第24話・文禄三年の政変(三)
憂鬱な京都在番が終わる。
帰り際に普請が進む伏見城、巨椋池の堤を見分する。
「聞いた話、堤のほうは夏の完成を目指して、もう一息だとか」
小姓の長井は眺めながら呟いた。
「堤が出来た暁には、郡山から伏見の城までは概ね一直線だ。何なら、巨椋の池から大坂へ出ることも出来る。何方が早いかね、大坂まで峠を越えるのとでは」
長右衛門も呟いた。
令和の今、最近では東急新横浜線が開通したように今も昔も新たな道・交通が出来ると試してみたくなるのは人の性だ。交通が変わることは人、物、金の流れに関わる。末永く大和を治めていきたい若い衆にとっては心が躍る一件である。
古く東の武田信玄は迅速の行軍のために、領内に広い道を通したといわれる。
高虎に覚えがあるのは少年時代に見た虎御前山と宮部を結ぶ「信長軍道」だろうか。大和衆を纏める立場の現在は、各地の道々に目を見張る。
「あの堤が相成れば、早馬の便が上がる。まさか京暮らしで馬乗り怠ってはおるまいな」
大和に入ったある村で休むと、高虎は愛馬を労りながら馬の講釈を始めた。
「ええか、馬を選ぶことはなかなか難しいものだ。お前たちのような若い頃は、一に多くの馬に乗って見識を深めることが重要だ。ある程度の経験を積んで、初めて自らの馬を選べよう。更に言えば、この畿内には
「親父様の愛馬は如何なる由緒にて」
庄九郎は黒馬を撫でながら尋ねる。
「確か播州の馬と聞きましたな、さては三木城の戦いにて?」
「馬の国は合っているが、三木城では無いな」
大木の言葉に長井弥二郎はきょとんとする。
「これは羽柴家へ転じた際に、殿下から拝領した馬だ。加古黒と呼ぶが、元は姫路は英賀道場の侍加古六郎右衛門殿が献上された馬でな。この加古六郎右衛門は英賀の落城と共に、大人しく道場を殿下へ開け放った御方でなあ。俊英が選び抜いた馬を、わざわざ良き将には良き馬、と殿下は仰せになってなあ」
「戦場にも動じない馬ですから、てっきり戦場で得た馬かと思うておりました」
「世話をしていても穏やかで良い馬だ。流石は一向衆、良い馬喰が居ったのだろう」
餅を頬張りながら長右衛門は語る。
そうした馬談儀で盛り上がっていると、餅屋の主が面白い話をしてくれた。
街道で多くの馬を見てきた店主によれば、暴れ馬も個性であり、そうした個性を愛する御仁は金払いも良いらしい。また商人としての馬の選び方として、どのような用途か、何に重きを置くかで選び方も変わってくると言う。
高虎も暴れ馬が個性云々という話は、いつぞや聞いたことがある。誰かが熱弁をしていた記憶が薄ら薄ら覚えている。
「それでいくとですな、あの早馬は上手く乗りこなして御出ですな。あの御方は宜しいでしょう」
一行はその姿に見覚えがあった。高虎の右腕新七郎良勝その人であった。
「急ぎ館へ!」
「何事か」
「紀の国衆が談判との旨にて」
「紀の国衆とは、それは桑山の親父か、倅か?」
「いえ、孫の方です」
餅を頬張りながら馬を駆け郡山へ舞い戻ると、館に旗が泳ぐ。
館には桑山小藤太一晴、杉若主殿頭氏宗、神保長三郎の三名がいた。
この中で神保が禄も年齢も最も低いが、彼の家は代々畠山家に仕えていることから紀の国の有り様を良く知っている。関係性で言えば妻は主殿の妹で義弟にあたる。また宮内少輔一高から見れば主殿と長三郎は「おじ」であるから、恭しく応対していたのである。
そして神保を除く二人は再びの渡海が決定している。初夏には海を渡り、朝鮮の城を守備することが決まっており諸役は免除されていた。
何れ持てなそうと思っていたが、思ったより早く、向こう側から訪れてくれたのは如何なる事か。
「一つ先に言わせてくれ。物々しいのは要らぬ誤解を招くから止めて欲しい」
「こうでもせねば気が収まりませぬ。然れど宮内少輔様の心尽くしに気も静まりまして御座る」
小藤太は今二十歳を迎えた。彼の亡き父一重は高虎と同い年であり、知り合った頃はまだ十代の頃である。一重は天正三年(一五七五)と早くに父になった。その頃は高虎が高島、桑山は長浜であったが親交は続き、羽柴家に転じた際に様々指南をしてくれたもの一重であった。亡くなってからも何かと高虎が養育に口を出したので、小藤太と弟は私的な場では「親父殿」と呼んでくれる。
亡き友の初陣を果たしたばかりの子が、斯様に訴えに訪れるのは感慨深い。端から見れば取り巻きやら強訴の類で感慨に浸る余裕も無いが、何故か余裕があった。
「それで藤堂佐渡守に何ぞの用かね、忌憚なく申せ」
「御依頼のあった千人斬りの件、くまなく当たったところ気になる輩が浮上致しました」
「ああそのことか。して下手人は如何」
「渡海から逃散した兵卒、その可能性が高そうです」
いつの時代も外征や無理な戦は避けたいものだ。
しかしながら大局的に「仕方がなく」武役から逃れることは出来ぬ。
