あの世へ...

@Rex999

あの世へ...

「ク...」

ピーーピーー


私は死んだ。

死因は老衰で、家族に見守られながら静かに。

自分の息が止まる音が聞こえる。

肺から空気が漏れていく。苦しい。

息をしたいが、その体力はもうない。

徐々に全身が沈んでいく感覚に包まれる。

私は死後の世界なんて信じていなかった。

でも、死んだはずなのにまだ感覚がある。

正確には感覚を感じているというよりも、普段ベッドに横になっているときに感じる沈み込むような錯覚のようなものを感じる。

いつのまにか息苦しさは消えている。だが、意識はある。目を開けたいが瞼の感覚がない。周囲に全く光がない。

地下の海底洞窟に沈んでいっているような気分になる。

はたしてここからどうなるのだろう。きっともう私は完全に肉体から離れてこれまで脳が処理していた感覚というものは全てなくなっているのだ。

なのにまだ意識がある。

夢のように輪郭がボヤけた不安定な感覚だ。

心地よいわけでも苦しいわけでもない。


……………………………………。


気がつくと水に浸かっている感覚がした。これは錯覚ではない。間違いなく私は水もしくはなんらかの液体に浸かっている。いや感覚がもっとはっきりとしてきてわかった。私は沈んでいるのだ。ただ先ほどまでのように沈み続けているわけではない。

浮上している。

重力が逆転したかのように水面へと私の体が浮上する。

「起……ま……か?」

目の前には誰かいた。だが、感覚が戻ったばかりの私には輪郭すらわからない。

「起きたようですね」

また話しかけられた。視力が徐々に回復していくと同時に聴力も異常なスピードで回復していく。

「私の姿が見えますか?声ははっきりと聞こえますか?」

「はぁ……一応。」

晩年に老眼と難聴を患っていたが、死後になって再び完全に周囲を知覚できるまでに回復した。何とも言えない気持ちに包まれる。

「ここがどこだかわかりますか?」

私は未だ水面にいるため足がつかないながらも体勢を立て直し、周囲を見渡す。

何もない暗闇が広がる。

「あの世?」

「その通りです。想像よりも何もないでしょう?」

ここでようやく私は声の主を見た。

そこには私がいた。

「てっきり私は角を生やした鬼でもいるのかと思ったが……」

「フフッ。よく言われます。しかし、鬼は存在しません。ここにいるのはアナタとアナタそっくりの渡し守だけです。」

「なぜ同じ姿なんだい?」

「いい質問です。私も最初は姿形のない意識のみの存在だったのです。そちらの世界で言う幽霊のようなものですね。しかし、魂の対応をしているうちに姿が見えた方が良いとの要望がありまして、現在は対応している相手と同じ姿に見えるようにしたのです。」

そう言い終わると手を差し出して来た。私がその手を掴むと、ソイツはソイツの乗っている渡し船に乗せてくれた。

不思議なことに私の着ている服は濡れていない。

「服が濡れていないのは、ここにある液体自体がアナタの体を構成するものだからです。言わば今のアナタは液体人間。魂に残る生前の記憶を頼りに形が作られたにすぎません。そしてその液体がなんであるかは私にもわかりません。」

ソイツは浮かんだ疑問に次々と答えた。

しかし本当にここには何もない。かろうじてソイツの姿と船、そして自分の姿が見えるのは船についているガスランタンの灯りのおかげだ。

「アンタはどうしてここにいるだい?何のために?」

「さぁ?正直なところ私にもわかりません。」

ソイツは櫂を使って漕ぎ始めた。

「私がいつからいるのか、どうしてここにいるのか、どうして生まれたのかはわかりません。しかし、生まれた瞬間から自分の役割は不思議と理解していました。それはここで浮上してきた魂を次の世へ送り届けることです。」

きっとコイツは心の中が読めるのだろうけど、口に出して会話するように合わせてくれているようだ。そしてどうやらこの船はどこかへ向かっているらしい。見渡す限り一切光がなく到底陸地があるとも思えないが。

「次の世ってことはこれから私は転生でもするのかい?」

「そうです。あの世にも……あぁこれはアナタ達の言うあの世のことです。私にとっては今いる世界がこの世なんですけどね。それであの世にも空間に限界があります。なので、毎回この世からやってくる魂をある程度時間が経ったら転生させてこの世へ戻し、循環させているのです。魂によって差はあるのですが、その時が来たらさっきのアナタのように体を再構成して、この世へ送り返す準備をするのです。私はその補助役で、転生のために必要なことならば何でも答えるのが正確な役割です。」

「それじゃあ、今はどこへ向かっているんだい?」

「今は転生させるための場所へと向かっています。これもまた要望があり、転生させる場所は『回生奉行所』と呼ぶことになっています。」

「奉行とはまた古い呼び方だねぇ。」

「最近はよく言われます。しかしこちらには時間という概念が存在しないので。それにあったとしても私は時間のことを認知していません。時代錯誤とも言われますが、その辺はどうしようないのです。」


そうしてしばらくすると陸地が見えてきた。

「もうすぐ着きますよ。あれが『回生奉行所』です。」

見るとそこには古臭い名前に不相応なモダンな建物があった。一面窓ガラスで鉄筋コンクリートのような普通の建物だ。

「さぁこちらです」

陸に船を停めるとすぐに中へ案内された。

やはり中も外見からの想像通りだ。

「フフフ、違和感しかないでしょう?私の唯一の楽しみは『回生奉行所』と聞いてそちらの世界で言う江戸時代の建物をイメージした片がいざこの場に来た時に見せる困惑した顔を見ることです。」

