第53話・六角形の星たち

「是非に会津様のお見舞いへ」


 京都の屋敷へ入った高虎に林はそっと耳打ちをした。


 急かされるように高虎は秀保の名代としての役も兼ねて蒲生氏郷の屋敷を訪ねた。

 しかし最早察してくれと言わんばかりに、追い返されてしまった。同じ近江国人の誼、夫人と庄九郎が同じ緒田氏であるが、そうした縁を以てしても面会は謝絶となった。


「……そこまでとは……」


 庄九郎は愕然とした。いや早世した姉・みなとの死でも同じような経験はあった。秀長の死でも同じような経験はあった。


「優しさだろう。会津……いや、忠三郎殿の、我らへの気遣いというものだ」

「……優しさ、ですか」

「少し安心したよ。まだその判断をする気力はお有りなのだ。忠三郎殿の性格からするに、あのような判断は自ら下すものなのだろう」


 蒲生忠三郎は常に前線を駆け、常に背中で語る名将である。物事も自身の価値観と直感によって定め、豊臣政権の東国施策の最前線を担う。振り回される家臣は御苦労なことだが、その苦労を忘れさせてくれるだけの魅力が氏郷にはあった。

 六角三代を支えし重臣家に生まれた当代一の男前と武勇、信長に愛された才能と美声。そして麗しい正室。

 まさに近江に燦然と輝く一番星であった。


 二月七日、星は落ちた。


 その報せは重臣の神田清右衛門によって、高虎と庄九郎のもとへと届けられた。

 これは神田の妻が、庄九郎の父で高虎の旧主織田信重の異母きょうだいに依るものであった。

 蒲生の家中には河瀬氏のように中郡の知り合いも何人か居るため、藤堂や多賀の家中も気分が沈んでしまう。


 人は、永くは生きられぬものだ、とも思う。


 高虎と氏郷は同じ年に生まれた。四月に生まれた高虎に対し、氏郷がいつ生まれたのかは知らない。

 同時に二人は対照的な出自でもある。高虎が滅ぼされた京極材宗残党に産まれたのに対し、氏郷は六角与党の有力家に産まれた。

 後に高虎のおじ多賀新左衛門(貞能)は六角家を打ちのめすが、蒲生は六角を守った。


 六角が滅ぶと、氏郷は織田信長に気に入られる。

 一方で高虎は、一応は信長直臣多賀新左衛門の一門として中郡の国人の中では中の上だったが、織田政権中枢のもとに名前があがるまでは時間が掛かる。その後丹羽長秀のお陰もあり高虎は高島へ渡り、磯野員昌そして織田信重に仕えるようになった。氏郷と会ったのは、その後の話である。

 あれはいつかの安土城であったか。

 屋敷でたまたま留守居をしてると、氏郷が訪ね来た。



「忠三郎殿は、天正四年の時点で藤堂与吉を存じておった」

は如何に」

「多新おじと、御父上左兵衛殿とが知己でな。生まれたときから、姪の子の話をしておったらしい。その後も、何かにつけて鶴千代と与吉を比べていたそうだ」



「これは蒲生様……」

「藤堂与吉、だったな。稚い頃より存じておった。それに其方の兄源七郎殿とは観音寺で会ったり……、それに勢州の陣でも」

「兄と面識が」

「弟のことを心配していたよ。でも其方は今、織田の将の一人だ。立派な御姿に目を細めておられよう」


 そして彼は、

「同じ年だ。忠三郎と呼び給え」


 と言った。

 それから全体的に見ると高虎と氏郷は良い仲であったが、唯一天正十年(1582)の乱ではおじの多賀貞能が政権打倒に加わり、蒲生親子が守る日野を攻撃しようとしたことは、高虎の心の中で禍根として残っていた。

 貞能が何処まで本気で、織田信長の妻たちが逃げた先の日野に攻め込もうとしたのか知る術は無い。

 戦端を開く前に羽柴兵が摂津まで戻ってきたので、貞能は悪名を残さずに済んだから良かった。


 高虎が蒲生忠三郎に惚れたのは、貞能や池田の助命活動に勤しんでいるときで、直々に詫びを入れにいった時のことだ。彼は


「多賀殿は此度は馬の首を此方に向けなかった。それだけのことだ。戦は終わったんだ。中郡の衆や池田殿が兵を挙げるのは、昔からあったこと。再び仲良くするんだったら水に流す。これが南郡の生き方だ。与右衛門もあまり深く思い詰めるな」


