「美人でお金持ちの彼女が欲しい」と言ったら、ワケあり女子がやってきた件。
小宮地千々
夏の婚約者編
天道つかさという女
次にその名を聞いたときは彼女の家の話が出て「へえ」と感心したように思う。
それから三度目は「は?」と聞き返して絶句した。そのはずだ。
そうしてそれ以降はもう彼女の話が出ても「はあ」とか「ほお」とか、そんな気の無いリアクションで済ませてきた。
つまり天道つかさという女子は誰もが認める美人で、由緒正しいお金持ちの家の生まれで、恋人がいる男とも構わず寝るような尻軽で、そう言った噂が学内の端から端まで広がるくらい脇が甘いか敵が多くて、それだっていうのに別に気にした様子もなく日々を笑って過ごしているとんでもない存在だった。
だからつい最近「彼女に婚約者が出来たらしい」と聞いたときには「そりゃあまた気の毒な人がいたことだなあ」なんて同情を覚えたものだ。
なにせ天道つかさは学内では明らかに男にも女にも避けられていて、友人なんていないように見えたし、実際彼女の周りにはヤリ目かカネ目当てのとりまきばかりで、にもかかわらず当人はそれで面白おかしく過ごしているように思えた。
これではいかに見た目が良くて実家が太かろうと結婚までしたい男は中々いないだろう、と思うのは自然なことで。
であれば婚約者はまったく事情を知らないか、騙されているか、何かやむに已まれぬ事情があるのだろう、可哀想に、と考えたわけだ。
「おねがい! おばあさまには私のうわさのこと黙ってて!」
しかし、天道つかさの婚約者とは他ならぬ僕だった。
なぜか、僕だった。
妙に綺麗な姿勢で頭を下げた彼女を見ながら「どうしてこうなった」という言葉が頭の中を渦巻いていた。
§
恐ろしいことに身内には真っ当なお嬢様を通していたらしい婚約者殿は、面通しの後日学内で僕を捕まえると自分の悪評を黙っていてほしいと頼んできた。
「無理」
「ちょっとぉ!?」
それを一言で切って捨てると、天道はその綺麗に整えた細い眉を吊り上げた。
ややツリ気味の目は見るだに明るい茶色で、繊細な作りの顔立ちは化粧もあってか大人びて見える。
緩く巻いた髪は赤みがかった茶色で、ド派手すぎるその恋愛遍歴に似合わずファッションは普段からコンサバ系? とかそんなちょっと大人で上品な感じのなんかソレっぽいあれだ。
正直、外見だけだったらかなり好みではある。
天道でなければちょっと踏んでみてほしい。
「いや本当に無理、ちゃんと全部説明して断らせてもらおうと思う」
「やめてよ、私の何が不満なの!」
「性道徳かな……」
「私はね、見ての通り顔が良いの!」
「人の話を聞かないところもだなあ」
「家もお金持ちなの! スタイルもいいし、なによりすごく顔が良いの!」
「はぁ……」
否定はしないしできないけど、どれだけ顔の良さを推すんだ。
確かに必死になってお願いされてると自分がとてつもなくエラくなった錯覚を覚えて気分が良くなるくらいには美人だけど。
「そんな私と婚約なんて、普通は喜ぶところでしょ!?」
「や、だってさすがに三日で五人と寝るようなのと婚約は嫌だよ」
「失礼ね! 最高でも二日で三人くらいよ!」
「うへえ」
本当にそんな人種存在するんだな、ていうかそれを口に出せる感性がまずもう相容れない。
「それにみんな私のこと床上手だってホメるのよ! 男の子喜ばせるのも好きな方だし! こう見えてベッドの上では尽くすタイプなの!」
「そういうところだぞ天道」
婚約者候補にそれを聞かせる意味をちょっとでも考えてもらえないだろうか。
「なんでよ、パートナーがセックス上手なほうが嬉しいでしょ。
「時と場合によると思う」
これが高校生のカップルとかだと一生モノのトラウマを負いかねないぞ。
というかもし僕が何も知らないまま天道と婚約して、初めての時にそのテクとバックボーンを知ったらショックで不能になってもおかしくないと思う。
「というか僕の名前、知ってるんだな」
「なんで婚約者の名前を知らないと思うの……? この前顔合わせたときに挨拶もしたし、そもそも講義被ってるし話も少しはしたことあるでしょ……?」
言ってることはもっともなんだけど天道に何言ってるの? みたいな顔をされると腹立つのはなんでだろうな……。
「まあそうだけど、とりあえず名前で呼ぶのは止めて欲しい」
「どうして?」
「好きじゃないんだ、女みたいだって馬鹿にさんざんからかわれた」
「それはからかう方が悪いでしょ、そもそも伊織って東百官にある由緒は正しくないけど伝統的な男性名じゃない。宮本伊織とか榊原伊織とか」
漢字、あってるわよね? と問う天道に頷く。
「良く知ってるな……でもまぁ呼ぶなら名字で頼む」
「
