第12話・大坂城祝礼(一)

 郡山での年頭祝礼は、正月二十六日に滞りなく行われた。

 大和はあるじから奈良町の衆中に至るまで、太閤殿下並びに関白殿下の御動座に胸が躍る。


 それは準備の時間が無い事など吹き飛ばすかのように、盛り上がる。

 奉行所で算用を攫うと、殊の外に銭金はどうにかなりそうであった。だが、それは机上の論理なのであって、何かしらの事象、例えば雨で遅滞が発生すると入り用は実入りを超過してしまう。

 横浜と小堀に言わせると、二三にさん日であれば問題は無い。しかし四日を超えてしまうと、不足が発生する可能性があるようだ。


 そのような不安を抱えながら、主従は大坂城の祝礼に臨んだ。

 堺道による登城は、太閤殿下の吉野高野山訪問を考慮した上での道程である。


 道中の村々は、荒廃する村もあれば、春の作付けに向けて支度を調える百姓が元気な村など様々な景色だ。

 しかし町場は別物であった。

 変わらずの大都市堺、そして大坂城の天守が見えてくるほどに、栄華というものを感じ入る。

 洛中、奈良町も郡山も、賑わいこそあれど、やはり大坂の城下こそが天下一なのだろう。

 それこそ茶人としての顔を持つ池田伊予守も、博多の津は優れても、大坂堺に勝るものなし、と言うていた。

 多くを望まない高虎であっても、やはり商い人の活気と、湊の益は近江時代から知るところであるから、いつかは湊のある知行地を治めてみたいと、密かな憧れを抱いている。

 紀伊の湊であれば、桑山の和歌山や杉若の田辺、堀内の新宮が思い浮かぶ。しかし一番の賑わいであれば、吉川平介が殺される直前の雑賀紀伊湊さいかきいみなとが一番であったと高虎は感じる。惜しまれる死を遂げた平介の商才は、このほど赦免された遺臣や妻子へと受け継がれた。彼女たちは、今に商人として再起を始めたところである。


「よう来たねえ」

 大坂城に入城すると、多忙を極める太閤殿下に代わり北政所様の居館に通された。


「お久しう御座います」

「帰ってきたときは忙しくて会えんかったもんで、やっと会えて嬉しいわぁ。皆、元気で帰ってきてくれて、それが一番やぁ」

小吉兄こきちあにの事は……、まこと及ばず無念の限りに」

「小吉だけやのうてね、右衛門尉殿えもんのじょうどの香宗我部殿こうそかべどの親子、島津殿。皆の悲報が届くたびにねぇ、もう身も心がえらいわ。これは和州だから言えるけれどね、もう政務も放って、寺で尼にでもなろうかねえ」


 右衛門尉えもんのじょう中川秀政は、天正二十年(一五九二)に見廻りを兼ねた鷹狩りに出た先、朝鮮の伏兵に襲われ討たれてしまった。

 彼の父清秀は、信長存命の頃から太閤殿下と気が合い、兄弟の契りを交わしたほど仲が良かった。

 また彼の妻は信長の娘で、その弟は太閤の養子であった於次秀勝という事であり、次代でも兄弟分という間柄であった。そうした縁で、清秀の子息は北政所にも可愛がられ、秀保や高一くないとも親しくしていた。

 更に秀政の姉妹は、森忠政に嫁いでいたが早くに亡くなっていた。今回お岩の森家縁談は、そうした繋がりによる部分もあった。

 高虎にとっては、信重配下の時代に従弟新七郎を伴っての茨木城制圧戦で、泥にまみれた高島の猛者を相手に、動じる事なく応対した少年の印象が強い。

 親子揃って責任感が強く、父も子も逃げる間が合ったのに、部下の為に命をなげうった姿は、義理堅い摂津源氏の誉れである。



 それにしても取り繕った柔和な場と、心許す厳しい言の場は、果たして何方が良いのだろうか。そして、心を許す仁ばかりであるのは、これが高虎の若き主の徳であるのか。彼には、よくわからないところである。


