欲望とかそういうの
「――えっちしてください」
大事な話がある、と人気のない学内のベンチに僕を連れ出した婚約者殿こと
「は?」
「えっち、してくださいっ!」
そうして思わず呻いた僕に、やや潤んだ目で恨めしげな視線を向けたあと音量を上げて同じ言葉をもう一度繰り返した。心底勘弁してほしい。
「違う、今のは聞き返したんじゃないんだ」
「
「僕の中で一般的な女性と天道は違うカテゴリに分類されてるし、あと勝手に言っておいて僕が言わせたは無くない?」
あとえっちって言い方がちょっとかわいいなとは思った。
確かセックスってズバズバ言ってたのに。
「そう言うのは今いいから!」
えらく余裕がないなあ、と酷いセクハラの衝撃からなんとか立ち直りつつ頭を働かせる。いやこれ本当男女逆だったら捕まるだろ、世は不公平だな?
「えーと、それは婚約は破棄していいから誰かとセックスさせてくれって話?」
「違うわよ! 流れでどう考えても志野くんとって分かるでしょ!?」
「え、無理」
「無理って言うなぁ!」
だんだんだんとスタンピングする天道、兎かな?
「あのね志野くん、ヤダならまだ凹むだけで済むけど、無理って言われると立ち直るのに気力がいるの! やるせなさで泣きたくなるの!」
「そんなこと言われても」
すごく元気そうに見えるんだけど。
「大体ね、そういう言葉選びしてたらほかの子と付き合っても遠からず破局するんだからね? そういう態度って絶対忘れないから!」
「為になるなあ」
あとその物言いは僕と天道が付き合ってるように聞こえるので止めて欲しい。
「他人事ぉ! なんで!? なんでするのが嫌なの! こんな美人が誘ってるのよ!? 普通喜ぶか、そうでなくてもとりあえずで受ける話でしょ!」
相変わらず顔に自身のある女だな、まぁ言ってることは今回は限りなく正論に近いだろう。美人に誘われれば大抵の男は喜ぶ、ただし一部の童貞は除く。
「そう言う気になれない、からかな……」
「ならいつなるの!? どうしたらなるの!?」
「いや、少し落ち着いてよ天道、なんでそんなに興奮してんのさ」
ちょっと今までになかった彼女の態度になんとか軌道の修正を図ろうと試みる。
元々がとんでもない要望とは言え、こんなに興奮されてたんじゃびびってしまって話もできやしない。
「ちゃんと理由を聞かせてくれたら僕だってもうちょっと考えるよ」
「うう……」
まあもし億が一よろしくない非合法なナニの禁断症状とか言われたら即ご実家に連絡して引き取ってもらって以降は他人の顔をするしかないけど。
「その……近いから……、ね?」
なにやら怒りとは違う感じで顔を赤くした天道がなにやらもごもごと呟く。
「え、なんだって?」
フリではなく普通に聞き返すと、きっと睨まれた。なんでだ。
「……せ、生理が近いから、そういう気分なの! それで、こんなに長いことしないの、久しぶりだから自分でもちょっと困ってるの! 悪い!?」
「ああ、えっと……つまり発情期?」
「もうちょっと言い方あるでしょ!?」
いや無いよ多分。
生理でホルモンバランス崩れて云々とか大変なのはぼんやりと知ってるけど天道のこれもそういうあれに入るんだろうか……。
わからん、女子のことはさっぱりわからない。
「ね、もういいでしょ? 正直に話したんだから、その……相手してよ……」
真っ赤な顔で小さく呟いた天道に、そうだな、と口の中でつぶやき――
「とりあえず、ちょっとその辺走ってきたら?」
僕は笑顔でそう提案してみた。
§
「……志野くん……キミ、絶対……モテないわよ……」
「ひどいな、なんてこと言うんだ」
グラウンドを走る天道の姿はそれはもう大層注目を集めた。
講義の空き時間中に遊んだりしてる面々や、体育会系の部員が走りこんだりはしているけれども、学内でもうわさの天道つかさがスポーツウェア(ジムに行く予定だったらしい)でジョギングだかランニングだか一人でしてれば目立ちもする。
ついでに言うと天道は綺麗なフォームで、しかも結構足が速かった。
「ひどいのは、志野くんだから……もうやだ……」
「でも気は紛れたんじゃないの? はい」
「お礼は言いたくないけどありがと……」
今にも倒れ込みそうな天道にタオルと飲み物(どっちも彼女のだ)を差し出すと、実に不満そうな顔と複雑な声音の礼がかえってきた。