まあいいけど、と呟いて彼女は表情を真剣なものに改めた。
「とにかくちゃんと話し合いましょ? 私の言い分も少しは聞いて、あと結局のところ志野くんは何が不満なの?」
「天道の男性遍歴」
「そこをあげられたらどうしようもないじゃない!」
「逆ギレかよ……」
「正当よ、少しは私の事情も汲んで」
「そりゃまぁ世の犯人にだっていろいろあったんだろうとは思うけどさ」
「犯罪者扱いも止めて、そんな悪いことはしてないから」
「大丈夫? 教授と不倫とかしてない?」
「不倫で捕まった人いないでしょ。あとそもそもしてないし」
「男子中学生にイタズラとか」
「してないっ! さっきから私を何だと思ってるわけ!?」
「誰とでも寝る女」
「ちーがーう! 理由があるの!」
バンバンバン、と机をたたいて天道は抗議する。
うーん、ヒステリックな挙動なのにサマになるんだから美人は得だな、ルッキズムの化身(?)め。
「だってね私の家ってお金持ちだけどすっっっごく古風なのよ? こちらの希望なんて一切お構いなしで、おばあさまの選んだ相手と結婚させられるのが生まれた時から決まってたんだから、そんなの年上の脂ぎった中年か野心家の鬼畜眼鏡に嫁がされるって思うでしょ?」
「わざわざそんな相手選ぶ?」
「そしたら私みたいな気が強くてプライドの高そうな女なんて、性的に屈服させようと恥辱の限りを味合わされるに決まってるじゃない?」
「男子高校生の妄想みたいなこと言い始めたな……」
「だったら自由の身のあいだにちやほやしてくれる男の子たち相手にヌルくて軽い恋愛ごっこでもしていい気分になっておきたいでしょ!」
「だいぶ共感できない」
「それにセックスって気持ちいいの! 最中はいやなこと忘れられるの! そりゃまぁ、そのあとちょっと虚しい気持ちになるのも確かだけど……」
「天道って、正直者ではあるんだな……」
「黙っててくれる気になった?」
「ならない」
「ああもう……! あとね、ちゃんと私だってそれなりに相手は選んでたのよ?」
「彼女持ちも食ってて、そのうち刺されるってうわさだけど」
「失礼ね、ちゃんと私の体目当てしか選んでないし、恋人持ちを私から誘ったことはないわ。確かに私はすごい美人だけど、そんな男遅かれ早かれ浮気するわよ」
「一理はある、のか……?」
「逆に私に本気になりそうな子とか、女の子と付き合ったことない童貞クンとかはちゃんと断ってるし。拗らせたら可哀想でしょ?」
「悪女なんだかなんなんだかよくわからなくなってきたぞ……ちなみに、付き合いの長くて仲の良い童貞とかいない?」
「え? そうね、それなりに話す中学からの同級生が一人いるけど……なに、妬いた? 彼とはそういうのじゃないわよ?」
「いや全然」
なんなの、とか天道はちょっとむくれているが、そうか自分とだけは絶対に寝てくれない奔放な美人の女友達か……これは多分脳を破壊されてるな。
僕は名も知らぬ一人の童貞のために心でそっと哀悼をささげておいた。
でもこれ話が進んだら僕が悪役サイドになるな? まぁしないけども。
「まぁそっちの事情は分かったよ。そうだな、感想としては……短慮じゃない?」
「ロジハラはやめて」
「今まさによくわからないハラスメントを受けている僕にむかってよく言った」
「婚約者に対してちょっとしたお願いすることがなんでハラスメントになるの」
「婚約破棄したいのを執拗にとめてくるから、かな」
「だっておばあさまはすごく怖いのよ!? もし孫の男遊びが原因で自分が決めた婚約が即破談なんてことになったら……」
「なったら?」
天道の顔色の悪さを見るに、これは本当にまずいらしい。
確かにあまりにむごい目にあうのであれば、話を断るにしても理由に関しては多少融通を聞かせてやってもいいのかもしれない。
「死……?」
「なんでだよ」
それは盛り過ぎだろ、怖いとかそういうの通り越してんじゃん。
「それくらい怖いの! たとえば私が海外に行ったって聞いて、そのまま帰ってこなかったら志野くん視点では死んでてもおかしくないでしょ!」
「ええ……?」
信憑性はともかく天道自身はガチのマジでそんな目にあわされかねないと信じているらしい。あとその場合僕は「あ、向こうで男見つけたんだな」って思うよ。
「ダメ元で天道から言って止められないの? その為に多少僕のこと悪く言うくらいなら構わないけど」
「おばあさまには言っても無駄よ、それ以前に私はこの話乗り気だし」
「は? なんで?」
「だって志野くんとなら今から講義後にデートとか休日はおうちデートとか夏休みに二人でプチ旅行とか普通の学生っぽい恋愛できるじゃない? 妻というお飾りの地位の裏で性奴隷みたいな立場じゃなくて」
なんか可愛いこと言い出したぞ?
