第11話・銭の虎

 羽田長門守と入れ替わるように和州から来た使者は、一庵の妻の幼い姪が流行病に罹ったが為に祈祷を行っている、との報せを持ってきた。

 つまりは長氏の女人にも、病の手が迫ってきたのだろうか。今の高虎には、一庵法印内儀の姪である御ヤヽが、誰の子を指すのか子細調べる余裕は無かった。

 彼はひたすらに菱屋の伝手、吉野の花見に銭金出さんか、食い物を出さんか、商いをせんかと忙しく呼び回る日々である。


「素直に、貸してくれ、ではいかんのですか」

 小姓の一人長井弥二郎は問う。

「阿呆言え弥二郎。散々金商人を痛めつけた大和衆の筆頭様だぞ。銭金を借りる信用が無いわ」

 磯崎金七は、思わずそう言うと、吹き出してしまった。


 慌てて上京した新七郎は、そうした近侍の仕草を見るに、主とは孤独なものだなとしみじみと感じてしまう。


「それで新七郎様は、またしても如何なる御用事で?」

「金七よ、貴様は最近目はよく回るようになったが、少しは帳に目を通さぬか。弥二郎も、弓ばかり取らずに筆を持たぬか」

 そうすると、小一時間ばかり読み通せとばかりに、新七郎は両手に持った帳で二人の頭を叩いた。



 新七郎が会いに来たのは高虎だけでは無い。この妖しい男が主目的である。

「御家老様。如何なる御用に御座いましょうや」

「だからその、俺を家老と呼ぶのは止めてくれんか。ええか藤堂の御家のおとな矢倉大右衛門やぐらだいえもん殿が一人だ」

「然りとて、誰しも新七郎様を頼りにされまする」


 それは新七郎が高虎の一門衆で、血筋も多賀の血筋である事が大きい。対して矢倉大右衛門は、羽柴家中を転々として、ある切っ掛けから藤堂家に転じた外様である。

 先代の矢倉だい右衛門は元々信重の臣で、高島では高虎の上役であった。主の死後に、妻子をはじめとする牢人を召し抱える中で、高虎もその苛烈さを買って招聘した。

 一方で当代の大右衛門は本名を村山与介という北郡きたぐんの男で、その転々とした経歴を怪しんだ若い衆は、二代目を舐め腐っていた。


 しかし、新七郎は彼が外様ながらも老衆おとなしゅうたらんと、日々研鑽を積む姿を目にし、彼が誰の真似でも無い一人の矢倉大右衛門として名を上げる姿を目の当たりにしている。

 若い者たちは、浅井滅亡来、羽柴家中を転々とする彼の経歴を訝しむが、逆である。村山与介は、才があったからこそ、転々とすることが出来た。そして才があったからこそ、村山与介は斯様に矢倉大右衛門尉秀親ひでちかと相成ったのである。


 新七郎は喉元にまで日頃の愚痴が上がるのを感じ、唾と共に呑み込んだ。

「丁度、平助が俺の前に現れたのは、一年前の事であったか。はじめは驚いたものであったよ。よもや公家の侍に御同名ごどうみょうが居られたとは、と」

「へぇ」

「いやな、多くは信じていないさ。今の世、出自なんぞは幾らでもいつわることが出来る」

「それでは、私めが嘘をついて居ると?」

「大事なことは、真心だよ。出自をひけらかさず、働くことだ。そして出自をひけらかすのならば、それに能うことをやれ。それが真心だ」

 高虎の従弟というだけで出世したと思われがちな新七郎であるが、彼は彼なりに下積み経験が豊富である。中でも茨木城小口制圧戦で挙げた彼の初陣首は、その働き一つで敵将中川清秀の戦意を挫いたのだから、今でも語り草である。


「此度の大花見には、公家衆を招くと下知があった。つまりは藤堂平助、貴殿に公家衆が何を望んでおるか、探りを入れてはくれぬか。無論、多くは聚楽第や大坂方、所司代様や伝奏様が為さると見ている。しかし我らとしても、知る事は要であるからな」


 藤堂平助が、本当に藤堂景盛の流れを汲む公家侍であるならば、やってみせろ。いや、一介の、姓氏詐る素浪人平助であったとしても、名乗る以上は職を果たせ、との命である。


「相承りました。然れど近頃佐渡守様、旦那様は人も足りぬ、銭金も足りぬとに唸っておいでですが」

「良いか。すべてを真に受け取る勿れ。無為に過ごせば手打ちに遭うぞ」

「しかし……」

「人は居る。既に矢倉殿が河内に知己ある野崎殿や、伊賀に親兄弟を持つ岸田殿と誼を通じて居る。これで堺道の守り、伊賀口の守りはどうにかなる。大坂方との遣り取りであるが、これは大坂と当家に高島縁の御仁が居るから、どうにかなる。それに最近豊後侍従様の改易で牢人となった佐伯殿は、何事にも手伝わせてくれと、申し出て居る」