「僕なりに最善手のつもりだったんだけどなあ」
「絶対、もっといい手があるから……志野くん、せめてこの努力は評価してよね。じゃなきゃ我慢のし損じゃない」
「性欲のコントロールなんて本来できてて当然だと思うけど、うん」
「余計な前置きつけずに、いれないの?」
よっぽど疲れたのか、天道の言葉は少々刺々しかった。
ここは茶化しちゃいけない場面だな。
「ごめん、でも他の手段が思いつかなかったのは本当だから」
「……なんで? そこまでしたくない?」
「や、だって婚約断る気なのは変わってないし」
責任とる気はないけどヤラしてくれるんならヤるわ、では天道のうわさ以下に酷いことになってしまう。
あと確実に情が移ってしまう自信があった。
初めての相手とか初恋の人(笑顔が素敵だった保育士の優美先生)並みに忘れられないだろ、童貞的に考えて。
「なんでそう、局所的に凄くまじめなの……」
「全般的にまじめなつもりなんだけどな」
うう~、と唸る彼女は納得はしてなさそうだけど怒りは多少おさまったらしい。
「というか天道の誘い方からもうちょっと軽い話かと思ったんだよ。あれでそんなに怒るほど深刻には思えないって」
「なんでよ、いくらなんでも軽い気持ちじゃあんなこと言わないわよ、まして、志野くん相手に」
「や、だって誘い方下手すぎでは? 最初悪い冗談かと思った」
直球にもほどがあるというか、あれ本当男が言ったら捕まって終わりだからな。
いや、最近の流れならワンチャンあるか? でも仮に天道が捕まったとして僕得しないしな……
「だって初めから体目当ての軽い相手に、勝ち筋しかない勝負しかしてこなかった私がそんな上手な恋の駆け引きなんて出来ると思う!?」
「ええ……」
色々考えてたらひどいぶっちゃけがきた。
あとあれは恋の駆け引きとかそういう次元とは別の何かだったと思う。
「時々見せてた恋愛強者っぽい余裕はなんだったんだよ……」
「いいじゃない、ちょっとした見栄くらい張らせてよ」
「出来ればそのまま張り通して貰いたかったな……」
嘘か本当か、僕の中で天道のぽんこつ度がどんどん上がっていってしまう、悪女よりは好感が持てる気がするのがよろしくないところだ。
「志野くんがそうさせてくれないんだけど……あー、でも汗かいちゃった……」
「結構がっつり走ったもんなあ」
パタパタとウェアの胸元を引っ張って風を送り込みはじめた天道から視線をそらすと、まもなくクソデカため息が聞こえた。
「二号館のシャワー室って借りられるらしいよ」
「あらそう――一緒に入る?」
「ハハッ」
「この――――!」
いつものごとく冗談に笑ってこたえるとタオルが脚に投げつけられた。それが地面に落ちる前に何とか拾い上げる。
「っとと」
天道はむくれた顔をしてるけどもセックスを断った相手がなんで受けると思うのか、言ってみただけなのか。
タオルの匂い嗅いでやろうかな、と思いつつ差し出すと彼女はひったくるようにそれを受け取った。うーん、狂暴。
「志野くんのせいで汗かいちゃったからシャワー浴びてくるわね」
「ごゆっくり」
あてつけのつもりか意味深に聞こえそうなことを言ったけど、グラウンドで走った後じゃ誤解の余地もないよな。
それでもじわり集まった好奇の視線に僕もそそくさとその場を立ち去った。
§
「――え、待っててくれたの?」
シャワーも併設されたトレーニングセンターが入ってる二号館からスマホ片手に出てきた天道がそう言ったのと、暇つぶしにやっていたゲームの画面に「今どこ?」と彼女からのメッセージが浮かんだのにはわずかな時間差もなかった。
「うん。元々このコマ空いてたし、今は特に眠くもなかったし」
まぁ女子がシャワーにかける時間舐めてたせいでちょっとかなり暇を持て余すことになったけども。
「ふぅん、そうなんだ」
と中々アンニュイな声で言った天道は幾分さっぱりした様子だった。
明るい色合いの長い髪、これを乾かすだけでもまぁ一苦労だよなあ。
そう言えばちょっと前まではもう少し化粧は派手だった気がするけども、そのあたりはどうなんだろう。あ、なんかいいにおいする。
「なあに?」
「や、すっきりしたのかなって」
「ええ、多少は。シャワーついでに一人でしてきたし」
「ぶほッ」
はしたない! はしたないぞ天道!