「恐れながら御上様が居りませぬと、殿下の政務が滞りましょうや」

 そして物怖じせずは宮内少輔の良いところだろう。


「そらねえ、少し前ならそうだったけど、今は西の丸に京極さんがるからねえ。それに淀の子も、ええ娘やし、もうええかなって」

「そのようなこと、仰せにならんでください。叔母上さまを慕う者は数多く居りますから、帰ってきたら出家などと知れば、皆が悲しみますぞ」



 北政所の物憂いをよそに、年頭祝礼は正月二十九日の能に始まった。

 能の順は、関白秀次、丹波中納言秀俊、備前宰相秀家、そして大和中納言秀保といった具合である。


 関白は威厳と貫禄で舞い、秀俊は辿々しくも全身で舞う。そして備前宰相宇喜多秀家の舞は、剛気である。

 我らが秀保の舞は、大和や名護屋で金春座こんぱるざの名手たちの指導を受け続けただけあって、誰よりも上手いと高虎は感じる。その繊細な足さばき、幽玄の指先。踊るために生まれたかのような御仁に美しさを覚えてしまう程だ。


 だが、関白殿下は政務に、備前様は鎗場に忙しいが、大和殿は遊んでばかりだから上手くて当然だろう云々と、浅ましい者の陰口は聞こえてくる。

 気にしないでいても、逆に高虎は己は評価は過分で、あるじだからと言う理由で盲目に与えてしまったのか、と弱気になってしまう。

 その序列も、天下の関白、武門の備前に劣るのは当然で、それでいて丹波中納言よりも後ろの四番目となれば、気も落ちる。


「やはり奈良町の騒動が尾を引いて、序列も四番目と相成ってしもうたのか。具足親として不甲斐ないばかりに御座る」

「そんな小さい事を、気にするなぞ、佐州の兄貴にしては珍しう御座いますわいのぉ」

「せや、せや。大の大男が! 小さい事なんぞ! 気にしとったらあきまへんえ!」


 夜更け。

 高虎は速水庄兵衛の呼び出しを受けた。何でも、彼の一族で黄母衣衆にして太閤が近習頭きんじゅうがしら・速水甲斐守守久かいのかみもりひさと、摂津の名族伊丹氏の血を引く郡主馬頭宗保こおりしゅめのかみむねやすが、酒の肴に一目会いたし、と酔いに任せ叫んでいるというのだ。


 三人は生まれた土地も、生まれた年も異なるが、何故か馬が合う。それは三人は揃っての武人肌である部分が大きいだろう。


 年長者は郡主馬しゅめである。

 彼は元々摂津の名族伊丹氏に生まれ、一族の郡兵太夫の養子となった。しかし養父は、元亀騒乱の最中に敵対する摂津の雄池田氏と、仕える幕臣和田惟政との戦いで白井河原に散った。そうして二十七歳にして家を継ぐ。

 その後、摂津を襲った荒木村重の乱に巻き込まれ、彼は天正六年(一五七八)秋に有岡城を攻める織田信長に、自らの郡山の館を献上し降伏した。


 三人が揃って出会ったのも、有岡城攻めでの一幕である。

 十一月末に、茨木城を制圧した高虎は、十二月中頃に主である七兵衛尉信重しちべえのじょうのぶしげが郡山への在番が命じられたので、新七郎と共に同地へ向かう。

 同じ頃、郡山の守りを堅固にする普請を羽柴家が担当していたが、奉行の一人が最年少の速水甲斐守であった。


 速水と郡は、初対面で普請が始まってから、互いに警戒し心を開かなかった。しかし信重の案内をした中川の家人と郡は旧知、更に信重の重臣である渡辺与右衛門の妻は速水の一族であった事から、一晩の宴席で打ち解けた。