「そりゃ困惑するよ。なんたってこんな建物になったんだ?」

「聞きたいですか?」

頷く

「フフフ、実はですね……改築したてなのですよ!」

「はぁ」

「最近になり奉行所の見た目が古いとの意見が多くなっていたので、生前建築家だった方がこられた時に設計図を書いてもらい、それをもとに丸々改築したのです!」

若干テンションが上がっているところを見るに結構気に入っているのだろう。

「さぁ着きましたよ。この部屋です」

そうしてある一室に通された。

中はやはり現代風だが、殺風景な真っ白い部屋の中心にポツンと向かいあった机と椅子が並べられており、取り調べ室のような印象を受けた。

「アナタはそちらの席へどうぞ」

よく事務所にある回転椅子にすわる。

「さて、ここからが私の本当の仕事の始まりです」

と言ってソイツは机の中からではないどこからか書類を取り出して眺める。

「う〜む。特に犯罪歴も無し、死因は老衰ですか」

ソイツは机に肘をついた方の手でわざとらしく顎をさする。

「特に問題はないですね。ここまでで何かご質問ありますでしょうか?」

それならと質問をする。

「それならもし犯罪歴があった場合はどうなっていたんだ?」

「よく聞かれます。犯罪歴がある方は簡単に言えば処分されます。」

「処分?」

「えぇ、処分です。あとここで言う犯罪歴というのは盗みや放火や強姦のことではありません。まだ寿命が残っていた人を殺したか否かです。」

「もしもそれが頼まれたものだったら?」

「と言うと?」

「その人に殺して欲しいと頼まれて仕方なく殺してしまった場合はどうなる?」

「あぁ!その場合は殺しを依頼した側の自殺として処理されます。中には罪悪感から有罪として欲しいとする方もたびたびいますが、そういう依頼された方は犯罪歴には載りません。」

「へぇー、割と優しいんだねぇ」

「最初は無情に等しく処分していたのですが、これもたまたま心中されたご家族がこられた際に頼まれまして。」

「家族が丸々来たこともあったのかい?魂によって再構成される時間に差があるのに?」

「はい。魂同士の繋がりが強い、そしてほぼ同じ時期にこちらの世界にこられた方たちは同時に再構成される場合もあります。これは家族でなくても親しい友人であってもそうです。中にはお互いのことをセフレとしか認識していなかった二人組もいましたね。」

「そうなのかい。なかなか面白い仕組みだねぇ」

「まったくです。みんな違ってみんないい、十人十色。毎度全く違う個性を持ち、違う生き方、死に方をした方たちがくるので、私としてもこの仕事に飽きたことはありません。他に質問は?」

先ほどから処分というのが気になる。聞いたのに逸された。

「改めて聞くけど、処分って何をするんだい?」

「あぁ!答え忘れていました!すみません。」

どうやら単に忘れていただけらしい。

「処分というのは存在自体を消すことです。この世で死に、あの世でも死んだらもう存在が消えるだけで転生もしないし、再度復活することもありません。他に質問は?」

「ふ〜ん」

せっかくだから色々聞きたかったが、特に質問は浮かばない。いや待てよ

「なぁアンタの姿は対応してる相手の姿になるんだよな?それならさっきの家族や友人の話のように複数同時に対応する場合はどうするんだ?」

「その場合も変わりません。それぞれの方たちがそれぞれ自分の姿に見えているというだけです。多少ややこしくなったりするのでそろそろ姿を固定してみようかとは考えていますが。」

答えはシンプルなものだった。もう気になることはない。

「もういいよ。それで?転生ってどうやるんだい?」

「はい。といってもこの世界でもう一度眠るだけです。儀式のようなものも機械的なものもありません」

「じゃあなんだい?ベッドでもあるのかい?」

「はいあります。こちらへ」

そして部屋を出て今度は二階へと登った。目の前の部屋に入ると、

「ここは……」

「そうです。生前のアナタの住んでいた家の寝室です」

正確にはすでに取り壊されていたはずの実家の部屋だ。

「こちらは心理学者の方から提案していただきました。最も記憶の中で安心でき、眠りに入りやすい場所が反映されるのです」

コイツどれだけやってくる死者のニーズに応えるつもりなのだろうか?それはともかく確かに最も落ち着く場所だ。ここならすぐに安心して寝れそうだ。

「それではごゆっくり。以前不良の方から『お前という異物がいたら眠れねーだろ!』とお叱りを受けたので私はこの辺で。眠りに落ち意識を手放すと転生が始まります」

なるほど死ぬ時と似たような状況だ。だが最後に一つだけ聞いておきたい。

「なぁ最後にいいかい?」

「なんでしょう?」

「前世の記憶は消えるのかい?」

「それに関しては私にもよくわかりません。しかし、アナタ方の世界で私とこの世界の存在が認知されているのであれば恐らく残っているのでしょうね」

こんな場所のような話は聞いたことがない。実際には天国も地獄もなく、おかしなやつがいるほとんど何もない空間だというものだった。むしろ記憶を来世へ持ち越せそうなのに……。

「アンタは寂しくないのかい?」

「私ですか?なぜです?」

「死後の世界の話でアンタのようなヤツの話は聞いたことがない。少しの時間とはいえ会って話した相手に忘れられるのは寂しくないのかい?」

最初キョトンとしていたが、その後少し顎に手を当ててから

「気になりませんね。恐らく私はその手の感情は感じられないように作られているのかもしれません。お気遣いありがとうございます」

「そう、ならいいんだ」

そう言って私は布団の中に横になった。

「なぁアンタ」

「はい?」

「手を握っててくれないか?」

「私でよろしければ」

ソイツは私と同じ顔だが、中身は全く違う。天使なのか悪魔なのか神なのかもわからない。けれどソイツに手を握られると不思議と安心感が湧いた。

「おやすみ」

「はいおやすみなさい」


そうして私は意識を手放した。

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