第42話 初デートの思い出に

 綾乃達とナンパ男達の顛末は周囲の客達の注目を集めていた。さすがに周囲の視線が痛かった零斗は何も言わない綾乃を落ち着ける場所へと連れて行く。

 完全に意気消沈している綾乃に零斗は近くの自販機で買ってきた飲み物を渡す。


「大丈夫か?」

「あ、うん。もう大丈夫。さっきはちょっと動揺しちゃったけど」


 そう言って力なく笑う綾乃のことを零斗は撫でて慰める。

 

「あのなぁ綾乃、そんなに強がる必要ないんだぞ」

「あ……」

「別にお前が弱ってる時くらい俺のこと頼ってくれ」

「別に普段零斗のことを頼ってないってわけじゃないんだけどね。それに、大丈夫だって言うのも嘘じゃない。ただ……ちょっとショックだったんだ」

「ショック?」

「あいつらに腕を掴まれた時に、怖くて声が出なくなった。助けてって、そう言えれば良かったのに言えなかった。腕を振り払って逃げ出すこともできなかった。あの人達の目を見て、声を聞いて、前のことを思い出しちゃったの」

 

 綾乃の言う前のこととは、中学生の時のことだ。男だった綾乃が女になり、同級生の男子達が綾乃に向ける目は変わった。綾乃の容姿が他の人と比べて群を抜いて良かったこともあるだろう。

 男だった時には感じなかった、性を含む感情を孕む目に怖気を覚えたのだ。

 それでも高校生になってそんな目にも慣れたと思っていた。でもそれは綾乃の思い込みだった。久しぶりに間近で見たその瞳は綾乃の体を縛るには十分だった。

 それが情けなくて、結局何も変っていない自分に綾乃はショックを受けていたのだ。


「お姉ちゃんとか更紗とかならもっとちゃんとできるんだろうけど、情けないね」

「別に情けなくなんかないだろ」

「え?」

「あのなぁ、あんな風に男三人に囲まれたら俺だって怖いぞ。というか怖くないわけがないだろ。朱音さんとか藤原さんにできることをお前ができなきゃいけないわけでもない。それに、お前には俺がいるだろ。何があったって、今回みたいに助けてやるさ」

「……なんかカッコつけててムカつく」

「ムカつくってなんだよ! というかこんな時くらいいいだろうが。確かに似合ってないのは自覚してるけど」

「ふふっ、冗談だよ。ありがと零斗」


 零斗の言葉に綾乃は自分の心がふっと軽くなるのを感じていた。

 単純過ぎると自分でも思う。それでも零斗の優しさがわかったから。零斗が本気で言ってくれてるのがわかったから。それが綾乃には嬉しかった。


「……よしっ、落ち込むのはもう終わり! いつまでも気にしててもしょうがないもんね」

「もう大丈夫なのか?」

「うん、本当にもう大丈夫だと。零斗のおかげでね」


 空元気なのではないかと心配する零斗に綾乃はそんなことはないと言う。実際、今の綾乃の心は零斗がくれた温かさで満ちていた。だからこそいつまでも落ち込んでいられないと切り替えることができたのだ。


「あ、そういえば零斗は用事終わったの? 何か買いに行かないといけないって言ってたけど」

「あぁそれなら大丈夫だぞ。問題無く買えた。ちょっと遠かったから時間かかったけどな。でもそのせいであんなこと起きたかと思うと……なんかなぁ」

「今度は零斗が落ち込んでどうするの。だからそれはもう大丈夫だってば。それで、何買ってきたの?」

「それは……あー……まぁいいか。どうせこのタイミングでしか渡せそうにないしな」

「? どうしたの?」


 ぶつぶつと独り言を呟き、己を鼓舞するように頬を叩いた零斗は懐にしまっていた袋を取り出した。


「ずいぶん小さい袋だけど、それを買いに行ってたの?」

「あぁ。受け取ってくれるか?」

「……へ?」

「これを買いに行きたくてちょっと遠くの店まで行ってたんだ」

「えっと、つまりこれは……」


 綾乃に向かって差し出された袋。その意味を考え、正しく理解した瞬間に綾乃はその顔を一気に赤くした。


「ま、まさかププ、プレ、プレゼント……的な……?」

「まぁそういうことになるな」


 努めて冷静を装う零斗だが、その耳は綾乃と同様に赤く染まっていた。そもそも異性に、恋人にプレゼントを贈るなど初めてのことで緊張しきっていた。

 一方の綾乃も、こんな風にプレゼントを貰うのは初めてのことで心臓は高鳴り、小袋を持つ手は震えそうになっていた。


「えっと……開けてもいいの?」

「別にいいぞ。気に入ってくれるとは思うんだけどな」


 焦りそうになる気持ちを抑えながら綾乃は小袋に入ったものを取り出す。


「あ、これ! あの時の!」


 小袋から出てきたのは、桜の髪飾りだった。

 それを見た綾乃は思わず目を見開く。なぜならその髪飾りは一番最初に入った店で気に入った髪飾りだったから。だが値段が思った以上に高かったので買うのを諦めたのだ。


「ずいぶん名残惜しそうにしてたからな。まぁ初デートの記念にってことで。一つくらい形が残る物があったっていいだろうと思ったんだ」

「いいの?」

「そりゃお前のために買ってきたんだからな。受け取ってくれないと困る」

「~~~~~っっ、こういうのずるい」

「ずるいってなんだよ」

「だってこんなの嬉しくないわけがないし。でも高かったでしょ?」

「値段のことは気にするなって。プレゼントなんだから」

「あ、そっか。ごめん……じゃないね、ありがとう零斗」

 

 綾乃は手にした髪飾りをギュッと握りしめる。それだけで零斗の温もりが感じられるような気がしたから。


「ずっと大切にする。私の宝物にするね」


 まるで花が咲いたかのような笑顔を浮かべる綾乃。その笑みが何より零斗には嬉しくて。それだけでプレゼントした甲斐があったと思ってしまうほどだった。

 二人の初めての放課後デートはこうして終わったのだった。

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