第34話・其方茶のゆぬるく候

「で、どうなんです?」

「いや何も話さんよ。連中には困ったものだ」

 完成したばかりの「太閤堤」を通り上洛した高虎は、寄進の目録を届けたついでに、所司代を訪ねた。


「まあ、この手の輩が自らを話すことなど、滅多に無いが」

「ようわかります」

「新しい話と言えば、連中の処刑日が明後日というぐらいだな」

しかるは、糾明きゅうめいを果たさずして消すということになってしまいますが」


 高虎としても所司代に任せた以上は何も言えやしないが、京都の名うての尋問官たちによって、真相が明らかになるのではないかと期待をしていたから、その分の落胆は大きい。

 残る事実は、大和で起きた大罪人石川五右衛門等を京都で処刑したという事実のみである。


「いや此方としても、今更弁明をするつもりは毛頭、毛頭無いのですがね。些か我が主の体面というものに、少々ですね」

「ま、致し方ない。所司代としても牢は開けておきたいのだ、それは判るな?」

「相判ります」

「それに連中を捕らえてから、似たような事は起きていない。つまり状況からして連中が、これまでの一件の下手人というのは明白である。故に太閤殿下の甥御、関白殿下の御弟君の威光を傷つけた、その大罪を苛烈な手段で断じるつもりだ」