 更に、その席で中川の家人が藤堂の二人を天晴れ見事と褒め称えたので、武人肌の郡と速水は、高虎や新七郎とも打ち解けたのである。


 そうした縁から、有岡城に仕えていた郡の四女は、友情と信重の差配により助け出され、渡辺の提案で大溝城の女房衆に転じた時期もある。紆余曲折を経て、今は丹後少将(細川忠興)の側室になったらしい。時に丹後の正室は、信重の妻で藤堂家に仕えるみやこの妹に当たる。


 有岡城が滅びた後、郡は身の振り方を考えていたが、速水に誘われ齢三十四にして秀吉の側近に取り立てられた。遅れて羽柴家へ転じた高虎を迎え入れたのも、速水と郡であった。


「ええかね、佐州よ。序列なんてぇのはな、人様が決めるもんじゃねえんだ。人様が定めるのは、仮初めのもんなんよ」

「左様じゃ左様じゃ! 主馬しゅめ殿も兄貴も、みんなに認められただろ? それで初めて列になるんだよ。わかるかな?」


 酩酊状態にある二人は、支離滅裂になりながらも必死に伝えようとする。やはり朋友の有り難き事か。

 要は、太閤殿下が好みとするは、為すべき事を為していく常の人であるから、外聞に気を抜かずに、主を助ける事こそ肝要である。そのように言いたいのだろう。


 下戸の高虎も、少しばかり酒を舐めてしまったので、記憶は途切れた。

 気がつけば、夜が明けて、空が白む。正月晦日がはじまっていたのである。


「あれ? 新七郎は?」

「何や、竹助ちくすけと入れ替わって、もう館へ戻ったわ」

「駄目です、全く覚えが無い」


 しかし周りを見渡せど、服部竹助の姿は無い。


「ほんでなあ、竹助も用事があるっちゅうて、起きない主人を見捨てて、どっか行ったんや」

「見捨てられたぁ」

「せやさかい、おっちゃんが、送っていってやるわ」

「輿でもありますか?」

「ちゃうわ! あんたんとこの館まで、おっちゃんと歩きまひょって事や」


 爆睡の速水甲斐守に礼状を残すと、二人は並んで歩き出した。

「おっちゃん、何か言いたげやな」

「せやろか」

「あれかい、右衛門尉の事やろ」


 思わず主馬は、はぁと息を吐く。

「呆気ないもんや、瀬兵衛せべえも倅も」

「だいぶ、御心労と拝察致す。北政所様も、御心労の極みにて、お労しい限りに御座いました」

「もうな、呑まんとやってられんのよ。誰も彼も、逝ってしまう。荒木の旦那も、塩川の叔父貴も。皆滅んでしまったよ」

「黄母衣の雄が斯様に弱っては、大坂が成り立ちませんぞ」

 

 

「なあ佐州。戦の世に戻りたいかね?」

「唐突に」

「瀬兵衛も荒木の旦那も、池田の旦那も、塩川の叔父貴も、こおりの親父も、皆々戦の世に生きた訳だ。しかし、皆々がうなって、生き残って往時を知るのは、おっちゃんぐらいで寂しいもんや。せやけど、それは戦無き世になって、初めて味わう感覚なんや。佐州はどう思う」


「人を率いる立場に成り、初めて戦は割に合わぬと感じております。戯れ言を申せば、能や猿楽の上手い下手で、序列を決める事のが、幾分にも楽と心得る程にて」


 郡主馬頭は、その言葉に安心したかのように、ふっと笑うと、高虎の方をばしばしと叩いた。


「それはええ心がけや、でもなあ、序列ばかりに追われたらあかん。中納言様を守り立てる事を本意にして、序列なんぞ考えるのは、そのもっと後にやるこっちゃ」


「心得ております、心得ております。然れど、然れど、何故か、佐渡は追われてしまうのです」


 佐州、あんたまだ、酒が残っておるわ。そう言うと、郡や高虎の肩を叩いた。


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