第33話・断念

 久方ぶりに居相孫作いあいまごさくと茶を飲みながら話していると、自然と森半介の話になった。


 正直なところ森半介の生涯は高虎も知らぬところが多い。

 高虎が台頭した頃には、既に秀長の信頼を得ていたような記憶がある。

 彼は偉ぶることもせず、常に「自分は然程の生まれではありませんから」と慎ましい好漢である。聞かれたことには満点の回答をして、誰からも頼りになる人材なのだから、少しぐらいは奢ってみても良いのに、加増も徒党も望まない何処までも慎ましい男だった。

 森半介が如き色のない男が居たからこそ、高虎の濃さが家中で際立つ。


「居心地の良い男であった」

「だからこそ、半介殿がああいった死に方を選ぶのは意外でしたな」

「あの平穏を現したような男が腹を切った。平穏なのに激熱の憤死だ。余程の事があったと見るべきだろう」



「殿は、死にますか?」


 唐突に問うた孫作に高虎は戦く。

「聞き方が悪うございましたな」

「言わんとしていることは、つまり俺が憤りを感じた際にどのような手段を選ぶか。そういうことだろう?」

「まあ殿なら死ぬぐらいなら、死なせそうですが……」

「そうかね? 俺は結構優しいほうだと思うけど」


 無論大伯父よりは優しいというだけで、藤堂高虎に仕える上では主の持つ「癇癪」を上手いこと受け流すことが家中暗黙の了解だ。


「それにしても、我々が出陣した後のこと、まして関係者は皆死んでいるものを今更調べることは至難の極みにて、殿は如何にお調べする所存」

「半介は知己も多い。つぶさに探せば誰ぞ事情を知る者も居ろう。それに半介が何処かで書き置いた物もあるやもしれん」

「んな雲を掴むような話を……。良いですか殿。我等としても、奈良町人も、寝た子を起こすような真似はしたくないのです」

「孫作。そんなことは承知なのだ。だが、今寝た子を起こさねば、大いなる陰謀によって大和衆が存亡の危機に立たされる事になるやもしれん。その芽を今摘まねばならぬ。見て見ぬ振りは駄目なんだ」


 屯所へ持ち帰った孫作は藤堂家の吏僚石田清兵衛に話す。天正十年以来高虎の台頭と共に増えた無理難題、例えば二人の落胤について等もどうにか処理し続けてきた俊英である。孫作としても彼に託せばどうにかなるだろう、と思った。

 だが清兵衛には既に仕事が入っており断られてしまった。


「良いですか孫作殿。手前はこれから紀伊へ下るのです。余計な仕事、それも隠密を入れるのはやめて戴きたい。紀伊の政務が疎かになって損をするのは、結局お手回りの皆々なのです。いい加減承知して戴きたい」



 ふむ。

 与右衛門丸に飛んで帰ると主は不在であった。それは何よりのことで、下手に清兵衛の態度を伝えてしまうと、感情により物を動かしてしまう怖れがある。

 それが戦場なら良いのだけれど、今は平時だからそうはゆくまい


 都合良く高虎内衆のなかで、最も高虎に近い大木長右衛門と庄九郎が当直として勤務しているので、事の顛末を話す。

 長右衛門は、そりゃそうだ、という風に笑っているが庄九郎は心配そうだ。

「しかし清兵衛殿も命を拒否して、それは許される扱いなのですか?」

「構わん構わん。殿の思いつきなんざより政務を優先するのは当然のこと。それに殿が言うところの陰謀が真であり、それによって何か疑いが掛けられても、殿とわしと竹助、孫作が腹を切れば良い。後のことは宮内少輔様に託せば良かろう」

「……苛烈ですね」

「何なら清兵衛などは、殿が倒れたら上手い具合に政権の吏僚ぐらいは狙っていると見ても良かろう」


「何ですかそれは。私が見るに清兵衛殿に野心は見えませんが」

「あれは北郡きたぐんの生まれだぞ。北郡は乱世下剋上の残り香で、誰しも腹に一物抱えて生きておるのだ」


 清々しいまでの長右衛門の偏見に庄九郎は呆れてしまう。

 確かに父親や重臣たちを死に追いやった変事では、京極高次や阿閉といった北郡ゆかりの諸将が祖父光秀に与同した。だが彼らが織田政権への反旗を翻したのは、大伯父信長に対し思うところがあった面々が偶然にも近江に固まっていた事に依るだろう。