 その前代未聞の手段の準備で、所司代に勤める人々は忙しいと落合なる男は呟く。


「そう言われてしまうと、返す言葉に困ります」

「ただな佐州。今度の処刑は、このわしも気が重いのだ。牢に余裕があるのなら、先延ばしにしたいぐらいだ」

「一体どのような手段で……?」

「釜茹でだよ」


 以前この所司代から、己が拷問を好まないことを伺っていた。


「釜茹で! それはいけませんなあ!」

「おい佐州、言っておる事と顔が合っておらぬぞ」

「いやはや、手前も拷問はあまり好みではないのですがね。家の者に、拷問趣味の奴がおりまして。いや後学のために見ていきたいものですな」

「ったく。見世物じゃあ無いんだぞ」


 落合が出した白湯を飲み、所司代はこう続けた。

「亡き七兵衛様の影響かね」

「いや、そこまででは無いですよ。掟破りの罰は、甲良に限らず何処でもやっていましたから。まあ彼の御方も、なかなかでしたが」

「馬に噛み殺すという手法は、わしも血の気が引いたよ」

「南蛮の連中の風聞に依れば、七兵衛様を南蛮の根路ねろなる暴君に擬えたとか」

「ははは。七兵衛様が暴君とはね」

「後から奥方様から伺ったところ、ああ悪名もまた高名なり、我が名が海の外に広がるは心地良し。斯様に笑っておったそうで」

「七兵衛様らしいな。どこまでも前を向く御気性だった」


 斯くして高虎は所司代を出た。もう少し玄以たちと歓談にふけたかったが、この日は他にも寄りたい場所、会いたい仁があったのだ。                


「突然押し掛けるなど、藤佐、貴公もなかなかの蛮人であるな」


 江戸大納言えどのだいなごん徳川家康。豊臣政権を支える太閤秀吉の義弟である。


「いや、咎める気は無い。いつも前触れも無く独断で事を為す藤堂佐渡守という仁を褒めておるのだ。わしらに出来ぬことを、よくもやってくれるよな、と」

「お褒めの言葉、光栄に存じます。して――」

「あーあー。わかっとるわかっとる。今度貴国での騒動について、太閤殿下への御赦免を乞うと。そのような魂胆なのだろう!」


 微睡みの時間を邪魔されたのか、大納言は些か不機嫌であった。


「あいや、手前は大坂へ参上せねばなりませぬから、然程さほどの事ではありませぬ。ただ一つ、大納言様へ詫びに言上仕った次第」

「何、それぐらいのこと。わしなどは少々気を揉んだ程度。迷惑とは思ってないさ。案ずるな」


 家康は高虎が去った後、ふと思案した。

 藤堂の目的は、ただ挨拶程度に伺ったのか。少々不思議な出来事である。

 だが大納言徳川家康とて三遠駿甲信を平らげた名将だ。その意味に気がつかない仁では無い。


「藤堂佐渡守。彼奴はとぼけながらも、筋の通し方が上手いな」


 八月二十三日、高虎の身は大坂にあった。

 大坂屋敷へ入ると大坂番の家臣たちが、居たたまれぬ表情をしていた。それもその筈だ。此処より先、首と胴が繋がって帰ってくる保証は無いのだから。


「この度は我が身辺より天下を乱す大悪人が出てしまったこと、深くお詫び申し上げたく、参上した次第に御座います。この藤堂佐渡守、弁解一切の余地無く、如何なる処罰も厭わぬ所存」


 平身低頭。高虎は人に頭を下げることは得意では無い。いやそのような者はそうそう居ないだろう。居たとしても町屋の商人程度だ。

 だが位が上がるにつれて、頭を下げるという事を嫌というほど覚えたのも事実だ。


「頭上げやぁ佐州。何も佐州が企んだわけでもぇちゅうのは、ようわかっとるでよ。今更お前の面目がつぶれるっちゅうこた無い。それはわしが保証したる」

「有り難き……御言葉……!」


 案外太閤から厳しい言葉も無い寛大なもので、ああこれで肩の荷が一つ下りた、と感じた。しかし、それは甘かった。


しかしだな藤堂。おみゃあ、ちょこまかと動きすぎやないか」

「如何なされました」


 やや不味い流れになった。林を動きが察知されてしまったのだろうか。心当たりしか無く、とても不味い。


「如何、では無いのだよ。佐州、ここに来る前、江戸大納言とうて、奴をまんまと利用しようとしたな?」

「はて……。何の利となりましょうか」

「惚けるのが上手いな! 此度和州の一件で責任を感じておる家宰藤堂佐渡守が、大納言の居館を訪れた後に大坂城へ登城するとなれば。わしはも貴様や大和を厳しく処すことは出来ぬと、左様な魂胆であろう。わしは佐州に厳しく処断をしたくとも、一度大納言が間に入ってしまえば、それは出来ぬと考えたな。わしは大納言の面を汚すわけにはゆかぬ。言ってしまえば大納言も、聚楽の館は藤堂が良く知っているからして、無碍に扱ってしまえば、一体何をされるかわからない。貴様、中々上手く考えたものだ」


 秀吉は呆れ果てたように溜め息をついた。


「佐州、もう小言はこれで仕舞いとしたいのだがな。まだあるのだ」


 秀吉は側近の僧から紙を受け取ると、高虎の面前へと置いた。伏見城の図である。

 高虎は図面の如何よりも、表舞台から身を引いたと聞いていた僧太宰師法印一牛斎歓仲だざいしほういんいちごさいよしなかが、側にはべっていたことに驚いた。何故ここに居るのか、理由を聞きたいが、そのような状況では無い。恐らくは秀吉に請われて、側仕えで老いることにしたのだろう。


「かねがねわしは佐州、お主を羨ましいと思ってきた。お主はわしに無いものを全て持っている。惚れ惚れするほどの身体、剛力、優れ頼りがいのある一族、古くからの家柄、往古より続く良き古里。どれも羨ましいばかりだ」

「身に余る御言葉、恐悦至極に……」

「それなのに! おみゃあさんは、どうしてこうも、抜けているところがあるのか。少し甘えとりゃあせんかね」

「はて……」


「多門の古塔、何時いつになったら伏見へ持ってくるかね。もう何度も言うとるがね。持ってんから、伏見の庭も寂しくてかなわんわ。ま彼奴にやる気が無いなら、侘びの作事はできんで、やる気が出たらやってちょうよとも、思ったがね。それにしても遅い! だいたい佐州おみゃあさんは、一体何度言えばわかるのか。何時だったか紀州の桧皮も、何時まで経っても来んから催促したこともあった! ええ加減にしてちょうよ。今日という今日は、わかるまで帰らせんでよ」


