第2章
第12話 敵の再来
「さ、できた。ティモ、これに着替えておいで」
「ありがとう、姉ちゃん」
ティモは藁布団の影に隠れて、もそもそと麻布の服からシャツと毛織物の服に着替えた。
「着替えたよ、姉ちゃん」
「お、どうじゃ、着心地は」
「すべすべで、しかもあったけえ……」
「そうか。良かった」
ミレナは新しい裁縫箱に針と糸を仕舞った。
ミレナが帰ってから七日ほどが経過していた。ミレナは農作業を手伝う傍ら、せっせと針仕事をして、ティモのための服を作っていた。
「大きさは大丈夫か?」
「ぴったりじゃ」
「そうか。じゃあ次はそれと同じやつと、もう少し大きいやつを作ってやるからな」
「ありがとう。ああ、何だか汚しちまうのがもったいなくて、これで農作業できねえなあ……」
「何を言っとる。姉ちゃんはもうお前が外で寒い思いをしねえように縫ったんじゃ。遠慮なく使え」
「うん……」
「姉ちゃんがもっと稼いだら、農作業なんてしなくてもいいようにしてやるからな」
「……そんなに頑張らなくてもいいよ、姉ちゃん」
「いんやあ、頑張らせてくれ。お前の幸せが姉ちゃんの生き甲斐じゃからなあ」
「……姉ちゃんは……」
その時だった。バーンと家の戸が開いた。
「何じゃあ!?」
ミレナとティモは叫んだ。
「そんなに乱暴に開けるやつがあるか! 壊れちまったらどうするべか!」
「あら、ごめんなさいね」
現れたのは小さな幼女……アルビーナだった。
「あれまあ、アルビーナ様、どうしてこんなところに」
「緊急事態よ」
「緊急事態……?」
「あなた、シェルべ王国の将軍、ルイゾン・ディオールのことは知っているわね?」
「いんやあ、知らんです」
「……」
アルビーナは大きな溜息をついてつかつかと家の中に上がり込み、勝手に丸太の椅子に座った。
「あら! 何て座り心地の悪い椅子かしら」
「すみません、それしかねえもんで」
「……まあ、いいわ。ミレナ、あなた、そろそろ文字の読み書きだけじゃなくて世界情勢についても勉強した方がいいわよ」
「へえ、すみません」
ティモはおろおろと二人を見比べた。
「ティモ、私たちも座るべ。何か大事な話がおありのようじゃ」
「うん……」
ミレナとティモはアルビーナの向かいに座った。
「ルイゾンはかなりの策謀家よ。将軍としてシェルべ軍を率いている」
「将軍ってえと、うちの軍のラースさんみたいなお方ですか?」
「ま、そんな感じ。今までルイゾンはシェルべ王国の西側の地域への遠征を担当してた。それでついこの間、シェルべ王国は大陸の西側諸国を全て自国の領土に組み入れてしまったの。あなたが王宮に来た頃には、ルイゾンは西側の地域の残党狩りをしていたのだけれど……昨日、知らせが届いたわ。ルイゾンがシェルべ王国の首都ジリーに帰ったってね」
「はあ……。それがどうかしたんですか」
アルビーナはうんざりした顔をした。
「あなたって本当に戦争に興味ないのね! ルイゾンが西側の征服を完了したなら、今度は東側……ペーツェルの方に来る可能性が高いっていうことよ!」
「そうなんですか?」
「そうよ!」
「つまり、シェルべ軍は今度はルイゾンってえやつを連れて、またペーツェルに戦争をしかけるってえことですか?」
「そう! ようやく分かってくれたようね」
アルビーナは一息ついた。
「それで、本題よ。ミレナ、あなたはルイゾンに対抗し得る兵士として期待されてるわ」
「はあ、そうですか」
「だからとっとと王宮に帰ってきて次なる戦争に備えなさいってこと!」
「えええ」
ミレナは驚いた。
「まだ私は休暇の途中なんですが」
「休暇は返上よ! 国家を守るために立ち上がるのが兵士ってものでしょう!」
「いんや、私はティモのために戦っとりますんで、休暇の方が大事です」
「そうだったわね!」
アルビーナは憤然として立ち上がった。
「じゃあそんな正直者のあなたに問うわ。ヨアヒム様の前で、王と国のために戦う覚悟があるとのたまい、敵をたくさん倒してご覧に入れますと豪語したのは誰かしら?」
「……私です。でもあれは……」
「あら? あなたって嘘つきだったの? 国のために戦ってくれるっていうあれは嘘? そんな兵士にやる給料は無いわよ」
「嘘じゃねえです」
「よろしい」
アルビーナは開け放した戸を指差した。
