第36話・たかのへいこうや
秀保の行列は賑やかに街道をゆく。
彼を宰相たらしめる威容なれば、沿道村落の人々は遠巻きに仰ぎ見る。
行列の後方から見守る高虎は、連れ立つ人数が多すぎるかナ、と思う。
ただでさえ財政の厳しい家中にあって支出を抑えたい己と、宰相の威を国内に知らしめなければならない家宰の自分の相克は、道中の今もある。
好運だったのは、懐に余裕のある家臣や、秀保の将来性に投資をしてくれる商人が居てくれたことだろうか。もちろん高虎が幼少の頃からの付き合いのある菱屋の財力も大きい。
最も郡山城の金銀を凌ぐ財力を、配下の大名衆が持っているというのは剣呑なことだ。
もしも自分が横浜や小堀が如き持たざる出頭人であったのなら、そうした財のある大名を警戒し、場合によっては事を起こすことも有り得ただろう。実際、主を凌ぐ財貨権勢を誇った重臣が粛清されることや、重臣によって主君が打倒される事件は、古今東西ままある話だ。
この先、秀保の内衆に急進的な改革心に燃える出頭人が現れ、大名衆に厳しい態度を取ることが起こるかもしれない。その際、高虎のような
世の常ではあるが、乱世を我が身一つで戦い、若者たちを鍛えてきた自負があるから、おいそれとは退きたくないものだ。
この高野山行きや鷹狩りでは、普段顔を合わせる機会の少ない秀保内衆と交流したい腹づもりでもある。
厳しすぎると反発を買うし、優しすぎれば逆に増長を招く怖れがある。百戦錬磨の高虎でも、若者との距離感ほど難しいものはない。
滅多に考えないことを考えるのは、高野山への旅路が冗長なことに依る。
郡山から距離にして二十里ばかり。令和の今では自動車のナビゲーションで二時間弱、鉄道では三時間ほどである。
やはり人数が多いから、どうしても速度は遅くなるもので、普段早馬で駆けずり回っている高虎たちにしてみれば、もどかしい。
高野山に着くと、高虎の全身に疲労が押し寄せる。
「御家老、すっかりお疲れの御様子ですな」
火照った身体を白湯で落ち着かせていると、頭巾の似合う男が訪ねてきた。
「……
保田の頭を務める人物を、人は保田
元々の系譜を語ろうとすると不明瞭であったりする部分もあるので概ねを割愛するが、彼ら保田一族は紀の国人の守護畠山氏被官であった為に信長卿や太閤殿下とは複雑な関係にあった。
今の彼は大和大名衆の一角に過ぎないが、抵抗者としての実績と培ってきた才覚は高虎が警戒すべき対象の一つである。
高虎の警戒心を加速させるのは、彼が後継者として保田の家を差配させている男の存在だ。
秀保
もちろん彼らを抵抗者と目するのは、織田信長という男に楯突いたというだけの理由であるから十把一絡げに扱うのは乱暴だ。それなら近江にだって前時代抵抗者を輩出した郡もある。自分自身にも、動乱の血が流れている。
総合的なところを鑑みた結果の判断として、高虎は彼ら保田家との関係を濃密なものとしておきたく、中でも
「お陰様で太閤殿下の御威徳により、この山も輝きを取り戻しつつあります。就きて奥山上人よりも謝意を言付かっております」
「それは何よりのこと。明日の法事も、何卒よろしくお願い申し上げる」
保田翁の口から「奥山上人」と出たことに驚いた。いや上人、つまり木食応其は高野山の長であるのだから、話に出てくるのは自然であるが、彼らの関係性からすると不思議に思う点もある。
一つに、いつまでも遺恨や禍根は残すこと無く、水に流したということなのだろう。自分たち武士も見習うべき点が多い。
亡き大政所の法事は恙なく行われた。
大政所は
一通り式が終わると秀保が前に出て挨拶を始める。旅立つ前、「何を話そうか迷っております」
と言われたものだが、話を始めて見ると心配したほどでは無かった。
「知っての通り、私は兄たちと年の離れた末子です。私が幼い頃、どうにもそれを揶揄する輩が家の内外に居り、とても嫌な思いをしました。それを亡き祖母は一喝し、何があってもこれは私の孫である、と。斯様に言うてくれたのです。正直私自身も、己の出自に疑念を抱くことはありました。されど、それでも祖母の孫であることは、変わりないのです。今日は祖母に会い、改めて感謝を伝えることが出来て良かった。そして皆の衆の祖母への心、一族を代表して御礼申し上げます」
「立派な御言葉、佐渡守思わず涙を抑えるのに必死に御座いました」
明くる日、山を下りた一行は鷹野にあった。
「もっと何か言えただろうと、後悔しておりますが」
若い内衆たちが鷹と獲物の一挙手一投足に歓声を上げているのを眺めながら、簡素な小屋で主従は餅を頬張る。ここのところ満足に飯を食う暇も無かった高虎にとって、ようやくの大好物である。
「人と人とが交わす言の葉、そのようなものですよ。手前もよくあります。言いたいことを十とすれば、結局
餅の十は食えそうな高虎がそう申すのだから、秀保はどこかおかしい。佐渡守が十を話せば、それはちょっと言い過ぎになってしまうよ、等と返したいが、言うまでも無く高虎は言葉を紡ぐ。
「然れど四十年近く生きてみて思うのは、何も全てを話してしまう必要は無い、と。斯様に思うこともあるのです。全てを話してしまえば、それはそれで言い過ぎになってしまい、そこに後悔が生まれる。つまるところ、人は
「そんなものですかね」
「まあ亡き多新おじは
駄弁っていると、庄九郎の放った鷹が小屋に迷い込んできた。簡素な小屋で大人しくしてくれれば良いのだが、鷹は思っていたより狭いことに驚いたのか、捕まえようとした高虎の巨躯に驚いたのか、ともかく小屋で暴れに暴れてしまう。
当然経験の少ない秀保が何かをできるという訳も無く、ただ腕で顔を守るのが精一杯で鷹匠が駆け寄るのを待つ外無かった。
そこへ急ぎ駆けつけたのが羽田の子息傳八であり、彼は手際よく鷹を宥めると見事に己の片腕へと誘ったのである。
「見事!」
「いやはや、貴様に斯様な才があったとは。日頃の鍛錬、誠見事なり」
慌てて駆けつけ平謝りの庄九郎や傳八にも餅を配りながら、秀保は興味津々に傳八へ言葉を投げる。普段決まった会話しかしないからか、私的な会話は珍しいのではないか。
「日頃親父に言われておりますので、これぐらいは」
「へえ、あの羽長州殿がそのように」
「親父も若い頃は苦労をしたらしいので、何か手に職を付けるべきとのお考えなので。まあ色々やらされましたが、鷹が一番ですな」
「確かに、鷹は良いですね」
「鷹の何が宜しいか」
「手厳しいですね佐渡守。空を自由に、野を駆け回る姿が良いのですよ」
「然れど人に飼い慣らされた鷹は所詮籠の鳥。人が居らねば何も出来ませぬ」
しまったな、と高虎は思った。ついつい言い過ぎてしまった。他意は無かったのに、今接している若者たちこそが或る意味で「籠の鳥」であることを、今の今まで考えたことが無かった。
「考えすぎだなあ佐渡守は。もっと柔らかく考えれば良いのですよ。私たちに欠けているものへ憧れを抱くのは、自由でしょう?」
一連の行事が終わった彼らに待ち受けていたのは、一変した洛中の情勢である。それを知った瞬間の高虎は、秀保の言葉の意味を噛みしめるのである。
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