第378話:【前】サフィールのお仕事。

ナイが褐色の元奴隷の子を二人引き取った。


 『面倒を押し付けてごめん、サフィール』


 珍しくなんとも言えない顔で僕に謝ったナイ。本当に何をしているのと思うけれど、僕はそんな彼女だからこそ共に同じ時間を過ごしているのだろう。

 引き取った理由は単純なもので、誰も引き取り手が居なかったからだと彼女は口にしたけれど……。まだ幼い姉弟なんだよね、その子たち。年齢は一桁だろうし、働くにも即戦力とはいかないから、誰も手を挙げなかったのだろう。ジークとリンに重ねているんじゃないかと、クレイグと一緒に話をしたけれど態々彼女に聞いたりなんてしない。

 

 「あ、そっちに行っちゃ駄目だよ。その部屋は護衛の方たちの事務所だからね」


 子爵邸にある護衛の方々が仕事場や寝泊まりしている建屋に託児所が併設されている。仮に入ってしまっても護衛の皆さんは笑って許してくれるだろうけれど、決まり事は決まり事だから。子供だからといって許されてしまえば、甘え癖が付いてしまう。


 「……ごめんなさい。殴らないで」


 引き取った姉弟は子爵邸の託児所で預かっている。


 「謝らなくて良いよ、大丈夫。殴ったりもしないから。――まだこっちに来て日が浅いんだから、少しずつ覚えて行けば良いからね」


 しゃがみ込んで視線を合わせ、ゆっくりとした口調で笑いながら語り掛ける僕。上手くいっているのかなんて分からないけれど、姉弟より背の高い僕だから威圧感は多少なりとも感じているだろうから。

 二人の頭を軽く撫でて、さあ行こうと手を差し出す。意味があまり分かっておらず、きょとんとしている二人の手を取って立ち上がり歩き始める。今から子爵邸の庭に出て、天馬さまたちか畑を見に行こうと、託児所のみんなで決めたのだ。


 預かっている子たちは他の託児所職員が面倒を見て、僕は姉弟に気を払っている所だ。アルバトロス王国に奴隷制度は存在しないので奴隷の子供を初めてみたけれど、こんなにも他者の顔色を伺いながらビクビクしているものなのかと憤りを感じている。


 でも、幼い頃の僕と一緒だなと感じてしまう。


 貧民街に住んでいた同年代の子供よりも非力で出来ることも少なかった僕は、大人の顔色を伺って機嫌を取るしかなかった。ごめんなさいと直ぐに謝っていたし、上目遣いで背の高い大人の顔を見上げていた。時折貰えるおこぼれで日々を凌いでいたけれど、ナイと出会ってから状況が変わったんだ。

 

 『食べる?』


 黒髪黒目の僕よりも小さい女の子が、食べ物を抱えたままそう言った。


 『え、どうして……』


 その時の僕は空腹過ぎて、死んだ目をしていたんだと思う。でも、そんな目をしている人たちは貧民街には沢山居て、気にも止めないのが普通で数日後には息をしていない。

 壁に凭れ掛かって何日食べていないのかすら覚えていなかったし、動くことさえ億劫だった。多分、生きることを放棄していたのだろう。彼女に声を掛けて貰っていなければ僕はもう神さまの下へ旅立っていた可能性だってある。

 

 『今にも死にそうだから』


 僕が頼りにしていた大人が数日前から姿を見せていなかった。何かしらをして王都の兵にでも捕まったのだろう。困ったことに頼れる人間が居なくなって、ご飯を得られなくなるし風雨を凌いでいたボロ小屋は他の大人が占拠して追い出されてしまった。


 『……放っておけば良いのに』


 何故かその時の僕は喋ることが出来た。不思議だったけれど、声を掛けて貰ったことが嬉しかったのだろう。


 『今なら食べる物があるから、はい』


 そう言って食べ物を渡す彼女の手の上にある物を受け取る気にはなれなかった。だって食べたらまた生きなきゃならないんだ。死んで神さまの下へ行った方が楽なんじゃないかと、大人の誰かが言っていたことを思い出してソレに縋っていたのだと思う。


 幼かった僕は大人が言っていたその言葉を信じていた。食べ物を手渡したのに受け取らない僕に呆れたのか、彼女は食べ物を膝の上に置いて立ち去って行った。腐り始めている野菜だったのだろう。腐っている部分はナイが手で毟り取って、遠くの地面に捨てていた。

