第3話 愛くるしい!

 「あ、わたしは金沢かなざわ景子けいこ。地名の金沢の、景色のよい子」

 それだけで説明が終わるとはわれながらシンプルな名まえだ。

 金沢は景色のよいところらしいけど、残念ながら景子は金沢とは何の関係もない。

 行ったこともない。

 「いい名まえですね!」

 ああ。

 名まえをきいておきながら、めてなかった。

 「愛沙あいさちゃんも」

 その名まえを言うと、体のなかに拡がっていた「抱きたい」欲求が、きんっ、と一つにまとまる。

 でも、実行に着手もしないうちに、それはまた体のなかに煙のように散って行った。

 「ほんとに愛らしいって名まえ!」

 「愛らしい」ということばしか浮かばないのがもの足りない。

 「愛らしい」の二倍か三倍か、もしかすると五倍ぐらい愛らしい!

 ふふっ、と、愛沙が笑う。

 「わたしは、高校生としては今日が最初の通学です」

 どうりで、体が小さいわけだ。

 いや。

 高校生ならば、もう景子より大きい子もいるはずだ。

 景子は高校のころから背の低いほう、体の小さいほうだった。そのころから、景子よりずっと背の高い子はいた。

 「わたしも、今日が最初の出勤」

 言って、ふたりでくすぐったく笑う。

 景子が言う。

 「だから、学校が開く時間に来よう、と思った」

 「あ、わたしもです」

と愛沙も言って、笑う。

 もう少し上れば坂が終わるというところに、重々しそうな金属の門があった。

 もう開いている。

 その門を通る。

 門を過ぎるまでは、下はコンクリートの舗装で、滑り止めか雨水流しのために細いみぞが刻んであった。

 門を過ぎてからはレンガふうの舗装ほそうになる。本物のレンガかどうかは知らないけど、少なくとも「レンガのような色のタイル」ではなかった。

 やっぱり、吸水性のいい赤い土を焼いたレンガのようだ。

 景子が愛沙にきく。

 「この門って、開くの、七時一五分だよね?」

 まだその時間には十分じゅっぷんほどある。

 「そう決まってますけど」

 愛沙が答える。

 「でも、わたしの知ってる最速で、六時五〇分頃には開いてますよ」

 時間が早いのは「最」とは言わないんじゃないかな?

 いや。

 それより。

 「愛沙ちゃん、今日が初めての登校なのに、よく知ってるわね?」

 「ああ」

 愛くるしい愛沙が答える。

 うん。

 この子のこの表情は「愛」というのがいいようだ。

 ただの「愛らしい」ではなくて。

 「愛くるしい」なんて表現がこんなにぴったりの子は初めて!

 名まえにも「愛」って字が入っているし。

 「つまり、高校生としては初めて、ということで」

 愛沙は、くすんっ、と笑う。

 「つまり、中学生としては、もう三年間」

 「あ、そうか」

 景子は思い出した。

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