 その後、貞能は氏郷と共に茶の湯に打ち込むなど恩讐を越えた交流は高虎も有り難かった。

 同い年の星は、常に高虎よりも先にあって輝いていた。



 神田清右衛門は氏郷の死を伝えると共に、いくつかの注文を付けた。無論、亡き人が頼み事である。

 まず秀保に嫡男鶴千代を支えて欲しいと願い出てきた。

 聞いた瞬間「それはできない」と高虎は思った。だが考えてみると関白が渡海をした場合、その代役を務めるのはおよそ秀保である。それならば関白が江戸大納言徳川家康、そして氏郷と三位一体で行ってきた東国施策を引き継ぐわけで、秀保の右腕である高虎に話が行くのは自然な話だ。


 再度、これが氏郷の願いなのかと問えば、清右衛門はただ頷いた。


 清右衛門は氏郷が如何に高虎を高く評価していたのかを語るが、有り難い一方で重たすぎる想いに


「呪いのようなものだな」

 とも感じてしまう。


 それを察したように神田は語る。


「時に奥方様と我が妻、それに庄九郎殿は織田一門だ」

「理解はしております」

「宮内少輔殿の御父君も御兄君も、揃って織田の婿だ。貴殿も一度は織田の母衣を着けた身だろう?」

「ええ……」


「それに殿は堀久殿とも仲が良かった。無論、弟の源助殿とも、だ。考えても見よ。外聞ほど織田の家も安泰では無いのだよ。だから其方のような、殿下の覚えめでたい頼もしき仁が後ろ盾になると、都合が良い。ああ、神田清右衛門一人も土台は脆いからな。わしにとっても有り難い話だ。偉大すぎる殿が亡き後だ。家中がどうなるかわからんからな」


「おじ上様では駄目なのですか?」


「そう簡単には参らぬのが、士というものだ」




 二月八日、太閤殿下は鶴千代の家督相続を承認すると共に徳川家康娘との縁組みを決めた。


「それで葬礼の日取りは」

「聞くところ十七日、と」

「安芸殿との婚礼は、会津殿の葬礼から間もないです。少し遅らせることは出来ませんか」

「所司代様や奉行連中へ内々に訊ねたところ、予定通りで良いのではないか、との印象を受けました。今少し雲州や泉州に太閤殿下のご機嫌を伺いに出しておりますが、一応決行の予定で進めるつもりです」

「私個人の意見としては、せめて忌中は守りたいものです」

「お心は、手前も同じに御座います。しかし本年の予定を照らし合わせると、遅らせることは渡海の遅滞に繋がります。故に喪中の婚礼という異例のことは、致し方なきものかと……」

「実に心苦しきこと」

「恐らく忠三郎殿は、婚礼が過ぎるまでは生きようと戦っておいでだった。しかしそれが叶わぬことと知ると、我らの罪滅ぼしとなるよう、御嫡男鶴千代君支えてくれ、と遺したのでしょう」



 主従は心に思うところを抱えながら、先に決まったことへの仕度、そして葬礼への対応など目まぐるしい日々が続く。


 そうして二月十七日を迎えた

 この日の朝、高虎は概ね定まった予定を聚楽第方へ伝達に訪れた。

 お互いに多忙を極める中では皮肉の一言二言が出ることもなく、淡々と、ただ淡々と伝達は終わる。


 ――普段から、このぐらいの距離感であれば助かるのだが。

 ため息をつきながら長い聚楽第の廊下を歩いていると、近くの部屋から楽しそうな声が聞こえる。

 ――全く。この忙しいときに聚楽第の連中は……。

 一体誰ぞが話しているのか、もしも見知った連中であるのならば少し一喝してやろうかと覗いてみると、ここに意外な顔があった。


「与吉! 与吉ではないか!」



 時に権中納言山科言経やましなのときつねは、今から十年も昔に家領を巡る諸問題で追放されていた人物である。数年間野に下り臥薪嘗胆していたが、五、六年前に徳川家康に接近し地位を得た。文禄年間に入ると関白秀次にも認められた存在となり、ここにようやく復権を遂げたのであった。