「なるほど、然らば金策は如何に」

「それは菱屋とつるむ、貴殿が詳しかろう?」


 銭金ぜにかね足りぬ。

 その意味を真に知る者は、藤堂家中でも僅かであり、多くの大和大名は藤堂佐渡守殿は、ただただ主に尽くすために貧しき暮らしを歩む甲斐甲斐しい重臣である、と思っている。

 しかし算用帳を総覧できる立場にある者だけは、違った認識を抱いている。この少年も、その一人であった。

「佐州」

「お呼び立ては如何」

「いや、大した話では無く、口癖の話をしたくて呼び出しただけです」


 和州での年頭行事の為に帰る道中、玉水の定宿は静かな闇夜である。


「口癖とは、何ですかね。やはり銭金銭金と、皆々の障るところにありましたか」

「何だ、わかっているのなら良いのです」

「然らば、これにて」

「いや、待ちたまえ。佐州、藤堂佐渡守。先より慌てて算用帳を眺めているが、和州の銭廻ぜにまわりは、どうにか次の春までは回りそうだ、と感じます。そして、それは藤堂の二万石も同じ事。然れど我が憂うは、折からのり用に対しての、実入みのいりが少ないことだ。それを以て、佐州は銭金足らずと申しておったと見ゆる」


 高虎は頭をかいた。やれやれ、と隠し事は通せぬと、二つの意味である。


「どの家も、実入りにあった入り用を施すか、いつどのような入り用が来ても良いように、実入りを増やす訳です。それは田畑の作物であったり、材木から炭墨たんぼく、ところによっては魚や獣など。よほどの放蕩か、物好きでは無い限り、手前不自由は起こらぬはず。しかし大花見は、些か実入りを超えてしまう。これを如何にするか、それで銭金足らず、と申して居るのです」

 大名の中には、茶器で金商人沙汰になる者も居るらしい。


「でも策はあるのでしょう?」

「ええ。当座は家の余金あまりがねを叩きます。それで足らぬのなら、かねて方方ほうぼうへ貸している銭を全て引き上げます。もしも、それ以上に入り用があるのなら、多新おじが遺した茶器を、売り払いますよ」

「流石は佐州、周到です。しかし、何処にそんなに貸していたのですか。そして多新殿の遺物を売って良いのですか?」

「遺言に御座います。多賀の長者は任せる、と。まあ、その時は来ぬであろう事を祈りますよ」


 小姓が手早く白湯を注ぐ。

「佐州が幼い砌、多新殿に様々指南を受けたと伺いました。永禄から元亀、そして天正の甲良は、鎗場やりばとも伺いました。かの御仁は、如何にして乗り越えたのですか」

「実入りある平時は、米の蓄えは程々に、聡き耳で聞きつけた鎗場や足らぬ方へ高く売りつけておりました。実入り少なきは、蓄えた銭で乗り越え」

「そこは常の御方だ」

「で、問題は戦が起きたときです」


 元亀元年(一五七〇)の初夏、姉川直後の話だ。

 当時新左衛門が牛耳る甲良の本拠地たる下之郷の東には、本願寺四十九院道場があった。

 多新は、この四十九院領に対する違乱に及んだ。

 彼の本拠地下之郷と道場のある四十九院は、同じ用水を使っていたが、彼はこれを止めたのである。七月の、穂が実るために水を必要とする季節に、水を止めてしまったのである。

「これ即ち、敵の実入りを減らす策に御座います」


 翌元亀二年(一五七一)には、叡山の焼き打ちを終えたばかりの織田勢を引き入れ、中郡の古刹から一向門徒の道場、甲良武士が帰依する敏満寺、果ては多賀一門や佐々木一族の菩提寺である勝楽寺をも襲わせたのである。

 この暴挙により、多くの民と兵が逃散した。しかし、多新の狙いはそこにあり、逃散した屋敷田畑から襲われた寺社の領する田畑を接収。さらには、傍若無人を尽くす彼に、なおも付き従う兵卒の田畑は自らの実入りに数えてしまう。


「これ即ち、略奪するに味方から欺く計略にて、味方を自らの旗の下に数える事で、実入りにしてしまう策に御座います」

「噂に聞いてはいたが、ろくでもない男だな」

「ええ」

「それでも多新殿は全うしたね」

「ろくでもないからこそ、永禄そして元亀天正に至るまでの動乱を乗り越えられたとも思います。常の人であれば、六角に与するか、浅井に与するか、何方にせよ滅んでおりました。やはりそれは、銭貨計数の才に長け、文武に秀で、幾つも顔を持つ。器用な御方であった事に依るのでしょう」

 

 先頃石田三成に、此の村に士多し、と評された甲良の村の士たちは浅井の滅亡後、二種類に分かれた。

 一つは、何をされても多新様の為さる事に間違いは無い、と信じ切る男たち。

 二つは、如何に苛烈な場であっても、多新の地獄よりは遙かに楽であると、踏ん切りつける男たち。

 織田の将として歩み出した高虎、その栄達に貢献した甲良武士は、後者ばかりであった。


 郡山への道中に、秀保は感じる。

 藤堂佐渡守は、多賀新左衛門の良いところだけを受け継いだ。計数の才、文武、人当たり。人を選ぶという最悪の才は、受け継がなかったと見る。

 だが、彼もまた、多新と同じように謀策を腹に抱えるものであるかは秀保にも解けぬ事である。


 宮内、其方の親父様は、謀策好む御仁かね。いや、聞けぬ事だ。しかし、彼が武功無く出頭した経緯は、謀と言えようか。

 くれぐれも、あの男が謀らんでも済むように、主として為さねば成らぬ。そのように少年は、己を説き伏せた。

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