第399話:【前】空の旅。

 ――アガレス帝国万歳!


 東大陸の半分強を統治するアガレス帝国は、大陸全土を掌握する為に魔石を探し求めている。


 古代人が残した飛空艇は大陸掌握の鍵となっており、制空権を握ることが出来る為に重宝されていた。飛空艇の動力は魔石である。成人男性よりも大きな背丈の魔石が、巨大な飛空艇を空へと浮かせ大陸を無補給で横断できる力を持つ。一方で、魔石が大量に魔素を吸うことから、人間や生き物の魔力が下がっていると言われているが。真実は闇の中である。

 

 「閣下」


 副官が私に声を掛けた。後付けで備え付けた柔らかな椅子の背凭れから背を離し、声を掛けた男を見て私は口を開く。


 「どうした?」


 人好きのする穏やかな顔を浮かべ、副官が窓の外を見る。


 「大陸が見えてきましたよ。無事に戻ることが出来ました」


 アガレス帝国にて外交官を務める私は、陛下の言葉に耳を疑った。隣の大陸の南方に位置する国、アルバトロスへ向かい黒髪黒目の者と接触せよと皇帝陛下から命を受けたのだ。

 帝国では百年近く黒髪黒目のお方が現れたことがない。それ故に他の大陸……しかも名も聞いたことのない国で黒髪黒目の者が見つかるなど思ってもいなかった。


 陛下の命を受けて私はアルバトロス王国へ旅立つことになり、無事アルバトロス王国まで足を運び黒髪黒目の少女との面会に成功した。


 黒髪黒目の者は帝国、いや東大陸の国々では尊き存在である。東大陸を創造した創造神さまが黒髪黒目の女性であること、彼女が残したとされる子供は全員黒髪黒目であること。

 東大陸で飢饉や災害が起こった際には、黒髪黒目の者がどこからともなく現れて、大陸人を助けてくれたという伝承が数多く残っている。

 

 黒髪黒目の者を丁重に扱うのは、そういう理由があるからだ。

 

 だが、しかし。アガレス帝国、いや東大陸では約百年近くその姿を見ていない。女神さまの子供、もしくは生まれ変わりである黒髪黒目の者が見つからないのである。彼ら彼女らが居れば、人々の病を一撫でして治し、枯れ果てた大地があるならば恵みの雨を齎す。

 我々が手に負えない魔物や魔獣が出れば、その類まれなる魔力量で古の魔術を行使して灰塵に帰すという。


 我々にとって魔術は廃れた技術であるが、黒髪黒目の者が扱う魔術は古から続く秘術なのだ。


 凡人でしかない我々にそのような魔術を扱える訳はなく、廃れてしまうのが道理。黒髪黒目の者が使う魔術は特別。出来ることならば、アルバトロスで出会った黒髪黒目の少女さまが使う魔術をこの目に焼き付けたかったが叶うことはなかった。

 相手国の会談の長であったハイゼンベルグ公爵に隙は無かったし、黒髪黒目の少女も彼に従う意思を見せていた。ならば我々が出しゃばることは出来ない。

 

 だが、我々は皇帝陛下より命を受けている。黒髪黒目の者と接触し、あわよくば帝国へ連れて帰ることを命じられたが、無理はするなとも告げられていた。

 黒髪黒目の少女さまが拒否を示した故に帝国へ連れて帰ることは叶わなかったが、我々使節団が手ぶらで帰るなどありえない。なんらかの目に見える成果が欲しかった。


 「そろそろか」


 「はい。長旅、お疲れさまでした」


 ようやく地面を踏めるのか。かなりの長い時間、空の中で過ごすのはこれが初めてだった。飛空艇のサイズは大きいとはいえ、やはり人間は大地を踏みしめ生きていくのが本来の姿。空中に浮いているという妙な感覚は、そう簡単に慣れるものではない。


 「ああ。――……生まれ故郷を離れたくないのは理解できるが、帝国に憧れがないとは驚きだ」


 本当に驚きだ。隣の大陸なぞに黒髪黒目の者が居るのも驚きであるし腹立たしい事実。アガレス帝国のような強大な力がある国に、彼女は居るべきなのである。力がある者は力がある者に従うべきなのだから、力があるであろう黒髪黒目の少女さまも大陸の半分強を統べる帝国に赴き、その力を存分に振るうべきなのだから。