「ごほっ、ごほっ」
思わずむせた僕をみて天道はちょっと意地の悪い笑みを浮かべた。
「へえ、志野くんでも恥ずかしがったりするのね」
「――そりゃするよ、僕をなんだと思ってるんだ」
「最近は血も涙もない婚約破棄マシーンなのかなって思うときはあるわね」
「製作者の正気を疑いたくなるような用途の狭さだな、僕……」
「ちなみに、何を想像して照れたの?」
「アーアーキコエナイキコエナイ!」
やめろ、その攻撃は僕に効く、やめてくれ。
いざ婚約者となって交流がはじまってからというもの、なんか「とんでもない性道徳のとんでもない美人」だった天道つかさは、ちょっと考えなしで、とんでもない美人で、やっぱりどこか相容れない価値観の持ち主で、その割にそばにいても苦ではない、女友達だったら手放しで知り合えたことに万歳したくなるような等身大の女の子になっていた。
「志野くんってやっぱりうぶなのね」
そういう相手の性的なところに深く突っ込むと、どうしたって始末が悪いことになる。とくに婚約者という将来を約束されたポジションが良くない。
だから至急しなを作るの止めろください。
「勝ったと思うなよ……」
含み笑いで上機嫌の天道にそう言うと、顔の良い悪魔は目尻に浮かんだ涙を拭って、ねえ、と切り出した。
「――志野くんってなんで私に付き合ってくれるの?」
「付き合ってないよ、誤解だよ。ただの世を忍ぶ仮の婚約者だよ」
「そっちの意味じゃなくて、分かるでしょ」
ようはシャワー上がりを待っていたり、食事を一緒にしたり、とそっちの話らしい。ふむ。
「んー、だって遺憾ながら今は婚約者なわけだし、その為に天道も取りまきと距離置いたみたいだし、僕が話を受けないのはまぁ天道自身の選択で未来の婚約者をないがしろにした結果だから申し訳ないとは思わないけど、それでも今誰からも相手にされない状況になるのは違うかなあって……どしたの」
良かれと思って正直に、正確に胸の内を伝えるとついさっきまでにやにやと笑み崩れていた彼女は胸元を抑えて丸くなっていた。
「……ちょっと、自分でも自業自得だって分かってるつもりなんだけど、言葉のナイフが鋭すぎてつらいの」
「そっか。あ、あと天道友達いなさそうってのもあるけど」
「いるわよ! そりゃあ多いとは言えないけど! 同類にみられると申し訳ないから、学内じゃあんまりあわないだけ! というか少しは思いやってよ! 私辛そうにしてたでしょ!?」
「ああ、なるほど。大変だね」
「言葉が! 軽い! うう~……」
男遊びしなきゃよかっただけでは? と畳みかけるのはやめておいた。
「ううう……ううぅ……」
しばらく苦しむそぶりを見せながらチラチラこっちをうかがっていた天道は、結局それ以上の反応が引き出せないと諦めて姿勢を正した。
「はぁ……ねえ志野くん、さっきの『ないがしろにした』ってところだけど。その、やっぱり怒ってたりするの?」
「や、怒ってはないよ、別に天道は相手が僕だと知ってたわけじゃないし、僕も婚約者候補がいたなんて知らなかったんだから、怒る筋じゃないよ」
「婚約者が志野くんだって知ってたらそもそもあんなことしないわよ」
また意味深な発言を。
だまされんぞ。
それは単に同年代の人間だったら婚約者との恋愛を試みたっていう話だよな!
