光を抱いて堕ちる

故水小辰

光を抱いて堕ちる

 太古の昔。神はこの世を光と闇に分けられ、その両方に守護者を置かれた。選ばれたのは双子の男子だ。兄は昼の精霊から民を導く術を学び、弟は夜の精霊から民に安らぎを与える術を学んだ。双子はそれぞれの社にこもり、民の暮らしと国の安寧を神に祈り、その術を次の守護者へと伝えた。これが創生の時より続く光と闇の慣しである。



「——なんて、御伽噺もいいとこだ」

 玉座を模したようにも見える白一色の椅子に座る黒衣の男。肘置きに革靴の足を置き、ふんぞり返った男の手には、切断された人の頭が乗っている。うなじの窪みに指を入れて上手く首を支えてやれば重さに取られて落とすこともない。眠っているように軽く閉じられた瞼には責め苦のあとは一切見られず、いつものように白い三つ編みを風に揺らしている。ただその色白の顔には、拭いきれない血の跡が茶色くなって残っていた。

「なあ、もう分かっただろう。連中は民を導くとかいう大義名分にかこつけて、お前を戦の道具にしたんだよ。光の守護者は民を導く、どんなに苦難が続こうと、来たる栄の光を見据え、その足取りは止まらない。お前の歌にかこつけて、連中はどんどん民から土地と命を奪っている。俺のところに逃げてきたのが何人いるか、お前、考えたことないだろう?」

 闇の守護者は民を守る。いかなるときであろうとも、母がその子を守るように、倒れ伏す者を見捨てない。この一首を頼みに次々と社にやって来る民を、彼は全員受け入れた。彼には分かっていた。国王とともに民の前に立ち、民を鼓舞する白髪のこの兄は、栄華の二文字に目が眩んだ奴らに操られているのだ。何が苦難だ。身から出たサビじゃないか、勝手に戦争なんかおっ始めて。お前あいつらに使われてるの、分かってんのか? そう問いかけた彼に——黒髪の双子の弟に、兄は悲しそうに笑って言った。

「でも、戦は私の管轄だ。始まってしまったものは終わらせないと。私は私のできることをするまでだよ。戦を終わらせて、この国に栄華をもたらす」

 今ある栄華を守るんじゃ駄目なのかよ。そう反駁した弟に、兄は何も答えなかった。つまりはそういうことなのだ。神話なんて、神なんて、みんなただのこけおどしだ。結局は人が自分のいいように使ってしまうのだから。神話の延長みたいな俺たち兄弟には、所詮現実的な力などありはしない。それを分かっていたからこの兄は、自ら首を掻き切ったのだ。俺が来ると伝えていた今日、この日に、俺の目の前で。生まれながらの責務から逃れることが自分にできる精一杯だと弟に訴えるために。

 そのとき、彼の頭にも浮かんだ。この戦を終わらせるために彼ができること。色白の肌に、純白の衣装に、鏡のように磨き上げられた真珠色の床に鮮やかな赤が溢れ出してこぼれ落ち、その海に兄の体が沈んでいくその様を見ながら、彼は古い歌の一節を思い出していた。光はいつか潰え、闇が世界を覆う。人心は惑わされ、大地は混沌に姿を変え、絶望のときが来る。はびこる悪を一条の光が照らすとき、再び大地に平安が訪れる。これしかない、そう感じた彼は、迷わず兄の首を切り落とした。

 未練はない。光に目が眩んだ連中が闇を良しとしないなら、闇の力を見せつけて屈服させるまでだ。兄の顔に飛んだ血を拭いながら毎夕の儀式で使う光を労う言葉を呟くと、急激に辺りが暗くなった。彼は驚いた——ただの儀式の文言だと思っていた闇の言葉は、本当に精霊のもたらした力だったのだ。儀式は日が落ちてから行うから気づかなかったのだろうか。その気になれば光を隠し、闇をはびこらせることが彼にもできたのだ。


 彼は漆黒のマントを翻して純白の椅子に座ると、手の中の生首に向かって語りかけた。外から喧騒が聞こえ出した。もう時間がない。今にの信望者たちがこの部屋に押し寄せて、闇の反逆を知るだろう。闇の守護者はその力に飲まれ、光に牙を剥いたのだ。

 闇の守護者は手の中の瞼にそっと口付けをすると、最後の言葉をこぼした。

「なあ、これでいいか」

 生首は答えない。肌にはまだ微かに体温が残っているが、そのうちすっかり冷たくなるだろう。

「俺が全てを終わらせてやる」

 コツン、と彼は生首と額を合わせた。目を閉じて鼻から息を吸うと、血の匂いに混じって優しい兄の匂いがした。

「お前は俺によって潰えた光だ。俺は闇の力を携えて、この国を戦争どころじゃなくしてやる。栄の光を隠してやる。別の誰かが俺を止めるまで、お前の無念は俺が晴らす」

 なだらかな後頭部を抱きしめる。流れるような白髪に指を絡ませる。首から下がないのが少し居心地が悪かったが、頬をすり合わせて目を閉じれば、いつかのように兄が笑ってくれている気がした。

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