 「仕方ありません。海で隔たれているのです、情報が少ないのでしょう」


 「こちらの大陸で生まれていれば話は簡単だったのだがなあ……」


 そう、東大陸で黒髪黒目の少女さまが生れていれば、どこの国で生まれ落ちようと帝国へやってきたに違いない。アガレス帝国であれば、黒髪黒目の方を最大級の礼と贅沢を以てして優遇する。

 百五十年近く前に他国で生まれた黒髪黒目のお方は、貧しい国から抜け出してアガレス帝国を目指し保護された。出生国での扱いに不満を覚えていたことと、帝国の繁栄を聞きつけて脱走したと記述が残っている。


 「ですな。――黒髪黒目の少女さまから頂いた物で陛下は納得して頂けるでしょうか」


 ちらりと黒髪黒目の少女さまから頂いた、人参に目を向ける。


 「念の為にアルバトロスで鑑定書を貰ってきた。黒髪黒目の少女さまの御髪を一房頂ければ一番良かったが、流石にな」


 陛下へ証拠品を提出するならば、一番良い方法だったのだが仕方ない。


 まあ、向こうの言い分も分かるのだ。魔術は廃れた技術ではあるが、物好き共が研究し細々と魔術に関して後世に知識や技術を残そうとしている。

 彼らもまた黒髪黒目の者の信奉者であり、崇めている者たちである。黒髪黒目の方の髪を手に入れたと知れば寄越せと言ってくる可能性もあるうえ、妙な事態を起こしかねん。

 

 頂戴した人参のような野菜にどれだけ魔力が含まれているか調べる必要がある。辛気臭い魔術師を頼るのは癪であるが、致し方のない事だ。ここはぐっとこらえるしかないのだろう。


 「上層部はどうするのでしょうか?」


 「黒髪黒目の少女さまがアルバトロスからは離れないと仰ったのだ。次の手を講じるだろうな」


 恐らく、いきなり開戦ということはないはずだ。物理的に距離があるし補給や兵站が持たない。仮にじっくりと行動するならば、隣の大陸南東部の国を橋頭堡に手に入れるべきであるが、そこから先もかなりの国を跨ぐことになる。

 空路が使えるならば問題はないが、アルバトロス以外の国の空を飛ぶことになる。向こうの大陸は東大陸よりも魔術が発展している為、飛空艇に高火力の遠距離魔術を数発受けることになれば、墜落の可能性も考えなければならないだろう。

 

 「彼のお方が素直にこちらの言い分に従ってくれていれば良かったのですが」

 

 「そうだな。黒髪黒目の少女さまに影響はなかろうが、アルバトロスは何かしらの報復を受ける可能性もある」


 そう。あの場での正解は、黒髪黒目の少女を諭しアガレス帝国へ向かうよう仕向けるべきだった。こちらの大陸の国であれば、どこの国であろうとそうしただろう。アルバトロスは帝国に対して舐めた態度を取ったのだから、報復を受け――。


 『びゃあああああああああああああああああああああああ』


 「ぎゃあああああああああああああああああああああああ」


 ――ても仕方な……。

  

 「なんじゃこりゃああああああああああああ!」


 箱の中から人参が這い出て来る。しかも人参本体から声が聞こえるような気がする、いや、叫んでいた。そして飛空艇の床を所狭しと走り始めた。得も言われぬ光景に驚き言葉が出ない。人参の叫び声に驚いて、一緒に叫んだ副官にも驚いたがそれはどうでも良い。

 勝手に走る人参は、船体の前へと進んで空いた隙間から身を潜らせて姿を消した。ただ数が多く、未だに私の居る場所にも人参が走り回っている。それも、何とも言えない叫び声を上げながら。


 「か、かかかかっ閣下! 操縦席へ侵入した人参に驚いて操縦士が意識を失いました!」


 「なっ!」


 操縦席近くで控えていた他の者が血相を変えて私の所にやって来て、墜落の文字が自然に浮かぶ。空の上での操縦士意識不明は、死亡宣告を頂いたも同然であった。

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