ご近所付き合いは突然に。

缶コーヒー。

3本指で摘む。

冷え込んだ外気。

頬を撫でるからっ風。

缶コーヒー。

片手に持ち替える。

熱帯びたアルミ。

空ら手でひいらぎ降り払う。


早上がり、6時過ぎ。

ハタさんの一声。


「キリいいしここらで終いにすっか!」


工場裏自販機で引っ掴み、

腰下ろす休息求めて。

口含む適温を待って。


かくしてふらふら。

蒼ヶ峰聡は束の間の休息を持て余している。



「何だって缶コーヒーってのは…」


せわしなく転がして呟く。

暖取ろうなんて選んだ押しボタン。

普段は専らブラック。

でも今日はなんとなく微糖缶。


「口に含む適温で落とさないんだよ…」


これじゃあまともに触れやしない。

手袋はイヤだ。

汗で蒸れきっているから。

アイスはダメだ。

挽き豆の香りが薄いから。


ため息ついてソラを仰ぐ。

宙羽ヶ丘。

ここは居住区と近郊部の境に位置する商店街。

もっともその活気は

フランチャイズの波に攫われているが。

今では商い看板の街頭が照らすだけの

車の入ってこない往来の歩行者天国として

外観整備の一端を担っている。


「なんだよ…禁足地って…」


肝心なことを去り際に言うなよな…

紳士の口にした懸念事項。

お陰でその週のお出かけはパァ。

独自に調べればきな臭い情報がチラホラ。

頂点付近では重機を運転する工事員が

操作を誤りクレーンが倒れたり

ショベルカーが暴走したりと

死者1名負傷者十数名の大事故が発生したとかなんとか。

本来広範囲に及ぶハズの宅地開発は中止。

その場に居合わせた人物は総じて目眩を訴え

過酷な労働環境が問題視されたらしい。


「……ぁ…」

「でも…それっておかしいだろ」


それがもし本当ならば。

なんだってあの丘は。

公園として開拓なんて

無責任な管理がされてるんだ…?


「…なぁオイって!」

「ーーー、んぁ?へ?」


思わず間の抜けた声。

呼びかけの方を振り返ると。


「こんなトコ、ツっ立ってなにしてんの」


黒レースのトップスに

長いベージュのスカート。

夜の仕事服に着替えた安祢田さんがいた。



「自販機、は無いのか…」

ハァとため息をついて

安祢田さんは隣のベンチに座る。

足を組んで俯く。

ジュボッ…

一つ間隔あけて

肺を染め上げる白煙を吐き出した。


「…何見てんのよ」

「あ、あいやぁ…そんな高そうなスカート

足組んだりしたら伸びちゃわないのかなぁって」

「ウソこけ。バーカ」


あれ、確かpauseだよな?

タールキッツい奴だ、大丈夫なのか?


「下の男の子、

哺乳瓶になったんですか?ハハハ…」

「アンタが来る前から歯ぁ生え揃ってるケド」


………………


商店街はずれ、公園。

まずこんな時間には誰もいない。

冬の夕陽もとうに落ちてる。

夏場なら5時のチャイムで粘る少年も

こうも暗けりゃ何も出来やしないだろう。

だからって。

公園で喫煙していい道理なんて

何処にもないだろうけど。


「アレですよね。

オーヤさんのやってるスナック、

これから開店って感じですか?」

「洞爺さん、な?

まぁそんなハナシ別にどうだっていいのよ」


取り付く島もない。


「ねぇ…アレどういうコト?

百合音さん、あきらか様子おかしいわよね?」

「………」


分かる。感じる。見てとれる。

非難の色、猜疑の色、疑惑の色。

安祢田遊姫。彼女のその全てに

ボクにむけて明確なイロ、イロ、イロ。


「アタシも、分かるよ?

こうして夜の仕事してるから。

まだ小学生の娘に小さい弟の世話を任せて

家を空けて出なきゃいけない。」


構わず続ける。

枯れ木の根元の砂場に青のスコップが刺さったきり。

こんな夜。

誰もいない公園で二人。


「でもね。アンタ知らないだろうけど。

カノジョ、百合音さん。

アタシがお得意さんの接待とか

くだらない暇人主婦のマウント食事会とかで

昼間も家を開けないといけなくなったとき、

まだ歩けるようになったっきりの悠樹ゆうきと、

早帰りなのに家事の為にわざわざ

友達付き合いきりあげて帰ってくる優華ゆうか

面倒を見ていてくれたのよ。」


そうか、知らなかったのか。ボクは。

せわしなく新しい職場に

馴染むの必死だったボクは

百合音に対して知らないこと

百合音の生活に見落としがあったと。

そして、この人はボクよりも

百合音をよく知っていると。

そう、言い張るのか。


「申し訳程度に駐車スペースを占領する花壇、あるでしょ?

洞爺さん、新しいシュミ作りなんて

言って面積割いた挙句、

どうもアタシたちみたいなのって

マメな習慣がニガテって言うのかな。

全く土いじりしなくなっちゃったのよ。

紫のパンジー。

アレは彼女が選んで植えてくれたの。

まぁでも、すっかりシナシナだけどね。」


アタシじゃ、何かがダメなんだろうな…と苦笑いする安祢田さん。


最寄りアパートの生活が漏れ出す

やや横長の300平米。

背後斜め上方から投射されるのか細い灯火に

動物の意匠が施された遊具の

シルエットが浮かび上がる。

整った安祢田さんの横顔は

暗がりの蚊帳に遮られてよく見えない。

その前方に投げられた憂げな視線の先には

なにが、あるのだろうか。


「ねぇ、百合音さんアンタ同伴以外だと

部屋引きこもったまんまでしょう?

