第29話・御たけの局

 能の沙汰は一段落した。

 確かな手応えは秀保のみならず彼らにもあったらしい。


「流石は殿や。やはり見立ては正しいな」

 矢倉秀親は商人から買った菓子を頬張りながら駄弁る。


「それ美味いかね。美味いならわしも喰いたいが」

「いや、そこまでだな。安く作ってある。殿が食らうなら、もうちとええもんを食わねえと」


 草野庄で村山与介を名乗っていた頃、庄の名を冠した一族の親戚に、乳と餅を人一倍食らう獣のような幼子の話を聞いたことがある。

 成長した幼子は今、目の前に居る。


「ともあれだ其方そなたを張り込ませて良かったよ。流石の見識だ」

「まあ俺も方々を渡り歩いてきたからな。特に木下の家中には知己が多いから良かった。いや今度の件を思えば、良くはないな」


 兵の逃散は永年の課題で、時の政権も対策に苦心していた。

 矢倉が仕掛けた網には、彼が昔見た尾州出身の小者が引っ掛かったのである。

「実に話を聞きたいものだが奴は何もしなかった。何もしない奴を捉えて詮議をすることはやりたくないからな」

 彼らの脳裏には北山で殺めた者たちの死に顔がこびりついている。

 疑わしきは一族郎党処刑する時代の中で、高虎と矢倉には民を慈しむ方策と、如何に殺さずに済むかといった点がやや少し芽生えつつあった。尤も彼らの心の七割方は「輩共に変に恨みを買いたくない」といった保身が占めている。


「とはいえ百人斬りで狙われているのは奈良町人、つまり商人の類であるが、彼奴等は尾州の奉公人と関わりはあるのか、だ。接点は何ぞや」

「誰ぞに操られておるのだろう」

「それは何でだ? 奈良町の商人などを犯して何の得がある」

「黄門様、そして大和衆を貶めること。その一択だと思う」

は其方の憶測に過ぎよう」


 矢倉大右衛門尉秀親が言わんとすることを正直耳に入れたくは無いと思う。彼の言うことを鵜呑みにすれば、それははかりごとの蓋を開けることになってしまう。

「良いかね。これは保身であるが、私には未だ覚悟がない。そのような男であるから、滅多な話は持ち込まんでくれ。それとも何かね、粉河や北山の連中には、昔懐かしき下剋上の空気でもあるのかね」


 どうにも矢倉の生まれた近江北部、佐和山以北の、浅井氏が君臨した地域「北郡きたぐん」というのは血気盛んな土地柄で、高虎が生まれる前の時代には京極六郎という怪物が暴れ回ったこともあった。

 甲良三郷こきょうもご多分に漏れず京極六郎の攻撃目標となった地域であり、多賀新左衛門という狂気は彼ら北郡きたぐん衆が生み出したと言っても過言ではない。

 未だ狂気が夢枕に出る高虎にとって、どうにも家中に増えてきた北郡衆とは隔たりがある。


「当たり前だ。こっちは戦国の世に生を受けたんだ。隙があれば寝首を掻くぜ」

「ったく。困った連中だ」


 それから暫くした頃、高虎は上洛した。

 定期的な上洛であるが国許でうだうだ思案をするよりは、日ノ本の中心を流れる刺激に身を委ねてみたかった。

 その道中で巨椋池に築かれた二本の堤を見た。

 元は伏見と大和街道の短絡と、築城資材の運搬水路の水位保持を目的に始まった普請であったが、羽田正親に言わせると横大路沼と巨椋池を分離することで排水機能を向上させることも目的にあると言う。さらに槇島の堤は宇治川と巨椋池を切り離し、城への水運を確保することに役立つという。(国土交通省・宇治川の歴史)


「いよいよ完成ということで、旦那様も楽になりますな」

 諸々の費用の概算請求と支払いに菱屋を訪ねると、忠左衛門がつつみの話をしてくれた。

「それは其方等商人も同じだろう?」

「まあそうだが、いやあ、懸念のするところもありましてな」

「如何に」

「普請が終わってしまえば、人足が余る。当分は伏見の普請や大仏の普請に回せるがね、それでも余った人足はどうするんじゃと。商人中で専らの噂にて」

「なるほど余った人足の働き口、不埒者の発生による洛中治安の妨害を案ずるのか」


「聚楽第はそうした懸念を汲み取ってか、大和に普請を起こそうとしたが、どうにも立ち消えになったとの風聞。誰のせいだかは、知りませぬが、何故かこっちは肩身が狭くて叶いませぬわ」


 菱屋は誰から聞いたのか、少し高虎に皮肉を垂れる。やり取りを見ながら昔馴染みの良さを長右衛門は感じている。


「それはそうと平助の働きぶりは如何に」

「ああ。なかなか頭が切れる。武家とは違って育ちの良さがあるな。新七郎をよう助けておるわ」


 長右衛門は少し菱屋の顔に悲しさが見えた。その真意は知らないが、彼が平助を推挙したのは京都での働きを目的としたのだろう。大方、広橋卿との繋がりを保つために必要と考える。


「それで毛利家の反応は如何であったか」

「幸先は上々と見る。先方も黄門様と入魂になることを悪くは思っておらぬ兆し。然れども、やはり毛利一家の重鎮が在国渡海の最中では、どうにもいかぬところもあるようで」

「……両川か」

「左様。ここから先は商人の出る幕に非ず。太閤殿下へ直々に言上するが宜しかろう」

 