 そうか、其方の方が問題であったのか。意外にも高虎は冷静であった。

 もう少し奉公人の管理が甘いというような、そういった部分を問われると思っていたのだが、やはり政権に不都合な話は受け付けないと見える。


「恐れながら」

「どのような言い訳か?」

「左様に催促を為さるのであれば、然るべく人足をお出し戴けねば、と存じております。恥ずかしながら和州では、どうにも人が集まりませぬし、集めるに見合うだけの額も御座いませぬ」

「わかった、ならば人足出したるわい。でもなぁ、大工はそっちで出すのだぞ? やはり和州の石は、和州の者にやらせたほうがええで。早うな」


 そう言うと秀吉は甥へ宛てた書状を書かせた。


「ええな? これは先に早馬出すで、ちゃんと彼奴に説明してちょうよ」


 墨を乾かしていると老僧が囁いた。


「ああ少し先だが、聚楽第へ盛大に入ろうと思っておる」

「聚楽第へ御成あそばされると」

「左様。何ぞ関白めは立派な北の丸を築いたらしいでな、わしがよう見てやらんと」

「それは何よりの事にて」


 あと一つ二つある、と太閤は言った。

 ちょうど前の日に次右衛門の諸大夫成が認められ、官途は信濃守、つまり中島信濃守とったるらしい。佐州の口から伝えてやってちょ、と口振りは優しい。まあ多賀信州と中島信州でややこしくはなるのが面倒、と仰せになるのであるが。


 最後に誰から聞いたのか、秀保の高野行きが許された。


「早う行きゃあ。おっかあも喜ぶで」


 兎にも角にもやっと、これで解放される。

 解放された高虎は、居館で寝転びたいと欲したが、今はその時では無い。

 今は急ぎ郡山へ戻らねばならぬ。休むのは、それからだ。


 文禄三年八月二十三日。

 この日太閤殿下は甥の大和中納言豊臣秀保に対し、多門の古塔の移築を急かした。

 同じ日、京都の三条川原では石川五右衛門の一党が釜茹での刑に処されたのである。苛烈な刑の様子は、令和の今でも語り継がれる極刑であった。



「いや、すみませんね佐渡」


 秀保は書状を読みながら詫びた。

 そう言われるとますます申し訳が無いものだ。


「まあ、この文面を読むに殿下の機嫌も、そこまで悪くは無かったと推察しますが。茶の湯に関わるからと、私のやる気と茶の熱さを重ねるのが趣深くて良い。実際そんな怒ってなかったでしょう?」

「まあ……」

「たまには伯父上殿も、これぐらい冗談飛ばしてもいいでしょう。もう周りには冗談も洒落も通じる人間は居ないでしょうから」


 そのように言われてみると、太閤殿下の自分を見る目に気がつかされる。

 案外己は殿下の寵を受けている部類であったのか、と。


「私はね、今では身分こそあるけど、やっぱり木下とか羽柴の人間として伯父上殿と接したいんですよ。ほら殿下って怖いでしょう。あれ、取り繕ってるだけですから。家の中入るとね、言葉汚く猥雑な話をするんですよ。稚児の前でも。兄者のようにそれが嫌いってのも居たのだろうけど、私は大好きでね」

「確かに。昔の殿下は愉快な御方でした。佐州めが一揆成敗に難儀して、困り果てて談判に及んだ際も、一つ笑って、任せやあ、と仰せになりました」

「物心ついたときがね、一番楽しかったな。ちょうど信長公の天下が見えてきた時分でしょう? 私もいつか伯父上の役に立ちたいと励んだものです」


 大和郡山。その城の本丸御殿にある秀保の居室には秋の声が心地よい。

 時は移ろい、秀保、そして高虎の、二人だけの夏はとっくに過ぎ去り、主従二人の秋が始まろうとしていた。

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