ルーチェ(4-4)

「後は残党処理といった具合で、難なく魔物は追い払えました。そうして、どうにか魔物の大移動を追い返すことができたわけです」


 魔物の大移動があった日の翌日。無事に仲間達と夜通しの祝勝会も終えて一休みをした昼過ぎに、ルーチェは効果屋へと報告に来ていた。


「なるほど。効果の覚醒、とでもいいますか。そのおかげで魔物達を怯えさせることができたんですね」


「そうですね。アーヴェン……わたくしの仲間が言っていたんです。威圧感だとかは操れると」


「なるほど、それは正しいですね。効果も全て本人のものですから。認識さえしていれば、操れるのも不思議はありません。その認識が難しいんですがね」


「わたくしも最初はわかりませんでした。けれど、ふと血がわたくしを導いてくれたような気がして……」


 ルーチェは戦闘中のことを思い出す。


 ドクンッと心臓が跳ねるたびに、ルーチェは効果の力が自分の深いところに結びついていくのを感じていた。


 無我夢中でクロに駆け寄りながらルーチェの心を満たしていたのは、効果と血の力を信頼しているが故のある種の全能感。


 だからこそ、ルーチェは恐れることもなく魔物の群れを飛び越えることができたのだ。


「血、ですか……。貴女の血は特別ですからね。初代女王にも匹敵する、生贄の血の持ち主ですから」


「知っていたんですか?」


「いえ、見えるんですよ。貴女を巡る血の効果が」


 フェクトの瞳がルーチェを見つめていた。


 全てを見透かしてしまいそうな、はたまた全てを吸いこんでしまいそうな漆黒の瞳。けれどルーチェは怖いとは感じなかった。フェクトの表情が、驚くほどに優しかったのだ。


「その血を狙う者達は今もこの街で貴女を探しているでしょう。街を出て行きますか?」


 穏やかな表情でフェクトは問いかける。


 ルーチェの答えはもう決まっていた。


「いえ、街に残ります。わたくしはもう弱い王女ではありません。冒険者のルーですから。襲ってくるなら返り討ちにしてやりますよ」


「ははっ、それは頼もしいですね」


「それに、わたくしは知りたいんです。お父様や弟が王城で何をしているのか」


 魔物の大移動が起きてさえ王国軍は動かなかった。


 ルーチェを捕まえていた謎の人物が言うには王国は戦争をしようとしているらしい。けれどそれならば自国が滅ぶ恐れのある魔物の大移動に対処しないのは妙だった。


 間違いなく、王城で異常が起きている。それだけわかれば、王族として対応するのに十分な理由だ。


「最近の街の様子は私から見ても少し妙ですからね。奴隷売買の発生や魔物の大移動。そして生贄として囚われる王女様。何か良くないことが国を侵そうとしているのは確かでしょう」


「えぇ、ですからこの街に残って調べるのです」


「そうですね……。それならば、チアーレ商会のお抱え冒険者になってみるのはどうでしょうか? あれほど大きな商会ならば得られる情報も多いはずですよ」


「チアーレ商会ですか……」


 フェクトの言葉にルーチェは商会のことを思い出した。


 慈善事業にも積極的で、代々善人の会長が経営する国で有数の大商会。その名は王城にも届いており、宰相のジェーニオなどはチアーレ商会と仲が良いというのも有名な話だった。