「ただまぁ、実際に起きたことの説明としては婚約者をないがしろにしたって言うのが正しいかな、って」
まぁそもそもで言えば本人の意思によらない婚約っていうのが間違った話だとは思うんだけど。そう考えると天道の過失って存在するのか?
僕が悩んでいると「そう」と小さく呟いた彼女は、せっかくシャワーを浴びてすっきりしたというのにちょっと凹んでしまっていた。
これはちょっと申し訳ない。
「――まぁでもさ、これで婚約はナシになるし、それに破談までの間を僕と真っ当に付き合ったように周囲が錯覚したら、天道を見る目も変わるかもよ?」
思い付きを口にした割には、我ながら筋の通った話だった。
婚約を機にそれなりの期間大人しくしていたら、天道曰く性に奔放との評価が変わってもおかしくない。
さらに僕との破局理由が過去の男性遍歴となれば、外から見た改心のきっかけとしては完璧だろう。
つまり天道の置かれた状況は、遠からず好転するのでは――というのは楽天的すぎる見方だろうか。
「――その、婚約を破棄する前提が変わらないのと、錯覚って言葉選びはどうにかならない?」
いずれにせよ、婚約者殿におかれましててはお気に召さなかった様子。
むー、と低く唸りながらのジト目には本気と演技が絶妙な割合で同居していた。
「ならないね」
とは言え僕もこれ以上譲歩したら寄り切られそうなので譲れない。
肩をすくめて肯定すると、天道の目が座った。
「……ねえ志野くんやっぱりこのまま結婚して? いいでしょちょっとくらい」
「結婚にちょっともなにも無くない?? オールオアナッシングだよ普通」
「それならなおのこと何も手にしないより総取りしたほうが良くないかしら」
「負債が多いなら相続放棄した方がいいこともあるし……」
「今まで彼女も恋人もいたためしないのに、本当に負債になるの? そもそもお父様に泣きついたせいで、結果私と婚約することになったのに贅沢ばっかり」
「なッ、泣きついてはない! 僕はただちょっと美人でお金持ちの彼女が欲しいって言っただけだ」
「それも結構どうかと思うけど……でもねよく考えて志野くん、そんな君と結婚してくれるっていう美人で実家がお金持ちで凄く顔とスタイルが良い女の子がここにいるのよ? こんなチャンス逃していいの?」
「なんか押しつけがましいから別に逃がしてもいいかな……」
「志野くんの意地っ張りも相当よね……」
深々と天道がため息をつく。
「じゃあ志野くん、今度の週末、デートしましょ?」
「じゃあで話が繋がらないんだけど、なんでそうなるのさ」
「友達がいなさそうで、誰からも相手されなさそうな私を週末放っておくのって、ちょっと婚約者をないがしろにしてない?」
「む……」
何事か言い返そうにも、それは巧妙に言質を取った一手だった。
ついでに言うと最初に結婚を持ち出して、次にデートがくるあたりもなんともいやらしい。大きく出して譲歩する、ドアインザなんとかいう交渉の基本技術だ。
「――駆け引きできないんじゃなかったのか、天道」
「あら、確か私は『出来ると思う?』って聞いたはずだけど――志野くんはそう受けとったのね」
そういって浮かべた不敵な笑みは、実に彼女にハマっていた。
ツリ気味の目に宿った強い光は、あるいは今日の流れがすべて彼女の術中だったのかもしれないと思わせた。
まぁ仮にそうだったとしても、見抜けなかったほうが悪いとも思える。
今日のところは僕の完敗だった。
「――まぁ、暗くなる前に帰れるならいいよ」
「門限がある小学生みたいな発言ね……」
かくして僕こと志野
わりと楽しかった(小学生並みの感想)。
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