 菱屋の言葉を受けて高虎は大坂へ足を伸ばした。

 しかし菱屋も高虎も、この時に現在進行形で起きていることを何も知らなかった。


「大木殿、よえ……ああ、今は佐渡守でしたか。居りますでしょう?」


 それから間もなく大坂の屋敷へ入った高虎に、訪ね人があった。秀吉の側室で御若君の生母二ノ丸の御方に仕える御たけと娘のである。

「これは、御足労をおかけ致しました」

 高虎にとっては高島で世話になった上司の妻子で、今も頭が上がらない。


「本当は弟を差し向かわしても良かったのだけれどね、忙しいからって。まあ私らも少しの間なら暇が出来たから」


 速水庄兵衞の姉は高虎よりも歳が下であるが、朗らかで聡明で器量の良いところが気に入り、高島の頃から年の差や男女の隔てもなく接している。妹のない彼には、良い存在だ。


「それで報告なのだけれども、去る六月五日に亡き夫渡辺しげの菩提を弔うべく、高野山に追善供養を行って貰いました。かねて御方様が浅井の御一族を高野山で弔っておりましたが、是非にと薦められました。」

「左様でしたか……。誠立派な志にございます。亡き渡辺様も、それに信重様も弥次左様も安らかになりましょうや」

「ええ。名こそ夫の名ですが、大坂で相果てた主従のぶんも、それに若くして亡くなられた湊様のぶんも、しかかと。かの変事から十二年、これで私たち高島衆も一区切りと……。いや区切りはありませんね。こればかりは致し方のなきこと、まだまだ夫がうなったことは、慣れぬのですが」

「御方様、わしもようわかります。未だ一夜にして元の主や輩を喪ったことは慣れませぬ。区切りは出来ますまい。それに今、亡き信重様の御妻子は健勝にて、盛り立てることで高島衆は続いて参りましょう」

「そう、そう。本当は高島の御方さまや庄九郎ぎみにも話を通しておきたかったのだけれど、あの時期大和の皆々様はお忙しくしていたでしょう」

「忙しくさせていたのはわしの所為せいです。帰ったらよう申し伝えておきますよ」


 そのように言うと渡辺の娘が口を挟む。

「でも不思議ね。佐渡守様はいつも庄九郎様を連れ歩いているのに、今日はいらっしゃらないなんて」

「色々あるのだ。今は内々でのことだからな。もう少し公儀のことであれば、後学のため庄九郎君をお連れするところであるが。まあ帰ったら少し言われそうだ」

「なんて?」

「渡辺の御妻子とお会いになるのなら、何故もっと早う言うてくれなかったのですか、とな。彼奴はそういうところがある。もっと言えば、庄九郎君はどうにも、御事おことを気に入っているから」


 惣無事の世は良いものだ。男も女も、誰を好いたの、そんな話が出来る。

 弟の速水庄兵衞は高島に居た頃から、信重の娘・湊を好いていた。だからこそ湊の早逝は、彼にとって信重や父が没したのと同様に堪えたらしい。

 羨ましいなと思う。自分自身、人の女子むすめを出世の道具にしてきたことへの後ろめたさを抱く中で、誰彼じんを好む話はどこか自分とは別世界のようだ。

 幸いにして藤堂高虎を好む奇怪な女人は、この世に妻が一人。高虎が愛する女人も妻一人である。


「そうそう佐渡守様に話したいことが二点あるのだけれど」

「何だい」

「一つは御本所様(織田信雄)の御嫡男が大溝城を預かりました。大溝侍従と呼ばれておいでですね。それで最近は我が子のためにと、先に大溝に居られた岐阜中納言様(織田秀信)や、私どもに大溝は如何なる土地かと方々尋ねておられます」

「それは宜しいことだ。是非御本所様へ、藤堂佐州めも力になりたいと申しておると伝えてくれ」


 だが調子が良かったのは、ここまでであった。


「これは内々の話なのですがね」

「急に声を潜めて如何した」

「丹波中納言様が近く毛利家へ養子になることが、どうやら定まったとの風聞に御座います」

「何? 毛利殿の養子とは一体。彼の御家は安芸侍従殿(毛利秀元)が跡目の筈ではないか。そこに金吾殿が入るのか? それでは安芸侍従殿はどうなるのだ」

「私めも左様に感じております。ですが太閤殿下が御家に定まって跡目から、自らの親戚を宛がったことは既に例が御座います。余程の異議が無い限りは、丹波中納言様が毛利家の跡目となるのでしょう。それは佐渡守様が、一番良くわかっておいでだと思うのですが」


 二ノ丸殿ニ信頼される気鋭の女官の言葉に、高虎は返す言葉が無かった。全ては自らに降りかかる、返って来るというのは、このことであったか、と。

 だが女子を政略の道具にとして扱うことに何の遠慮も無い彼にも意地はある。


「言うね。その通りだよ。だがな、わしとて毛利家とはどうにか縁を結びたいのだ。黄門様の為にもな。今度大坂へ馳せ参じたのは、その相談を殿下へ談判したかったのだ」

「では中納言様の毛利家入りには反対という御立場で?」

「そういうことを言いたいのでは無い。他にやり方があるだろう、そのような話だ。例えば吉川様は先に奥方様が身罷られた後、後添いが居られぬ筈だ」

「では、おきく様を吉川様へ嫁がせる、と?」

「今浮かんだ腹案だ。兎角、聚楽第が東国の大名と結んで居るのだから、大和衆としては西国の大名と結びたいところがあるんだよ。そこは、これから大和衆腕の見せどころだ。どうか御両人にも助力を願いたい」


 御たけと娘は困惑しながらも頷いた。

 去り際に御たけは呟いた。


「ともかく貴方は入れ込みすぎるところがあります。これは生前夫が言うておったことでもありますが、そこが良いところでもあるが拘りと我が強すぎる、と。何事も妥協の繰り返しであることを努々忘れませぬように」

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