 それほどの商会ならば得ている情報も多いだろう。何よりチアーレ商会が奴隷商潰しを率先して行ったということがルーチェにとっては好印象だった。


「いいかもしれませんね。一派を紹介してもらった恩もありますから。でも、どうしてフェクトさんはチアーレ商会を勧めるんですか?」


「それはですね、私の書いた物語を買い取ってもらっている恩があるからですよ」


 そう言ってフェクトが取り出したのは一冊の本だった。


 背表紙に書かれていたのは『サンジェ女王と魔の化身』という文字だ。最近の出来事もありルーチェはその本に興味を抱いた。


「これはフェクトさんが書いたんですか?」


「えぇ、そうですよ。基本は効果屋で取引した相手の物語を書くんですがね」


「少し見ても?」


 問いかけるルーチェにフェクトは小さく頷いた。


 特に深い動機もなく本を開いて、ルーチェはよく知る物語を眺める。その視線が突然止まった。


「なに、これ?」


 瞳が泳ぐ。書かれていた物語は、ルーチェにとっては異常だった。よく語られる物語と違う部分が多々あったのだ。


 だが驚愕したのは差異があったことではない。フェクトの書いた物語が、アーヴェンの予想した伝説とよく似ていたのだ。


 始まりは特殊な血に目覚めたサンジェが教団と呼ばれる謎の集団に追われて村から逃げる話。


 続いて逃げる途中で魔の化身と出会ったサンジェは血を用いて魔の化身を従え、そこに国を築く。


 国に対抗するために教団は魔の化身を呼び出し、魔物の大移動を向かわせた。


 まるで見てきたかのように語られる物語。こんな話を書けるフェクトは何者か。今までのフェクトとの会話と本に書かれた物語がルーチェの中で急速に繋がった。


「もしかして、貴方は……」


 まるで【ピカンッ】と頭上に明かりが灯ったような心地。ルーチェが答えに辿り着く。まさにその寸前だった。


「失礼しました。……まさかこの話に至っているとは」


 パチンと鳴らされたフェクトの指。その指をボーッと見つめてルーチェは目を瞬かせた。


「物語を書くなんて、凄いですね」


「そうですか? ありがとうございます」


 しばしルーチェは本を眺めてフェクトに返す。独特な解釈を加えた伝説は新鮮で面白かった。


 本がフェクトの手に渡った丁度そのとき、午後の仕事休憩を告げる鐘が鳴り響く。


「あら、もうこんな時間ですか。そろそろわたくしも言われた通りにチアーレ商会に向かってみますね」


「えぇ、それがいいでしょう。あ、それと」


 フェクトはルーチェに一本の瓶を差し出した。その瓶は【ぞわぞわ】とした靄が入っていた瓶と同じ物だ。


 けれど、渡された瓶は表面が色づいており中身がわからなかった。


「今回の勝利のお祝いです。何かしらでどうしても困ったときにその瓶を開けてください。きっと助けになるはずなので」


「いいんですか? これもきっと付与道具ですよね?」


「えぇ、構いません。むしろ渡さなければいけないくらいです。自由に使って構いませんし、人にあげてもいいでしょう。ただし、本当に困ったときに使うのを私は推奨しますよ」


 釘を刺すように二度言われたルーチェは瓶を受け取りしばし眺める。どうするかは、すぐに決まった。


「でしたら、仲間にあげようと思います。アーヴェンにはお世話になってばかりですので」


「そうですか。では、ご武運を」


「はい!」


 にこりと微笑んでルーチェは効果屋を出た。その目の前に、見知った顔。たった今話題にまで出した人物が効果屋の前に立っていた。


「アーヴェン!」


「ん? ルーじゃないか。なんで、ルーが効果屋から……」


「それはこっちの台詞ですよ!」


 効果屋を知る人は少ないとばかり思っていたルーチェは、身近な存在がいることに驚いていた。


「俺はチアーレ商会のお使いでな。言ってなかったか? 一応俺は商会のお抱えなんだ」


「そうなんですか? 実はわたくしもチアーレ商会のお抱えになろうと思ってたんですが」


「いいんじゃないか。俺も頃合いを見てクロとルーにはチアーレ商会を紹介しようとは思ってたしな」


 アーヴェンはそこで言葉を止めて、気がついたようにルーチェの持つ瓶に視線を移した。


「フェクトから買ったのか?」


「いえ、貰いました。本当に困ったときに開ければ助けになってくれる付与道具みたいですよ。実はこれをアーヴェンに渡そうかと思ってたんです」


「ほう、付与道具を俺にか?」


「えぇ。お世話になったお礼です」


 ルーチェが瓶をアーヴェンに差し出した。


 アーヴェンは間違って落とさないようにそっと瓶を受け取り、手に持っていた鞄に瓶を入れる。


「ありがとな。仲間から貰った初めての贈り物だ」


「気にしないでください。わたくしにとっても貰い物ですから」


 少し照れたように微笑むアーヴェンを見てルーチェはくすくすと小さく笑う。


 冒険者としては冷静で頼れるアーヴェンも、普段はただの青年でしかないのだと思うと面白かった。


「あまり笑わないでくれ。ところで、この後ルーに予定はあるか?」


「いえ、ありませんが……」


「そうか。なら、少し冒険に行かないか。クロと誘ってあるんだ」


「もちろんです! 今日は何処に行くんですか?」


「くくっ、やっと準備が整ってな。火山遠足だ」


「ボルタレ火山ですか! 憶えていてくれたんですね!」


 ボルタレ火山は初めての狩りで兎の草原に行ったとき、ルーチェが行きたいと言った場所だった。アーヴェンはその火山へ行くための準備を秘密裏に進めていたのだ。


「あぁ、大切な仲間の要望だからな。俺自身火山近くに用もある。ついでに火口でも拝みに行くとしようぜ」


「はい! ぜひ!」


 悪童のような笑みを浮かべるアーヴェンに、ルーチェも微笑みを返す。


「なら善は急げだ。ここの用事は任せていいか、シロ」


「ん、いいよ。クロによろしく」


 ふとアーヴェンが声をかけた先、白い毛並みの美しい猫人族を突然に見つけてルーチェは驚いた。


「じゃあ、行くか。ルー」


「え、えぇ。さっきのは?」


「シロもチアーレ商会お抱えってところだ。前に話した奴隷商潰しの立役者だな」


「世間は狭いんですね」


「そりゃあそうだろ。同じ街にいるんだからな」


 呆れたように笑うアーヴェンに、そんなものかとルーチェも頷いた。


「それじゃあ、今度こそ」


「はい、行きましょう!」


 わくわくとした想いを胸に、ルーチェはアーヴェンと並んで歩き始めた。


 冒険は危険に満ちている。けれど、ルーチェはもうそれを恐れてはいなかった。


 最高の仲間達と一歩踏み出せば、そこには未知に溢れた胸踊る世界が広がっていることを知っていたから。


 こうして、王女のルーチェは冒険者のルーとなったのだ。

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