いや後半は被害妄想入ってると思うけど。
「別にそんなの、今までだってできただろ?」
「引き裂かれるのが分かっていて付き合うなんて無責任な真似出来るわけないでしょ。本気になられたってお互い辛いだけだし、どうせごっこ遊びになるなら、軽い相手と体の関係だけで済ませてたの」
ぐ、と言葉に詰まって僕は少し後悔した。
やっぱり短慮だとは思うしその道徳観はどうなんだと思えども、なるほど確かに天道には天道なりの事情があったのだと呑み込めてしまったから。
「ねえ志野くん、この婚約すこし真剣に考えてみてくれない?」
そうしてここぞとばかりに天道はテーブルの上に置いていた僕の掌にその、白くて細くて華奢であとなんかすべすべな手を重ねると、上目遣いで熱っぽい視線を送ってくる。
「だまされんぞ」
「?」
動揺を口に出したところで、帰ってきたのは不思議そうな顔だった。
あと小首をかしげる様子がちょっとかわいかった。
「いや、でも結婚を前提の相手が、経験人数三桁はやっぱり荷が重い」
血迷いそうになる自分を叱咤して、なんとか退路を探す。
この先は地獄だぞ、よくわからないけど本能がそう訴えている。
次に何を言われるのかと身構えていると、天道はバッグからスマホを取り出し、なにやらすっすっと盛んにスワイプしながら小声でつぶやく。
「――……、――……、――」
まて、この女いま途中でちっちゃく「はちじゅうきゅう」って言った。
「――うん、大丈夫。さすがに三桁とはしてないから、安心して?」
「いやいま確実に八十九って言ったよな」
「じゅうはち、じゅうきゅう、の聞き間違いじゃない?」
「数えてる最中は『じゅうく』のほうが自然じゃないか?」
「探偵みたいね志野くん、でも考え過ぎよ」
そもそも二十人ならばセーフとでもいう気なのか。
とてもじゃないけど「ならいいか」ってなる数字じゃないぞ。
「いや、やっぱ無理。引くわ」
「なんでよ! あのね、言っておくけど処女なんてそんなにいいもんじゃないんだからね!? 昔そうだったから言うけど、確実に今の私の方がいい女だから!」
「そりゃ女性なら処女だったころはあるだろ……」
あと世の非処女の人たちも経験人数九十オーバーとはひとくくりにしてくれるなと抗議すると思う。
「あと人数は多いけど一晩限りの相手がほとんどだから回数事態はそうでもないし! 例えばセックス百回くらいだったら、経験人数一人でも二年も付き合ってれば確実に越えるでしょ!?」
「せやろか」
童貞が知るかそんなもん。というか本当に百回で済むの?
「なんで関西弁?」
先ほどまでのちょっと色っぽい仕草はどこへやらテンパった様子で天道は続ける。
「それに、それにね、その志野くんがなんていうかね、見た目的なことを気にしてるなら、私美中古だから! その、色とか形とかは綺麗な方よ!」
「生々しいのは止めてくれ」
僕は何を聞かされてるんだ……。
「変なクセもついてないし、なんなら今からトイレとか行って確かめる?」
「重ねて頼むから止めてくれお願いします」
これがお金持ちの美人のお嬢様のすることかよお!
