四 腕輪
家に戻る頃には、世界はすっかり朝を迎えていた。いつもの藤であれば、すでに起き出して、家のことを二、三済ませてしまおうかという時刻。
しかし今日の藤は着物をすべて脱いでしまうと、寝室に向かった。浄の寝ている布団の中へと近づき、物音をたてないようにそうっと入り込もうとしたが、浄の力強い腕に体を引き寄せられる。
「たかが血抜きにどれだけ時間をかけているんだ」
目を閉じたまま、浄が囁く。
「罠に猿がかかっていたのだが、猿は食せないので、見世物として村に売り払ってきた」
「今行かねばならなかったのか」
「一日でも猿の面倒をみたいのか?」
藤は素直に彼の胸に顔を埋めて目を閉じる。常人よりも高い体温に包まれ、微かな浄の匂いをかぐと、不思議と眠気が立ち上ってくる。
「体が冷え切っている」
浄の大きな掌が、藤の露わな背をゆっくりと擦る。
「猿が暴れて汚れたので、水浴びをしてきた」
浄は指先で、まだしっとりと濡れている藤の髪を軽く梳く。
「それは難儀だったな」
「ああ……頼む、寝かせてくれ、浄」
暗に話はここまでだと区切りをつけた藤だったが、浄はその左腕を引き寄せると、枕元に隠すように置いていた物をはめた。
手首に感じた不思議な感触に、藤は重い瞼を押し上げ、自身の腕を見る。そこには、藤の手首にぴったりと沿う、竹細工の腕輪が嵌っていた。
ただ竹を編み込んだだけではなく、薄く細く加工された白い竹材が、繊細な花の文様を描いている。日に透かせば、その文様からも光が漏れてくる。
今まで見たこともない美しい竹細工に、藤は目を瞬いた。
「浄、これは……」
「誕生日おめでとう、藤」
穏やかな声のまま、浄が囁く。
その言葉を耳にした瞬間、藤の胸に様々な感情が去来して、何故だか泣き出したくなった。そっと下唇を噛む。
「お前が市に連れて行ってくれないから、贈り物は手前で作ることにした。嬉しくないか?」
藤の顔を覗き込み、浄が問う。
「いや、嬉しいよ……ありがとう」
右手で、腕輪を撫でてみる。表面も滑らかに加工されていて、ずっと触っていても肌を傷つけないような、丁寧なつくり。
昂りかけた感情を抑えるように、藤は一拍置いて。
「市に出したら高値で売れそうだ」
そう感想を漏らした瞬間、浄が吹き出す。
「情緒のかけらもない奴だな」
「お前に言われたくはない。人の気持ちのわからない男め」
悪態をつきながら、藤は再度、浄の胸元へと顔を埋める。手首に嵌められた腕輪は、つけたまま。
「二度と売るなんて言うな」
「わかった」
念押しされ、藤は目を閉じたまま素直に頷く。
浄は満足げに笑みを深めてから、藤の冷えた足と自身の足を絡める。足先で肌を辿れば、滑らかな感触を愉しめる。藤が何も身にまとっていないのは、引き寄せた瞬間から分かっていた。腰の奥に微かな情欲が灯るのを感じながら、藤が眠りにつくまで、その背を優しく撫で続ける。
その日、二人が起きだしたのは、午後になってからだった。
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