それに、この前…」


思い起こす。

あの日、あの昼下がり。

ボクにとっても同じように

かの空間は、異質だった。

錯乱、錯乱、サクラン、錯乱。


…だから。なんだというのだ。

変わらない。

何だって変わらない。

指輪ぶっしょう婚約けいやくもないが。

かの夕陽に百合音の手をとって走り出したのだ。

誓いは。決意は。

結果として如何様にも揺るがない。


「駆け落ちだかなんだか知らないケド。

百合音さん、アンタなんかに勿体無いほどいい人なんだから。

ーーー、マジで承知しない。

意地でも幸せにして見せなさい。」


然るに。

そんないわれは、無いわけで。


「彼女、実は。

いわゆる、記憶障害なんです。」


はぁ?と一言。


「どうやら失語症も併発してるみたいで。

……休みには定期的に、医者に診てもらってるんです。」

「ち、ちょっと…!そんな大事なこと、なんで黙ってたの!」

「ボクだって安祢田さんと百合音に

そんな付き合いがあるなんて知らなかったんですってば!

こんなコト…頼るに頼れないでしょう…」


頼れる…ハズもない。

こんな身の上、こんな生活を送る現状。

失踪同然の蒸発なんて

警察の追手が来ない実状がおかしなぐらいだ。

移住先だって村八分が当たり前。

頼りとできる繋がり

頼みにできる人付き合いなど。

とうの昔に、

切り捨ててきたのだから。


「…原因は?」

「ーーー、わかりません。

精神科医は不安定な生活基盤に対する

心的ストレスと見てる様ですが。」


言えるもんか。

、なんて。


「…ソレは無いわね。」


返ってきたのは、意外な推測だった。


「信じて…くれるんですか。」

「信じざるを得ないわよ…

百合音さん、娘もアタシもいる前で

平然とノロケ話始めるのよ?

こちとらシングルマザーだっての。」


そういうストレスってさ、

積もり積もってくもんでしょ?

と聞き返してくる安祢田さん。


「アタシてっきりさ…

ヘタレなアンタが無理な肉体労働に疲れて

その…煉炭とか、睡眠薬とか?

ロマンスで取り繕った自殺幇助の

後遺症とかそんなトコロかと…」


アハハ…と無理に茶化して笑ってみせる

20代シングルマザー。

あんまりすぎないか?ソレ。


「ボクってそんなヘタレに見えます?」


だいぶ。とコンマ単位で返ってくる返答。


「でもアンタに心当たりがないんならなぁ…

医者にも見せたんでしょう?

専門家のお墨付きならなぁ…」


そうだ、医者に見せたのだ。

あれだけの検査を受けて。

あれだけの医師の知見を経て。

むしろ何故。全くの健康体なのか。


一方、金属部の縁にタバコを押し付け

ベンチから立ち上がりスカートをはたく彼女。


「ともかく…そういうことなら

アタシも定期的に彼女の様子見ることにする。

干されてんのはアタシもおんなじだもの。」


困ったときは、お互い様…か。


「ホラ、帰った帰った!

とっとと百合音さんに

ただいま言ってきなさい!」


背中をバシッと叩かれる。

大家さんといい、

スナックのママ、チーママって

みんなこんな感じなのかな?


「あ、ありがとうございます。

この恩はいつか…」


去り際、公園の車止めの前で振り返って一言。


「記憶が戻ったら、奥さんスナックに連れてきなさい!」


そのまま、近郊部方面の街明かりに吸い込まれていった。


引き留められたのは、ボクの方なんだけどな…

ベンチから立ち上がる。

カフェインもあってか、妙な立ちくらみ。

背もたれに軽く手をついて宙を見上げる。

ここいらじゃあプラネタリウムとは

いかないまでも

街明かりに負けず彼のオリオンが確かに瞬く。

幾千の星をたたえた天球。

一段と冷え込んだ今晩はその全容をおおらかに誇示していた。



その中に。


「あれ、は…」


機械的な点滅。点滅。

赤、か?橙?

否、そんなコトはどうだっていい。

飛行機、ではない。

伸びる様な緩やかな直線ではなく

ゆらゆらとした物理法則を感じさせない

不規則な空中浮遊。



あまりにも馬鹿げてる。目元をこする。

ここまではテンプレート。滑稽にすぎる。



「ウソ、だよな…?」



児戯。フィクション。非現実。

追い求めていたハズなのに

目の当たりにすると、かくも信じ難い。



「ゆ、UFO?」



泰然した古代ギリシャを思わせる

直線を想像で肉付けした神話的造形の中に

不自然な現代空想の具現。


「なんで、今…」


唐突。

             忽然。

当惑。

             焦燥。


第一、


「市街地じゃあ観測出来ないんじゃなかったのかよ…!」



なにか、マズい。


駆け足で飛び出す。

雨でも降ってないとクルマは使わない。

バスもアリだが順路は遠回り。

たかが数キロ。

仕事で疲れ果てた身体に鞭打って

人目を憚らず全力疾走。


入り組んだ住宅街。

曲がり角で危険を顧みず飛び出し

怒気のこもったクラクションを振り払って

アパート前。


錆びついた階段を踏み抜くような勢いで駆け上がり

今や手に馴染んだ家鍵を上下ともに回して

玄関ドアを勢いよく開いた。


「ユリネッ!」



覚えている。

             どうだっていい。


前にもこんなふうに。

           カンケイないだろ。 

           

過度に声を張り上げて。

         イミなんてなんにもない。


百合音に呼びかけたことが。

          カノジョはイマドコに。



ふと、頬を撫でる冷たさ。

音立てて震える窓ガラス。

吹き込む風になびくカーテン。


「なぁ…百合音…」


六畳半のぬくもりはもはや無く、


見慣れていた後ろ姿は

光る液晶をそのままに

かの寄り辺から消え失せていた。

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