思い返せば浅井久政は北伊勢攻めに嫌気がさし、六角により朝倉を敵に回すことになると不利を悟り六角を離反。斎藤と六角との戦いを選ぶ。
御本所は一統したばかりの南伊勢を慰憮するべく摂播出兵を拒否、伊賀一国を敵に回すことで役を逃れた。
一視点から見れば、明智光秀の謀反なども戦逃れの為の戦であろうか。
境目に生まれた高虎も、どちらかと言えば戦いたくないものであった。力任せに武功を挙げながらも、何故濃尾の兵は猛々しいのか理解に苦しむ部分があった。
しかし為政者、万の兵を従える立場であればそうはいかない。
太閤殿下は唐入りに際して逃散への断固たる処置を示していた。
最新研究によれば島津龍伯は独自に諸国と交易していたことから、武力により明との交易を築こうとした太閤権力を忌避し、明と共に徳川家康を巻き込んだ太閤権力打倒を企てていたらしい。これもまた戦逃れの為の方策か。
梅北国兼の一揆も、この島津の戦いたくない心の現れであったのかもしれない
問題は、奈良町の治安を乱す賊の類いに「逃散した」であろう兵が「居るらしい」と、いうことだ。
刀狩りをはじめとした苛烈な策により牢人共の動静は掴めている。それを掻い潜る賊の存在というのは、こうした地下に潜った兵卒の可能性が高い。
主殿が言うには、目星は付くが拠点は定かでは無いという。恐らく広い紀の国の山中に、古の小屋でも用いているのだろう。
「しかしながら下手に天下争乱と相なったとき、斯様な逃散兵共が恐ろしうございます」
「奈良町の一件を思い出されよ。我等が家開けしとき、家を滅ぶは恥辱に候や」
小藤太、主殿はそのように懸念を口にする。
「待てや、待て。天下の争乱とは何ぞのことか」
狼狽える高虎に、小藤太は襟を正す。
「御家老、大坂か聚楽第か。我等は何方へ与するか態度明瞭にすべしと心得る」
再渡海衆は、大坂方と聚楽第が内戦に及んだ場合、国に潜む逃散の衆が聚楽第に呼応することを懸念する。
ならば同じ逃散の衆でも、和衆に組み込んでしまえと考えているのだろうか。
しかし余りにも急な話で、何か自分の与り知らないところで和衆に急進論が高まっているかもしれないという事実に直面した高虎は怖くなる。
「一体何が其方等を駆り立てようか。今の今に、太閤殿下と関白殿下の間柄は至って良好だ。軽々に諍いを煽る行いは謹んでもらいたい。それに関白殿下は黄門様の尾兄上だぞ。無碍に扱うことは出来ぬ。そしてだ。何を以て太閤殿下に与するべしと申すか」
「大坂の若君様に御座います。未だ黄門様は若君様との面会叶わず。して伏見へ御移徙される前に、我等和衆一党が急ぎ大坂へ駆けつけ頭を下げることが肝要と心得まする」
「待ち給え長三郎。そのようなこと、一日二日の早急に執り行えることでは無いのだぞ。貴様等が如く兵を起こし大坂へ上ってみろ、太閤殿下の不興を買うだけだ」
「では御家老は若君様に従うことは、伏見への
「それは筋目というものもある。黄門様は関白殿下の弟であるから、その後を続くのは当然であろう」
「しかし御能の次第にて我が主は遅れを取っております。御家老、いや親父殿。親父殿は口惜しくは無いのですか。我々は悔しい。我々が斯様に思うて居るからこそ、具足親たる親父殿が、一番に口惜しいと思うて居るものと、考えておりましたが」
小藤太は珍しく感情を露わにする。
無論高虎も悔しさやもどかしさを感じていた。金吾、宇喜多に継ぐ四番目という能の次第は、秀保の序列の低さが窺える。それ故に、高虎は忙しくしている。少しでも自分の働きで秀保の存在感を高めようと。だがそのようなことは隠すべきであると、小藤太たちが感情的である今この時に思う。
「それでもだ、わしには先んじて若君様に挨拶することで黄門様の位が高くなるとは思わん。尚のこと関白殿下を差し置けと申すのか? それは黄門様の為になるのか?」
あくまでも高虎は平静を見せる。馬は人の感情を読む生き物だ。だからこそ馬と親しくする彼は、感情を一定に保つ作法を心得ている。
「焦る勿れや。其方等が大坂へ行きたいのであれば、此方も別で大坂に用があるから近いうちに赴こうと考えておる。そこに其方等を同道するのは構わん。それにしてもだ、其方等は何を焦っておるのだ。この藤堂佐渡守に何ぞ吹き込むかね」
「宜しいか親父殿。我等が主は関白になるやもしれぬ御方なのです」
眩しいばかりの主張に、狼狽える。
「我等たったの千の兵なれど、その心は今の関白殿下を高麗、更には唐の地へ御送りする所存に御座る。それぐらいの気概で、甘んじて再びの渡海を受け入れたのです」
熱を帯びる青年の主張を、高虎はどうすることもできない。
「そもそも今我等が食む御知行は亡き
「いざや熊野御神水にて約すべきや」
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