 特に聚楽第詣は日課のようなもので、自身の地位を固める当初の目的が、いつの間にか面白い情報を探しにふらつくことにすり替わっていた。

 この日も秀次との面会を終え、何か日記に書く材料を探していると一つの部屋から楽しそうな声が聞こえた。

 どれどれ、と彼は部屋に入る。


「おや、これは面白い取り合わせに御座いますな」


 五人の男は言経の顔を見た。


「佐渡守殿に玄雅げんが入道様、それに志摩入道殿、三蔵入道殿、鳥養殿とは。いや佐渡守殿以外は、まあ聚楽では馴染みありますが」


 この少し前、高虎は弓の師範の玄雅入道六角義堯に呼ばれ、輪に加わった。

 志摩入道は馬の師範の荒木志摩守元清、鳥養はこの時代に活躍した能書家の鳥養道晰とりかいどうせつ、三蔵入道はよくわからない。

 ともかく、彼らは文化に精通した面々であり、高虎について武人としての姿しか知らない。つまり一流の教養人の寄り合いに、高虎は若干不釣り合いだと言いたいのだろう。

 だが鳥養は大和でもお馴染みの能流派・金春流に通じており、高虎も名前は聞いたことがあった。また荒木志摩入道は、昔織田と荒木方で敵味方であったから存在は知っている。


「いやはや与吉とは昔馴染みでなあ! 懐かしうなって声かけみたんじゃ」

「お久しぶりに、たいし……右衛門督うえもんのかみ様にお会い致しましてな」

「ああそうでしたな。佐渡守殿は近江の生まれじゃった」


「わしの知る与吉は兄の背中をついて回る稚児であったが、いつの間にかここまで大うなって嬉しい限りじゃ」


 目を細める六角入道の姿に一同は、そこまで深い仲であったのかと感心する。

 だが、


「しかし手前と右衛門督様は観音寺で数度しか……」


 と高虎は正直に語るので、すぐに感心は薄らいだ。


「そうか。与吉は幼かったから覚えていないか。勝楽寺の供養とか、父入道と喧嘩した折に逃げ回っていた頃、様々な場面で中郡の衆にはよう世話になった。そこに与吉も居たのだ」


 そう言うのでまた一同は感心する。

 高虎は全く記憶が無いので、それが真であるのか語る術が無い。だが、それが虚であったとしてもここまで語ってのける玄雅入道の話術には感心してしまうし、この口の達者さが逃避行に役立ったのだろう。

 事実、まだ彼が義弼よしすけと称していた時代、土岐氏の復興を諦め斎藤氏と結ぼうと尽力したのは高野瀬を代表とする中郡の勢力であった。

 こうした義弼派の勢力は六角が滅んでも健在で、元亀争乱では河瀬や尼子、更に一向門徒といった国人勢力が六角親子に付き従っていた。

 最も最大の勢力であった高野瀬氏は浅井との戦いで崩壊していたし、多賀氏は織田派に鞍替えしていた。高虎は貞能の留守を守ることが多く、こうした勢力には大変大変悩まされたものだ。



「わしはな、この年になると様々思案することが多くてな。あの時、ああしていれば、とか考えてしまう」


「それはどのようなことでしょうか」


「六角が健在で、お主の兄源七郎も健在であったのならば、其方が多賀の家を継いでいた。そのようなことをだ考えてしまう」


 今もそうだが高虎の半生には多賀氏という名家がついて回る。これは生まれ持った運命なのだろう。

 幼き頃の記憶が蘇る。当主の貞能が下之郷の堂で三きょうだいへ講義を行っていたのは、多賀氏を再び偉大にするための策であったことは、物心ついた稚児でもよくわかった。

 諱の「高」の字は、室町時代多賀氏を豊かにした高信、高長、高忠三代に通ずる。立派な身体には、大きな期待があった。


「過ぎ去ってしまったことは……」

「わかっておる。だが地位を失って二十数年。少しぐらいは許してくれ。最早六角の時代を生きた者で家を保つものは数えるのみだ」


 そう言うと玄雅入道は目を閉じた。


「それでいくとこと、忠三郎殿のことは……」


「……未だに信じられぬよ。つい先度、父入道と見舞いに行ったが、見る影もない痩せ方であった。思えば彼奴の父左兵衛が亡くなって十年、昨年は母御を亡くしたばかりであったと聞く。積み重なり身体を壊してしまったのだろうか……。実に惜しい才を亡くしてしまった」


 気がつけば言経卿も鳥養も、荒木入道も、三蔵入道もすすり泣く。高虎も目に熱くなるものを感じた。



 かつて近江の国には幾重もの星が浮かんでいた。その輝きのなかで大きな六角形は、乱世の湖国に平穏をもたらした。

 素晴らしい輝きは、今に思えば最後の輝きであったのかもしれない。

 光を失った星たちは次々に墜ちてゆく。

 それでも尚、蒲生氏郷という星は最後まで輝いていた。


 その星が墜ちた今、闇夜に藤堂高虎という大木は佇んでいる。


 

 この日、京都大徳寺にて蒲生氏郷の葬儀が執り行われた。

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