下か、下の話なのか。
ずいと身を乗り出した天道の、モデルみたいな体型の中でちょっとおっきめの胸に行ってた視線が、テーブルの天板越しに腰あたりにいきそうになったのを額を小突いてなんとか踏みとどまる。
「――そうね、これはちょっとどうかと思うわ、ごめんなさい」
童貞をドンびかせたのにギリギリ気付いてくれたか、天道は身を戻してコホンと咳払いをした。
「というか、冷静に考えればまずどうして婚約することになったのか、志野くんはそこのところ知ってる?」
「ええと、たしか昔僕のじいさんがなんかの時に天道のおばあさんを助けたらしいんだ。で、なんでもお礼をしますって言われたのに結婚して下さいって頼んだけど、天道のおばあさんはもう相手が決まってたから、代わりに将来望めば子供同士を、って話になって、でも父さんは母さんと結婚したからじゃあまた次代って繰り越しになったとか……」
思い返せば娘も孫もその意志ガン無視で人生決める気ってすごいな天道のおばあさん。神なのかな? あと性別があわなかったときはどうする気だったんだ。
「ええ、ええ、そのあたりの因果はよっく言い含められて私も知ってる。でも、話が進んだってことは志野くんが婚約を望んだんじゃないの?」
「あー、多分この間父さんにそろそろ彼女作らないのかって聞かれたときに『欲しいけど出来ない』って答えて、そのあと好みのタイプで『美人のお金持ち』って言ったせいかな……」
「なんでそれで美人のお金持ちと婚約することになって文句をいうのよ!」
「男漁りが大好きなって望んでない属性が付加されてたし……」
「それは理由があるってさっき説明したでしょ!?」
「されたけど納得できなかったんだよ僕は」
再びヒートアップした天道に、周囲から好奇の視線が集まる。
注目されない人生を送ってきた身としてはちょっと歪んだ優越感を覚えるな。
まあ実態はひどい話しかしてないわけだけど。
「もう、いいから黙って私と婚約して結婚して一緒の墓に入って! それが嫌ならせめて猶予を置いたあとでそれなりの理由をこじつけてから断って!」
実際のところ、それが手段としては丸いだろうか。
「うーん、まぁそれくらいなら……天道も被害者的な側面があるみたいだし」
「一緒の墓に入ってくれるの!?」
「違うよ、流れ的に後者ってわかるだろ。国語力どうなってんだよ」
あとその言い回し古風じゃない?
「チッ」
おう、舌打ちしたぞこのお嬢様。
お返しにクソデカため息をついてやると天道は露骨に顔をしかめたあと、私を前にため息つくなんて、みたいにモゴモゴ言っていた。
「こういうのって早いうちに済ませた方が傷は浅くて済むもんだと思うけどなあ」
「私は早いうちに致命傷になるの、それに猶予期間のうちに志野くんも婚約してよかったって思うかもしれないわよ?」
「ハハッ」
「鼻で笑ったわね……!?」
天道の冗談はさておき、どうやらしばらくは婚約者候補見習い補佐くらいの気持ちで付き合っていかなくてはならないらしい。
絶対に予測は不可能だったとはいえ、僕と父の雑談が一つのきっかけではあるようだし、さんざん泣きつかれたあとでむげに断って、本当に天道が行方知らずになったら寝覚めが悪い。
まぁ、長くても半年くらいかければいいだろうし、僕に何かの義務が発生するわけでもないだろうしな。
「じゃあ短い間だけどよろしく、天道」
「ここまで男の子に雑に扱われたのは初めてよ……」
釈然としない顔をしている天道にひとまず握手を求めると、彼女はその白い手をなんでか恋人つなぎの形に絡めてきた。
「……何してんの?」
じっと手を見つめる物静かな天道の顔はやっぱり顔面偏差値激高で、華奢な手で緩く何度か掌を握られるとじわじわと手汗がにじみ出てくるのを感じる。
「手を合わせると相性が分かるって言うのよね……」
それはつまり天道は思わず汗をかくくらいやばい相手ってことでは?
そうしてしばしの沈黙の後、天道つかさは妖艶にほほ笑んだ。
「――ねえ志野くん、ちょっと今からホテルいかない?」
僕は無言でスマホの天道家のアドレスを呼び出し、天道は半泣きで謝罪した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。