「では、今回は特別に休暇を返上して、王宮に戻ってきてくれるわね?」
「えええ、今すぐですか」
「そうよ! 今すぐでもない限り、この私が直々に迎えに来るなんてありえないでしょう。私は忙しいのだから」
「そうですか……」
ミレナはしゅんとした。
「私、まだティモに服を作ってやらにゃあいかんかったのに」
「それは残念だったわね」
「姉ちゃん、裁縫なら俺もちょっとはできるから、気にしねえで」
「……」
ミレナは立ち上がってティモを抱き寄せると、「ごめんなあ」と言った。
「姉ちゃん、また行かなきゃいけなくなったらしい」
「うん」
「すぐにお前を農奴の身分から解放してやるから、ちょっとの間だけ待っててなあ」
「……うん。姉ちゃんも、頑張りすぎずに……せめて王宮では楽しく暮らしてくれ」
「……うん。分かった」
ミレナはティモから離れると、ぱぱっと荷造りを終わらせて、もう一度ティモを抱き寄せてから、家を出た。
「さあ、バーチュまで飛ぶわよ」
「はい、アルビーナ様」
「あからさまにガッカリした声を出してくれるわね。まあいいわ、戦ってくれるなら何でも」
ミレナはアルビーナの手を取った。アルビーナはふわっと空へと上昇し、鳥のようにすいすいと飛び始めた。
帰りとは違って、行きはすぐに終わる。
じきに白い壁の王宮が眼下に見え始めた。
すとんと降り立ったアルビーナは、「じゃ、すぐに訓練に戻ること!」と言い渡して、ひょいっと王宮の奥まで飛んで行ってしまった。
ミレナは自室に戻って、荷物を置いて着替えを済ませると、演習場まで駆けて行った。
ミレナが王宮に戻ってから二日後、ルイゾン・ディオール率いるシェルべ軍が、ジリーを出てシェルべ国内を東に移動し始めたと、報告が入った。
間違いなく彼らはペーツェル王国を侵略するつもりだろう。
ペーツェル王国軍は今度は兵力を小出しにせず、最初から全面戦争の構えで彼らを迎え撃つことにした。
よって、ミレナを含むペーツェル王国軍は、ただちに王宮を出て、西側の駐屯地にいるペーツェル・ロゴフ連合軍との合流を目指すことになった。
八日後、合流を済ませたペーツェル王国軍の兵力は、約五万人。加えて二万人のロゴフ軍の協力を得られる。
今度の戦場は、あの草原から更に森と川を越えた先にある、なだらかな丘になりそうだった。
地形的には、敵の方が高所を取りやすく、こちらが不利だという。
それに加えて、奇妙な情報が流れていた。
敵軍勢力、推定十二万。
「そんな規模の軍なんて、……見たことは遥か昔にあるけど、近年じゃ無かったわ!」
アルビーナは呟いた。
「何でも、西側の人々を徴集して戦争に駆り出しているとか。それに加えて、一般市民の義勇兵が多いと聞きます」
斥候を担っていた早馬の兵士が奏上する。
「あら……。戦力としては強くなさそうだけれど、でも戦争はやっぱり数で決まるものよね。……私も様子を見に行くわ」
「アルビーナ様がご自身がですか?」
「ええ、だってそれが一番速いし的確でしょ? あなたもついてきなさい」
「はっ」
そんな訳で、敵軍勢力の大きさと、ルイゾンの存在という、二つの脅威に晒されたペーツェル軍の士気は、下がりがちであった。
だがミレナは平然としていた。
「敵兵がたくさんいるのかあ。でも私は一人で何十人もやっつけられるからなあ。数はそんなに問題にならんじゃろ」
一方のエーファとヴィットはこれを否定した。
「そ、そうかなあ……」
「何十人では話にならん。敵の方が少なくとも三万人は多いと言っているのだ。この愚か者め」
「そうかあ。私は愚図だからよく分からん。だが、大丈夫だと思うなあ」
「前回うまくいったからといって、調子に乗るなよ、ミレナ!」
「そ、そうだよ、警戒しておくに越したことはないよ……」
「そうかあ。そんじゃ、私も死なないように頑張らにゃあなあ」
ミレナは呑気に言った。
「死んだら、賞与もお給料も、いただけねえようになっちまうからなあ」
「そ、そこなの?」
「勝つように頑張るんだ。勝たねば何ももらえんぞ!」
「そうなのか。そんじゃ、気張るかあ」
やがて一行は、シェルべとの国境線付近の丘陵帯へと到着した。
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