叶芽百合音の喪失 その1

覚えている。



蒼ヶ峰クン。



キッカケは唐突だった。



私ね、もう長くないの。



「何だって急にそんな…」


なんだって、なんだって、なんだって。


ーーー、馬鹿げた返答だ。


間の抜けたオマエにとってそうでも

その左隣に座る百合音にとっては


ハナっから

決して覆らない

運命だったハズなんだ。



運動部の掛け声を反響させる空洞群の一つ。

夕陽の差し込む校舎の窓辺。

セットに隣り合った2つの机。

暖かい風が百合音の黒髪をなびく。

百合音は校庭の向こうに望む都会の

高層ビル群を向いている。

向いたまま、だ。向いたまま。


好意を伝えたわけでも

付き合っているわけでもないが

アレは実際、別れ文句だった。



ハッとする。

百合音と自分に未知領域。

明確な隔絶。踏み入りの反発。


百合音にかけるべきセリフは

蒼ヶ峰聡の中で像を結ばない。



百合音が一息つく。

スローモーション。

振り返る。振り返る。振り返る。


緩やかな時間の中にいるハズなのに

か細い百合音の両肩が

ふと伸ばした右手も

誰より親しげな呼びかけも

届かないほど

離れていく。



だから、ね?



とうとう此方を向き直す。

目元は逆光でよく見えない。

涙を湛えていたか。

哀しげな諦念か。

それとも微笑んだ細目だったか。


頼むから。

平気そうに、笑わないでくれ…


見慣れていたと思っていた笑顔。

アレは憶えでなくてタダの鈍感。

美しいとさえ思っていた笑顔。

アレは純粋ではなく憂げな儚さだった。



今日はアナタにだけ、

ほんとうのコトを伝えにきた。



コツコツ鳴らして歩いていく。



じゃあね。蒼ヶ峰くん。

いままで、ありがとう。



流し目に去っていこうとする百合音の

教室の引き戸に当てられた白い手を。


ボクは、蒼ヶ峰聡は。


咄嗟に。

寄せつけまいとする百合音の

間合いに深く踏み込んで。

触れるまで分からないほど弱々しく震えていた

彼女の手を、掴み取っていた。





「ハァ…ハァハァ…」


膝に手をつく。

俯き、狂った様に肺の空気を入れ換える。

半径5キロ相当。

アレから当てもなく

彼女の活動可能範囲を予測して

周囲をしらみ潰しに駆け回る。

止まっては意識が飛びかける前に一呼吸。

そう遠くまでは言ってないハズ。


恐らくはアレが原因。

時計の針が7時を差そうという夜。

突如現れた凶星の如き飛行体。

ボク自身この目で見たのだ。

観測して走り出して20分。

こうして捜索して50分。

全くの無謀?そんなコトはない。


「……ウプッ」


襲い来るえずき。

人間の限界を大きく踏み越えた運動量。

容赦なく乱れ揺らされた五臓六腑は

パニックを引き起こし

蠢動する胃腸は刺すような胃酸を

喉元まで逆流させる。


「っう……かまってられるか」


押し殺す。

記憶障害持ちの独り歩き。

交通事故に巻き込まれる確率が恐ろしく高い。

だが、それ以上に。

妙な違和感に苛まれて駆け込んだ六畳半。

もしその直感が本物であれば。

彼女を手招きしているナニカがいる。


「それなら、心当たりが無いわけじゃないだろうが」


でも、あり得ない。

アソコまでは30キロ近くあるんだぞ。

マラソン選手の全力疾走だって2時間はかかる。


あり得ない…か。


今更なにいってやがるんだ、オマエ。

難病で命を落とす女子高校生も。

それを捕まえて蒸発するクソガキも。

非科学的根拠のメチャクチャな生き返りも。

こめかみについたピアスも。UFOも。

にもかかわらず訪れていた明日も。

全部全部、ハナっから有り得ないことばっかじゃないか。


「欲しいのは、確証だ。」


自宅の方を向き直す。

ポケットからスマホを取り出す。

死に体のハッシュタグ、#UFOをリサーチ。

目撃情報は、ない。

でも、部屋で一人っきりの彼女に見えたんなら…



「はーい、安祢田です。」


帰ってきたのは、幼げな返事。

思いつきで鳴らしたのは

携帯ではなくお隣のインターホン。

然るにこうして玄関口で出迎えてくれたのは

先程職場に向かった安祢田遊姫さんの

小学校中学年の娘さん、優華ちゃんだ。


ドアを開けて出てきた作業服の男に

目に見えて萎縮し怯える少女。

膝を突いてなるべく柔らかく。

笑顔で自分の顔を指差して自己紹介する。


「ごめんね。ホラ、お隣の百合音お姉さんの

旦那さんのさとるっていうんだ。」


警戒は解けない。


「その~なんて言うかな…

さっきさ、UFO見なかった?ピカピカ~って!」


返事を返すべきか戸惑っている少女の後ろから


「ピカピカぁ!」


と小さな男の子、悠樹くんが駆け寄ってきた。


「見たの?」


思わず食いついてしまう。

ユウキっ!と片手で弟を立派に制する姉。


「あっゴメンゴメン。

その、百合音お姉さんについてなんだ。

そのあと彼女のコト、

窓から見かけなかったりしなかった?

………お姉さんの、ためなんだよ。」

「ーーー、見た。」


今度は。

興奮を表面に出さないように。

平静なお兄さんそのままに。


「おねえさん何処に行ったか、わかる?」


少し、悩ましげに人差し指を咥えた後

男を振り払って外に駆け出す。

やはり、無理があったか。

警察沙汰を覚悟したその時。

少女がアパート入り口前で立ち止まる。

おそるおそる歩み寄ると

突き出される人差し指。


窓は西向きにどの部屋も取り付けられており

北側に道路に面したアパートの門がある。

優華ちゃんが指差したのは。

その北西。なだらかな傾斜の上方。

宙羽ヶ丘頂上の方角である。

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