 後で気付いたけれど、体力が落ちていた僕が腐っているものを口にすればお腹を壊して余計に体力を奪われる。


 『なんで……僕なんかに』


 本当になんで僕に声を掛けたのだろう。気紛れだったと聞いたけれど、ナイは僕を見捨てたことを後悔したくなかったんじゃないのだろうか。その時偶然にも食べる物を手にしていたから。もしかすれば助けられるかも知れないから。膝の上に置かれた野菜に視線を落とす。

 

 ――また生きなきゃならないのか……まだ生きなきゃいけないのか。


 お腹が空きすぎていたし、幼かったから正しいことをきちんと認識出来ていない筈だけれど。その時の僕は死にそうなほどに空腹で生きることを止めていたけれど、結局は食べたいという欲望に負けていた。力なく野菜を手に取って口にする。口の中に広がる水気がやけに多く感じて。何故か凄く甘く感じて。僕は何故か分からず涙を流しながら、野菜を口にしていた。


 『あ、生きてる』


 そのまま一夜明けた朝。また黒髪黒目の少女……ナイが姿を現した。仲間たちと一緒に僕の前に立つ。

 

 『一緒に来る?』


 『何言ってんだ! こんな死にかけのヤツが役に立つ訳がねえじゃねーか! つかコイツの所為で食える分が減ったんじゃねーかよ!』


 今も変わらないクレイグが大きな声を出してナイに反対する。それはそうだ。僕は腕っぷしに自信がある訳でもなく、頭が回る訳でもない。得意なことは大人の顔色を伺って媚びを売ること。彼の言う通り僕が役に立つ訳はない。


 『クレイグ。私が取ってきたものだよ』


 『うっ!』


 基本的に食べ物は確保した子に優先権があると後で知った。だからこの時のクレイグはナイの言葉に反論できなかったのだ。

 

 『どうする? このままここで死んじゃうか、私たちと一緒に来るか。あんまり状況は変わらないかもしれないけれど、一人よりはマシ……多分』


 最後が尻すぼみになっているし、僕と一緒に彼らと生き抜いていくことが出来るか分からなかったのだろう。僕に手を差し伸べたナイの行動に、しばし考える。このまま死ぬか、彼女や彼らとまたお腹が空いたままの日々を送るのか。

 嗚呼、でも。仲間ってどんなものなのだろう。僕は今まで大人の中で媚びを売りながら生きることしか知らない。彼ら彼女らと一緒に過ごしたら、何かひとつ自信が持てる物を見つけられるだろうか。


 『――よろしくね』


 手を伸ばし掛けた僕の手をナイが確りと握って立てるかと聞いた。どうにかよろよろと立ち上がると、彼女が確りと腕を持って支えてくれる。

 自己紹介をしてナイたちが暮らしているボロ小屋に案内して貰う。どうして助けてくれたのかは未だ分からず仕舞いだけれど。役立たずの僕にいろいろとナイは教え込んでくれたり、僕自身が考えるようにと誘導してくれていたのは分かる。


 いつの間にか仲間の中で僕の立ち位置を確保してくれていた。出会った頃に一緒だった子が居なくなったこともあるし、僕が一緒になってから仲間が増えたこともある。少し時間が経ってジークとリンが加わって、教会と公爵さまに拾われた時には今の五人だけだったけれど。一緒に居られなくなった仲間の顔を思い出すこともある。


 あの時ああしていればと後悔することもある。決して口にすることはないけれど、ナイもクレイグもジークもリンもそして僕も同じだ。

 後ろを振り返っちゃいけないなんて言わないけれど、前だけを見ていなければ僕たちは生き抜くことは出来なかったから。危ない橋を渡ったこともあるし、無茶をしたこともある。僕たちより頭が回ったナイが一番無茶をしていたけれど。


 「あれ、みんなもこっちに来たの?」


 ナイが子爵邸の家庭菜園に先に顔を出していたようだ。肩にクロを乗せ、後ろにジークとリンを控えさせている。


 「うん。畑のお野菜がどうなるか気になっているみたいで」


 「そっか。私も気になってて様子見にきたんだけれど……」


 言い淀むナイに畑へ視線を向ける。――ああ、またナイは。いや、ナイの所為なのかな、これって。クレイグがこの場に居れば、盛大に大声を上げて彼女に何かしらの言葉をぶつけるだろうけれど。彼は子爵家の家宰さまの下で仕事の最中だ。

 ジークとリン、そして僕と子供たちしかいない状況では、畑の状況を見て苦笑いを浮かべるしかないのだった。

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