤さん、こんな所にいた!」

 藤は素振りをする腕を止めぬまま、視線だけをちらりと少年に向ける。少年の名を、ゆうという。戦争孤児で、今は白虎組の使い走りだ。藤と同じ長屋の隣の部屋に住んでいるご近所さんでもある。

 歳は一四になったばかりで、背は同じ年頃の少年たちの中でも頭一つ分低い。彼がさしていると、無骨な番傘が重そうに見える。

 あちこちを駆け回っていたのか息がきれて、足元は膝のあたりまで、雨の跳ね返った泥で汚れていた。

「どうした」

 ようやく最後の一振りを終えた。藤はゆっくりと長く息を吐き出すと、姿勢を戻し、刃を鞘に納める。

「すぐに登城しろとのお達しです」

「ん、わたしが城へ? 何かあったのか」

 着物の袖で、額に浮いた汗を拭いながら問いかける。

 ここは白虎の城下町。白虎の本拠地である白亜城はくあじょうを取り囲んでできた町であり、住民の半分以上が白虎の組員だ。藤も、そして優もその一端に所属している。

 平の組員が城に呼ばれるなど、そうそうあることではない。

「詳しくはわからないのですが、なんでも寿ことぶき様直々のお呼びだとかで」

「……なんだって?」

 その名が出た途端、平時から感情変化に乏しい藤の顔に動揺が走った。

 寿とは、白虎の組長の名前である。藤も優も、式典や、戦の前の鼓舞で顔を見かけたことはあるが、直接言葉を交わしたことはない。

 白虎は二〇万を超す組員を抱える、この世で最も大きな武力組織だ。その組長直々に呼び出されることなど想像もしていなかったし、その理由について、心当たりもない。ただし藤には、悪い想像がいくらでもできた。

「藤さんも、寿様は気が短いことで有名なのはご存知でしょう。ですから、早く城へ向かってください」

「そうか、ではまず身なりを整えてから」

 藤が急ぎ家へと戻ろうとするのを、優がブンブンと首を振って行く手を遮る。

「僕が藤さんを見つけるのに、もう四半刻は過ぎてしまいました。とにかく今すぐに、城へ。でないと僕が罰されてしまいます」

 優は自分が持っていた番傘を藤に押し付けると、背を押して城の方向へと強制的に向かわせようとする。その必死な様子に、藤も折れた。傘を受け取り、頷く。

「わかった。ではまた後で」

「はい、豪勢なお夕飯を用意しておきますね。いってらっしゃいませ!」

 一仕事終えたといった表情の優に見送られ、藤は雨の中を駆け出した。

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