 生まれた家や土地を見て、ああだこうだ評することは、庄九郎の好みでは無い。

 そう言おうとすると竹助が呆れ顔で切り替えを促した。


あにさん阿呆なこと言うて。それならば多新殿を生んだ中郡の者共は、と言われますぞ。んな阿呆な話ではなく、殿の無茶ぶりを如何にするか。それを話し合う場でしょうが」


 良く出来た組み合わせだと思う。

 大木長右衛門は高虎の少年時代から馬を牽き、竹助はそれから少し遅れて高虎に近侍。居相孫作は但馬での協力者一族から、側に仕えた。

 何れも文武に秀で、高虎の癇癪も無理難題も、上手く取り扱う。それでいて禄は僅かで、出世の欲もない。ただただ高虎の側にあることを是とし、それは高虎に対する全肯定ではなくて、諫言歯止めの役も自認している。

 親父様は羨ましいな、良い生き方をされているな、と庄九郎は想う。庄九郎自身、まだ何になりたいかとか思ったことは無いけれど、斯様に頼もしい輩は欲しいと思うことが多い。


 彼らがあれやこれや思案をしている頃、高虎は桑山重晴と向き合っていた。

「つまり森半介の一件について親父殿。貴殿が何かを知ってはいないか、と」

「何だね佐州。わしを疑うか」

「いやそうではなく、森半介一党の遺品の類を探しておりましてな。半介の家内が遺っておれば良かったのですが、横浜に聴けば親父殿が家内にも責任を取らせた、と」

「いやいや森は留守居の任を投げ出して勝手に死んだのだぞ。その責を家内にも負わせるのは至極当然のことだろう」

「ですが吉川平介事件の砌、宰相様は平介の弟や妻子の命は取りませんでした。この前例を親父殿は何故踏襲されなかったのか」

「貴様、あの状況でどうしろと言うか。あの緊迫した状況では、苛烈な処断こそ沈静化に繋がる。そしてそれは成功した」


 思いがけず、緊迫した事態の一端に触れた。

 だがこれ以上桑山は何も言わなかった。口を閉ざすと言うよりも、強引に事態を収拾させた為に、詳細な情報、捜査資料の類は存在しないという。それは孫右衛門の中間についても同様であった。

 結局は長右衛門たちに頼んだ奈良町人への聞き込み次第といったところだろう。だがそれも先行きは不透明で、芳しい結果を得ることは不可能であろう。

 見えないものを見ようとすれば、それは自分たちの都合の良い想像を描くことにも繋がり、落書事件のような惨事に繋がりかねない。

 とりあえず三人衆に形だけ調べさせ、結論としては曖昧なものを出す他ない。

 実に無念で屈辱的な出来事だ。せめて自分が出国する前に起きていたなら、真相を明らかにすることが出来たのに。


 それから暫く政務に没頭した頃、家中に募集があった。


「伯父上から伏見の大光明寺再建勧進に協力せぇとの触れにて。勿論私も五十石を出すつもりですが、是非とも家中大名衆からも心ある勧進があればとても嬉しい」


 このように秀保は家中に呼びかけた。

 大光明寺再興の勧進は政権の政僧西笑承兌と太閤秀吉の信頼関係によるところが大きい。この政僧は頭脳明晰で、今回の唐入りにも深く関わる男だ。

 無論勧進に必要な心とは、仏への帰依のみならず、手持ちの余裕である。

 高虎も粉河の父に問い合わせると、まあ五石程度であれば宜しいとの答えが来た。

 大光明寺は臨済宗で高虎親子とは宗派が異なる。されど甲良時代に馴染みのある臨済宗なら心も通う。最も同じ臨済宗でも勝楽寺が東福寺派であるのに対して、大光明寺は相国寺派と細かい違いはあるが。

 同時に、またしても臨済宗が己が行く手に現れるか、とおかしくなってしまうところもある。                                      


 そのように各家持ち帰った結果が集まりだすと、意外な結果が出揃った。

 藤堂家以外、僅か羽田と池田家のみであった。


「少なすぎやせんかね」

「むしろ佐州が出したことが驚きだ。他の出兵した家は出さなかったのに、相変わらず貴公の家は懐が豊かで羨ましい限り、とでも言おうか」

 羽田正親はそう笑う。

「いやさ、正直懐は寒いぜ。でも損だと思うことも、何か役に立つことはあると思うのだ」


 つくづく律儀で忠実な男だ。

 そういうところが太閤殿下の寵に繋がるのだろう。藤堂高虎の真似は他の誰にも出来ぬ。

 一体、何が彼をその行動に駆り立てるのか。

 この安定した世の中で、今更権力に媚びたって何の役に立たないだろう。


 だが羽田の妙な疑問、高虎が積み上げた媚びへつらいという忠勤は、その数日後に発揮される。

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